大阪には全国でも多くの遊郭が存在していました。大阪には江戸〜戦後にかけて20ヶ所以上の遊郭・赤線地帯が存在したといいます。
特に、大阪市内にあった松島・飛田の遊郭は日本最大級の規模を持ち、戦前は遊郭の代名詞だった吉原をしのぐ客数でした。
戦後は、空襲の被害が最小限だった飛田を中心に、赤線として各遊郭が復活し戦前に負けない繁栄を誇っていました。
現在も、上記二つの他に信太山新地などが現役の風俗街として稼働しています。
本記事では、大阪府にかつて存在した遊郭・赤線跡を一覧で紹介し、それぞれの遊里の歴史や現在の跡地を解説します。
大阪の遊郭の歴史

江戸時代の大阪(大坂)は「天下の台所」と呼ばれた経済の中心地であり、人・金・物が集まる集積地でもありました。
そして、それが集まるところには遊郭あり。大坂では現地の町人だけでなく、地方の商人や船乗りを相手にした遊郭が各地に作られました。
特に歴史と格式は吉原より上と言われた新町は、大坂どころか日本の遊郭の横綱・大関として江戸時代を通して君臨していました。
また「東洋のベニス」と呼ばれた堺には、一休宗純や徳川家康も遊んだという超老舗遊里、乳守がありました。
幕末にはヤミの売春街の私娼窟があちこちにできたものの、明治時代に松島に集約された上で、公娼制度による遊郭が認可されます。松島遊郭の誕生です。
大阪の近代遊郭史はここから始まり、松島遊郭は超老舗遊郭の新町をしのぐ勢いで繁盛しました。
松島遊郭は、「名は吉原、実は松島」と呼ばれた規模を誇り、数字的には吉原をはるかにしのぐ「近代遊郭界の木星」として君臨していましたが、大正時代に飛田遊郭が爆誕します。
松島が「木星」なら飛田は「土星」として日本の遊郭のトップクラスになりました。
もちろん、市内以外にも堺や貝塚、枚方の遊郭が存在し、今里新地や港新地など花街に偽装した「事実上の遊郭」もできました。
戦争による空襲で、飛田と枚方以外は焼失しましたが、戦後は焼け残った飛田を中心に赤線街として遊郭時代に負けない繁盛と発展を見せました。現在でも現役の信太山や滝井などは、戦後に誕生した組です。
昭和33年(1958)の売春防止法の完全施行により廃止となりましたが、ご存じのとおり一部は現役として現在でも稼働中。特に飛田新地は「現在の遊郭」という触れ名で遊客が絶えない歓楽街となっています。
大阪の遊郭マップ
大阪府にあった遊郭・赤線をGoogleマップ上にまとめました。
大阪の遊郭一覧表
大阪の遊郭(例外として岸和田の花街を含む)の一覧を表にしてまとめました。
| 名称 | 所在地 | 時代 | 現在の姿 | 記事リンク |
| 松島 | 大阪市西区 | 明治〜戦後 (現役) | 料亭街 ※遊郭の場所は空襲で焼失 | 松島遊郭の歴史 |
| 飛田 | 大阪市西成区 (設立時は住吉区) | 大正〜戦後 (現役) | 料亭街 | 飛田遊郭の歴史 |
| 新町 | 大阪市西区 | 江戸〜戦前 | 商業地 | |
| 堀江 | 大阪市西区 | 江戸〜戦後 | 商業地 | |
| 堺龍神・栄橋 | 堺市堺区 | 江戸〜戦後 | 駅前商業地区 | 堺龍神・栄橋遊郭の歴史 |
| 堺乳守 | 堺市堺区 | 室町〜昭和初期 | 住宅街 | 堺乳守遊郭の歴史 |
| 貝塚(近木新地) | 貝塚市 | 江戸〜戦後 | 住宅地 | 貝塚遊郭の歴史 |
| 枚方(桜新地) | 枚方市 | 江戸〜戦後 | 住宅地 | |
| 今里新地 | 大阪市東成区 | 昭和初期〜戦後 (現役) | 料亭街・住宅地 | |
| 信太山新地 | 和泉市 | 戦後〜(現役) | 旅館街 | 信太山新地の歴史 |
| 長野新地 | 河内長野市 | 明治?〜戦後 | 住宅地 | 長野新地の歴史 |
| 港新地 | 大阪市港区 | 昭和初期〜戦後 | 住宅地 | 港新地の歴史 |
| 布施新地 | 東大阪市 (設立時は布施市) | 戦後 | 住宅地 | 布施新地の歴史 |
| 池田新地 | 池田市 | 戦中?〜戦後 | 住宅地 | 池田新地の歴史 |
| 滝井新地 | 守口市 | 戦後〜(現役) | 旅館街 | |
| 住吉新地 | 大阪市住吉区 | 大正〜戦後 | 住宅地 | |
| 天六の売春窟 | 大阪市北区 | 戦後? | 住宅街 | |
| 岸和田花街 | 岸和田市 | 明治〜戦後 | 住宅街 | 岸和田花街の歴史 |
大阪の遊郭・赤線一覧
大阪には戦前から戦後にかけて、10ヶ所以上の遊郭や赤線地帯が存在しました。
現在でもその名残を残す場所が各地にあります。
主な遊郭・赤線跡を一覧にまとめました。
松島遊郭(大阪市西区)
大阪市西区にあった遊郭。
遊郭の代名詞は東京の吉原ですが、近代史における数字的な「日本一」はここ松島。遊女の数、遊客数、日あたり消費金額日本一の「遊郭三冠王」のお話。
そんなメガ遊郭も、戦争で灰燼に…
松島遊郭跡を歩く(大阪市西区)
戦前の栄華が空襲ですべて灰と化した松島遊郭。
その跡は現在の大阪市西区の千代崎にあたりますが、新地自体も移転してしまった中、その遺構は残っているのか。現地を実際に歩いて調査しました。
空襲ですべてなくなってしまったと思われた遊郭の面影、意外な形で残っていました。本文をお楽しみに!
飛田遊郭(大阪市住吉区→西成区)
『現代にも生きる遊郭』と言われる、西成区にある飛田新地。その知られざる歴史とは。
堺龍神・栄橋遊郭(堺市堺区)
「東洋のベニス」と呼ばれた堺も今や昔、近代は大浜・浜寺という東洋一のリゾート地の裏にあった「東洋のペニス」な遊郭・花街とは!?
堺乳守遊郭(堺市堺区)
一休さんや徳川家康も遊んだ、かの吉原より古い遊郭も、近代に入り「経営ミス」により廃廓になった超老舗遊郭。
貝塚遊郭(貝塚市)
紡績と観音様への玄関口、貝塚。
しかし、その歴史は江戸時代までさかのぼる古い遊郭なのです。
港新地(大阪市港区)
大阪港の近く、夕凪地区に栄えた花街、その姿は…戦後は赤線に。
あまり知られていない大阪港の新地、港新地のお話。
布施新地(東大阪市)
東大阪市の核を閉める布施、昔は「布施市」という独立した市だったのですが、そこに短期間だけ存在していた赤線、「布施新地」とは!?なお、今里新地とは別ものです。
布施の衛星モグリ遊里たち
飛田における釜ヶ崎と同じように、布施にも赤線という惑星を回る衛星遊里なんてものがありました。寿三郎横町、愛染小路、歓楽街、浅草観音通り…その名前を聞いて懐かしいと感じる人もいるかもしれない…。
池田新地(池田市)
北摂唯一の赤線、池田新地。こちらも資料があまりなかったものの、ないなりに調べてみたルポ。
信太山新地(和泉市)
今でも「現役」の信太山。
実は意外に(?)古い歴史があります。
長野新地(河内長野市)
河内の南は男天国だった!?
遊郭ではないが「まあ似たようなもの」だった河内長野の花街。
岸和田花街(岸和田市)
いや、港新地だって長野新地だって、現役の今里新地だって、登録上は花街です。
でも、岸和田芸者は身体は売りません、知らんけど。
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そんな難波病院の歴史を。
大阪の空襲と遊郭の被害
先の戦争で、遊郭も各地で焼失したり大きな被害を受けました。
大阪市・府内の遊郭は空襲でどんな被害を受けたのか。資料を集めてまとめてみました。
noteの有料記事ですが、読んで損はさせません。

まとめー最後に
大阪には、かつて多くの遊郭や赤線地帯が存在しました。
明治・大正期の遊郭から、戦後の赤線、そして現在まで続く新地まで、大阪の都市史の中で色街は独特の文化を形成してきました。
飛田新地のように現在も形を残す場所もあれば、松島遊郭のように完全に姿を消した場所もあります。
しかし、街並みや地名、建物の痕跡などから、かつての遊郭の面影を感じることができる場所も少なくありません。
大阪の遊郭・赤線跡は、今も各地に点在しています。
今後も実際に歩いて調査した場所を、このページに順次追加していきます。
それぞれの遊郭の歴史や跡地については、上記で紹介した各記事で詳しく紹介しています。ぜひご覧ください。





























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