【後編】天王寺駅の怪-天王寺駅に残る阪和電鉄の遺構たち

野良歴史家の歴史探偵
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普段から使っている人には、普段すぎて何の不思議も感じなさそうな駅にも、さりげなくミステリアスな部分が詰まっていることがあります。

前哨戦にしてはやたら長く、読む方は辛かったと思います。今回はようやく、本題の本丸に突入し遺物を「発掘」していこうと思います。

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阪和電気鉄道時代の天王寺駅ホーム

阪和線が「阪和電気鉄道」だった頃の、天王寺駅のホーム配置から説明しないといけません。

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現在の天王寺駅のホームは上の通りですが、大阪環状線や関西本線(大和路線)のホームは関係ないのでモザイクをかけ、阪和線のホームだけ表示しました。上の①~⑨番線がそれです。

 

 

 

 

昭和10年(1935)当時の阪和電鉄天王寺駅ホーム

阪和電鉄当時のホームの基本構造はこの通りです。これを『図①』とします。

ホームの基本構造は、変わっていないと言えば変わっていないのですが、ホームは今より少なめです。
図の上の広いホームが今の3番線~4番線ホーム、下のホームが同じく5番線と6番線と解釈下さい。

 

で、この図に当時の線路の配線を描くと、

 

 

 

昭和10年(1935)当時の阪和電鉄天王寺駅ホーム2

こんなふうになります。これを『図②』としておきます。
阪和電鉄時代のホームの大きな特徴は、

「乗車専用ホーム」

「降車専用ホーム」

に分かれているところ。
「乗車専用ホーム」と「降車専用ホーム」は今の鉄道でもあるにはあります。が、昔の分け方は今とは少し違っていました。

阪和電鉄の「乗車」「降車」は、ホームの縦割の構図になっています。
文字で説明すると、天王寺駅構内に入った電車は、まず「降車ホーム」で止まり、乗客を下ろします。

乗客を下ろした空の電車はさらにホームの奥へ進み、「乗車用ホーム」で乗客を乗せる。

という仕組みです。

上の図でわかる通り、阪和電鉄の天王寺駅のホーム番号の割り振りは、

乗車用ホーム:奇数

降車用ホーム:偶数

と分けられていました。

 

このやり方、阪和電鉄独特のやり方ではありません。

当時の関西の私鉄ターミナル駅では珍しくないことで、昔の京阪のターミナル駅であった天満橋駅や、近鉄の上本町駅も同じやり方でした。阪和電鉄は京阪系列の会社だったので、親会社に倣って同じ仕組みを採用したのかもしれませんが、本当のところはわかりません。

 

阪和電気鉄道天王寺駅平面図(計画)
(『鉄道史料』より。赤字黄字は筆者加筆)

上の図は、大正時代の計画段階での阪和天王寺駅の平面図です。計画では乗車用と降車用のホームが島のように分かれていることがわかります。

しかし、実際はいろいろ事情がありこの計画通りには進まず、『図①』のホーム配置となりました。

昔の電車は編成が1両とか2両、今と比べたらのんびりとした両数でした。
それは阪和電鉄にかぎらず、たいていの鉄道がそうでした。だから、長いホームを作って「乗車」「降車」に分けることが可能だったのです。

 

 

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(『鉄道史料』より。赤字黄字は筆者加筆)

戦前の阪和電鉄天王寺駅、「降車ホーム」から「乗車ホーム」を撮った写真です。

黄色で線を引いた奥が「乗車ホーム」で、乗客が電車を待っている姿も見えます。上の「図②」の③番線ホームでしょう。

信号機がホームの真ん中に堂々と設置されていますが、これが「乗車ホーム」と「降車ホーム」の境界線になっていたものと推定されます。

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