布施の寿三郎横町と愛染小路と…(大阪府東大阪市)|おいらんだ国酔夢譚|

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布施の寿三郎横町と愛染小路 遊郭・赤線跡をゆく

前回は、布施に7年だけ存在した赤線、「布施新地」を取り上げました。

本来はこれで終わりのはずだったのですが、布施は私の予想を超えて深かった。
今回は、布施新地の記事では書けなかった布施のもう一つの顔を…

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寿三郎横町と愛染小路

布施には、一説によるとだけではなく、青線もあったと伝えられています。売春防止法により布施新地が消えた後も、ここ界隈ではヤミ売春行為が行われていた…そんな話は様々な方向から小耳には挟んでいます。
その舞台が、駅前にあった小道でした。大人が一人すれ違うのが精一杯の細い道の両脇に「飲み屋」がずらりと並び、地元の人の話では小路の前に椅子に座った女が手招きして男を誘う…それが平成の初め、バブル崩壊頃までの布施の風景の一つだったと。
「飲み屋」で酒を傾け理性がなくなる寸前までいったところで、
「どう?」
などと耳元で(ささ)かれ…男もまんざらどころか「それ」目的で来ているため、お二階へご案内。知る人ぞ知る布施の裏名所でした。
我が故郷、堺の龍神も、聞いた話だと平成はじめまで隠れ売春が行われていたそうです。お隠れもバブル崩壊くらいで途絶えたそうですが、隠れ売春史はこの1990年前後がターニングポイントになっているのかもしれません。

そのうちの一つに「寿三郎横町」という小路がありました。裏布施ところか裏大阪を象徴するような怪しい雰囲気満開の場所だったのですが、残念ながら2017年に火災が起こり、現在は何も残っていません。

しかし!奇跡的にも(?)我がHDDに火事で焼ける前の画像が残っていました。やはり残しておくものです。10年前ですが、貴重なのでご披露いたします。

布施の寿三郎小路

この写真だけでも怪しい感満載。大人一人がやっと歩ける道幅、鼻息を荒くしたオスがこの狭い小路を何人歩いていたのでしょうか。
飲み屋の看板がひしめく中、「大人のおもちゃ」がその怪しさをさらに演出させています。なぜスウェーデンなのかはわかりませんが、IK○Aとは何の関係もありません。
現存しないのであれですが、特急すら一部が止まる駅から徒歩2分くらいの距離に、こんなDEEPなゾーンがあったのです。
返す返す、現存しないのが惜しい。

布施新地の寿三郎小路

スタンド「青柳」。
ああ懐かしいなここよく行ったな…我がブログの読者さんには、もしかして一人くらいそんな人がいてもおかしくありません。あ、申告は不要です(笑

布施の寿三郎横町のクロンボ

「クロンボ」という名前の店。どうしてそんな名前になった…とツッコミを入れたいですが、三味線を弾くマダムがお酌をしてくれるお店だったそうな。張り紙にもやたら三味線が強調されています。これが店の売りだったのでしょう。

現存しないため伝説と化した、寿三郎小路最高の怪しさがこれ。

布施の寿三郎小路にあったレリーフ

この艶めかしい豆タイルの流星群の中心には壺を抱いた裸婦のレリーフ。10年前なので撮影主(私)の撮影テクニックが未熟すぎて、レリーフが非常に見えにく申し訳ない。なぜしゃがんででも撮らなかったのか。おそらくそれが出来なかったほど雰囲気が怪しかったのでしょう。
レリーフの完全体(?)をみたい方は、下記リンクまでどうぞ。

寿三郎横町から西へ一丁進んだところに、愛染小路があります。

布施の愛染小路

「遺影」と化した寿三郎横町に比べ、こちらは飲み屋街として現役です。
10年前にしろ今年にしろ、訪問したのが真昼だったので当然店はやっておらず。夜に訪れてみるとまた違った感想になるのかもしれません。

布施の愛染小路

陰の寿三郎横町と比べ、愛染小路は陽。暗さやじめじめとした陰湿さを感じないのは、小路が行き止まりではなく他の道に通じているからでしょうか。
こちらもかつては「お二階」に通され…という所だったそうです。遊里跡探索の数をこなしていくと、アンテナ感度が向上するのかはわかりませんが、それとなく「邪気」のようなものを感じることがあります。
もちろん、全く感じないところもあるのですが、ここにもそんな「邪気」を感じませんでした。

布施のお話はこれで終わり…
と言いたいのですが、これで終わりそうにもないのが布施の深~いところです。

「歓楽街」の謎

こちらも現存しないのですが、10年前の布施界隈には、こんなものがありました。

布施にあった歓楽街

「歓楽街」…この不思議な香りする文字の奥に、私は引き込まれることになりました。

布施の歓楽街

誘われる(?)がまま奥に入ってみると、小料理屋の看板がはみ出て並ぶ和風香港状態。寿三郎横町と同じような空気が流れていました。
私の記憶が正しければ、「歓楽街」の道筋は「コ」の形をしており、そこに写真のような小料理屋が所狭しとひしめいていました。
私の訪問時は看板だけで、実際に営業しているようには見えなかったですが、大阪府の資料にはここも隠れ売春窟の一つになっていたそうです。

当然、今年(2021年)にもここの跡を訪問してみましたが、すっかり高層マンションの餌食になっており、かつてここにあやすぃ小料理屋があってね…なんて言っても、マンションの住人は全く想像もできないでしょう。それほど面影がありません。

布施の話、まだ終わりません。実に奥が深い。

浅草寺と「浮世小路」

これまで紹介した場所は布施駅の北口側でしたが、次は反対側の南口側となります。

「布施には浅草寺がある」…と書くと、多くの人が首をかしげることでしょう。浅草(寺)と言えば東京のあそこやろと。

布施の浅草寺こと浅草観音

実はあるのです。
別名「関西浅草観音」、お寺に詳しいブログによると東京の方の観音様の御分身を奉戴されているそうで、パクリでも浅草寺を語る新興宗教系でもなく、関西弁でいう「ほんもん」だそうです。1959年遷座とあるので、けっこう古い。
ただし、雷門はおろか境内すらないすごく簡易仕様。こんな寺ってありなん!?というくらいに。珍っちゃあ珍なスポットなのに、あの大阪DEEP案内さんが食いついていないのがいちばんの珍であります。

布施浅草観音通り

布施駅から浅草観音までの門前へは、「関西浅草観音通り」という、これまた歓楽街となっております。通称「柳小路料飲街」…この名前だけでなんだか怪しい矯臭がしてしまうのは神経過剰でしょうか。
私が訪問した10年前でさえ、料理屋といってもそれらしきものはあまり見当たらず、良くも悪くも大阪の下町でした。
が、かつてはここもいわゆる青線系だったそうで、道沿いに椅子を並べて道行く男を誘惑していたそうな。

確かに…

布施の関西浅草観音通りの赤線青線
大阪布施の赤線青線
関西浅草観音通り

実際に歩いた感想を申し上げると、布施新地よりこっちの方がよほど「赤線跡」っぽい。建物もさることながら、布施新地に感じた「邪気」をこちらにも感じました。いや、むしろこっちの方が強いかも!?

こちらも怪しいと感じたきっかけは、もう10年前のことなので忘れましたが、こうして自分が歩いて写真も撮っているということは、何かしらの根拠があってのことのはず。そうでないと本命の新地と真逆の位置にあるここなどノーマークでしょう。実際、布施新地を取り上げたブログは誰一人、ここに触れていません。
2021年時点で、雰囲気を含めたこれらの建物が残っている保証はありません。Google mapで偵察したら見当たらないので怪しいですが…ここにかつて小料理屋通りがあり、夜になると急に「女の子」が増えたという伝説だけを残しつつ、こちらも静かにその黒歴史を閉じたようです。

下の記事もいかがでしょうか!

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コメント

  1. ねはん より:

    いつも拝見しております。
    特に関西の赤線と阪和電鉄関係は興味深いです。

    布施付近は自分も調べました、「歓楽街」はお稲荷さんがあったのが印象的でした。
    知らぬ間に消失してショック受けた記憶あります。
    寿三郎横丁も火災が残念です。

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