遊郭・赤線跡をゆく 飛田遊郭外伝 飛田新地の絵はがきの場所はどこなのか 大阪の飛田新地。遊郭時代の飛田新地の写真で、有名な絵葉書があります。「弦歌の日夜絶えざる飛田遊廓」と書かれたこの絵はがき、『大阪便覧』(大正15年刊?)にも掲載されており、ネットでも散見するので見たことがある人が多いと思いますが、飛田遊廓な... 2025.04.02 遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 遊郭・赤線跡をゆく 萩・弘法寺遊郭(山口県萩市) 萩遊郭の歴史萩遊郭は長州藩の時代から存在していました。が、芳和荘がある浮島地区ではなく、萩市街から遠く離れた越ヶ浜地区でした。そこは漁師や海運業者が集まる萩のウォーターフロント、江戸時代には西廻り航路の商港、風待ちの港として多くの船で賑わい... 2025.03.27 遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 大宮北銀座の赤線跡(埼玉県さいたま市)|遊郭・赤線跡をゆく| 木偶坊伯西「遊郭・赤線跡をゆく」初の埼玉県の記事になります。筆者は埼玉県で何を発見したのか!?乞うご期待!! で作成上の地図は弊記事作成当時、2025年3月時点で私が回った遊郭・赤線跡のマップです。所要時間こそ20年ですが、北海道から九州ま... 2025.03.26 遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 奈良県立図書情報館に眠る娼妓たち|遊郭・赤線跡をゆく 番外編| 全国の図書館の蔵書を調べていると、何か琴線というか、インスピレーションに触れるものがあります。それを地道にピックアップしていくということも、ある意味研究の一つなのかもしれません。これもこれで、ネット世界の宝探しのようで面白い。今回向かったの... 2025.03.24 遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線 【記事まとめ】遊郭・赤線跡をゆく 関西・近畿地方の遊郭・赤線一覧 京都府ー舞鶴(朝代、龍宮、丸山、加津良)、福知山猪崎新地筆者すんません、京都市の記事は一つも書いてませんねん。だって他の人書いてるやん(笑大阪府ー松島遊郭、飛田遊郭、堺龍神・栄橋遊郭、貝塚遊郭など筆者大阪府の遊郭は数が多すぎるので、別の記事... 2025.03.21 まとめ記事遊郭・赤線遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 函館遊郭列伝 第二章 蓬莱町、台町|遊郭・赤線跡をゆく| 第一章 山の上、豊川町遊郭の記事はこちら!函館の遊郭 蓬莱町、台町火事で焼失した山の上遊郭と豊川町は、代わりに台町や、「大工町地続大森浜通」の地を与えられ開拓使からも移転支援金3万円が支給されました。後者はのちに、「蓬莱町」という町名がのち... 2025.03.20 遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 田辺新地(和歌山県田辺市)|遊郭・赤線跡をゆく| 南紀にあった花街ー田辺新地和歌山県、紀州南部紀南の地にあった花街ですが、厳密に言えば、ここは遊郭ではありません。花街は芸者が住み芸者と客が落ち合い酒を酌み交わす歓楽街。遊郭とは分けて考える必要があります。が!花街研究家実際に行っていた行為に... 2025.03.18 遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 函館遊郭列伝 第一章 山の上遊郭|遊郭・赤線跡をゆく| 函館遊郭の夜明け函館100万ドルの夜景…の昼版の光景です北日本最大の港町、函館。天然の良港として江戸時代から有名だったところで、江戸末期の19世紀には幕府の直轄地となり奉行所が置かれました。北海道の中では歴史に名を残すもっとも古い地の一つで... 2025.03.15 遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 高雄塩埕遊郭(台湾高雄市)|遊郭・赤線跡をゆく| なんだかんだでライフワークになっている「遊郭・赤線跡をゆく」。約20年間、ちまちまと国内を回ってきたわけですが、今回、ついに海を越えます。今回は、海の向こうの台湾にあった遊郭の話。植民地にもあった遊郭台湾は、日清戦争後の下関条約により日本に... 2025.03.13 遊郭・赤線跡をゆく
まとめ記事 【記事まとめ】遊郭・赤線跡をゆく 大阪府の遊郭・赤線一覧 筆者大阪府にあった遊郭・赤線のまとめ記事やで〜松島遊郭(大阪市西区)遊郭と言えば東京の吉原ですが、近代史における数字的な「日本一」はここ松島。遊女の数、遊客数、日あたり消費金額日本一の「遊郭三冠王」のお話。そんなメガ遊郭も、戦争で灰燼に…(... 2025.03.11 まとめ記事遊郭・赤線遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 仙崎遊郭(山口県長門市)|遊郭・赤線跡をゆく| 仙崎は長門市の一部ですが、昔は仙崎町という独立した町でした。萩からは、地図で見るとけっこうな距離にありそうですが、車だと所要1時間ほど。地図で見ると遠そうですが、実際に行ってみると意外に近い。日本はやっぱし狭かった!?仙崎は、地図を見てもわ... 2025.03.06 遊郭・赤線跡をゆく
遊郭・赤線跡をゆく 現代の吉原遊郭・赤線跡を歩いてみる|遊郭・赤線跡をゆく| 21世紀の吉原を歩く吉原遊郭の歴史編は下のリンクをどうぞ!通史編で述べたように、吉原は昭和20年の空襲で焼け、遊郭時代をしのばせる遺構は残っていません現在残っているものはすべて戦後赤線時代の、俗に「カフェー建築」と呼ばれるものです。『鬼滅の... 2025.03.03 遊郭・赤線跡をゆく