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遊郭・赤線跡をゆく

稲永遊郭(名古屋市港区)|遊郭・赤線跡をゆく|

尾張名古屋には、中村遊郭という大遊里が木星のように君臨していました。妓楼100軒以上、遊女の数は1000人以上。全国でも有数の規模を誇る大遊廓です。その名古屋には、中村の他にもう一つの遊郭がありました。中村の陰に隠れてあまり語られていないそ...
ブログエッセイ

浜寺海水浴場の阪和vs南海バトル!高架化で消えた戦場【南海電鉄歴史紀行】

南海本線の高石市の部分、羽衣駅~高石駅間が2021年に高架化されました。それによって、同区間の踏切が全廃することになりますが、南海の伝説を創ったある踏切も消えゆくこととなります。(画像提供:鉄道プレス様)羽衣駅の北側にあるこの踏切も同様、2...
遊郭・赤線跡をゆく

阿部定と飛田遊郭の「御園楼」|遊郭・赤線跡をゆく 番外編|

阿部定事件の阿部定、江戸っ子の彼女が大阪の飛田新地で働いていたことがあった。そのときの様子とは。そして彼女が働いていた飛田遊郭の貸座敷(妓楼)とは。
遊郭・赤線跡をゆく

布施の寿三郎横町と愛染小路と…(大阪府東大阪市)|おいらんだ国酔夢譚|

前回は、布施に7年だけ存在した赤線、「布施新地」を取り上げました。本来はこれで終わりのはずだったのですが、布施は私の予想を超えて深かった。今回は、布施新地の記事では書けなかった布施のもう一つの顔を…寿三郎横町と愛染小路布施には、一説によると...
遊郭・赤線跡をゆく

7年しかなかった短命赤線−布施新地(大阪府東大阪市)|遊郭・赤線跡をゆく|

中小企業が集まる大阪の東大阪市。その中心地、布施に数年間だけ存在した赤線とは。戦後の混乱期に発生した、あまり知られていない新地の話。
ブログエッセイ

南海の激レア電車、白線急行を見に行く

現存する日本最古の私鉄、南海電鉄。和歌山方面や関西空港へのアクセスラインでもある本線と、高野山へのアクセスをほぼ独占している高野線を二本柱とした大手私鉄です。昭和の時代には野球チームを所有していたりもしていましたが、現在は大手私鉄の割には地...
遊郭・赤線跡をゆく

神戸・福原遊郭で遊んだ外国人の客 |遊郭・赤線跡をゆく 番外編|

遊里史の調査のため、統計書を読む機会が多数あります。統計書、それはただ読むだけでは何の面白みもない無機質な数字の海。目的なしで読むと、こんな資料の何がどう面白いのか全くわけわかめな書物です。が、ある目的を持ちながら読むとあら不思議。その数字...
歴史探偵千夜一夜

天王寺駅大阪環状線ホーム脇に残る謎の建造物【阪和線歴史紀行】

以前、(特に)阪和線の天王寺駅に残る私鉄時代の遺構を中心とした謎をブログに書きました。このブログはそもそもはてなブログでアップしたものですが、掲載当時は大変な反響を呼び、これを通して拙ブログを知った方も多いと思います。現在でも、書き主にとっ...
歴史探偵千夜一夜

大阪市立大学秘史 その2-商科大学から市民大学へ

大阪市立大学の歴史商業の都大阪には、江戸時代から町人のための学校が数多く開かれていました。有名どころは福沢諭吉などが在籍していた『適塾』ですが、現在なら理系全振りの教養学部か、医学部の教養課程(って今でもあるのかな?)のようなところでした。...
遊郭・赤線跡をゆく

宇都宮亀廓&中河原の赤線|遊郭・赤線跡をゆく|

栃木県宇都宮市にあった、「亀廓」と呼ばれた遊郭と私娼窟、そして戦後の赤線(特飲街)の話。
歴史探偵千夜一夜

大阪市立大学秘史-キャンプ・サカイと杉本町駅の謎の線路【阪和線歴史紀行】

大阪市立大学の戦後史は米軍による校舎接収から始まった。杉本町駅から米軍基地と化した大学へ伸びる一本の線路…そこから明かされる大阪市立大学秘話。
遊郭・赤線跡をゆく

池田新地(大阪府池田市)|遊郭・赤線跡をゆく|

大阪北摂の池田市。静かなベッドタウンとしてのこの街にもあった特飲街(赤線)、池田新地の話。
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