名古屋駅に残る戦争遺産-畜光タイル

名古屋駅畜光タイル鉄道史
名古屋駅前

JR東海の拠点である名古屋駅。

この駅に、不思議なものがあるのをご存じでしょうか。

名古屋駅構内に残る戦争遺構

7~8番線へ向かう階段。一見するとどこにでもある階段です。
これは本当に名古屋駅の写真なのかと、痛くもない腹をまさぐられそうです。

この階段の左右の端に、「あるもの」があります。

名古屋駅の階段の戦争遺構

これ。正方形の光るガラス板のようなものが!?
人がいないことをいいことに拡大撮影してみると…

名古屋駅の中の畜光塗料タイル

かなり古いものであることは確かですが、一体これは何なのか。

ネットの情報によると、これは「畜光タイル」というものだそうです。陶磁器の釉薬を塗る技術を応用し、磁器製タイル表面に畜光顔料を塗り、明るさを保つタイルだそうで、メーカーのHPを見ると、けっこう光っているなと感じます。

では、名古屋駅の階段になぜそんなものがあるのか。それには昭和史の重大イベント、戦争が絡んできます。
戦争中、敵国からの空襲に備え、灯火管制というものが全国に敷かれました。すっかり歴史的固有名詞と化した言葉ですが、つい最近、某都知事が行った新型コロナウィルス対策に対し、

灯火管制かよ!

と一時的に復活してしまった感がある言葉です。

この灯火管制、

米軍のレーダーにかかったら何の意味もないんじゃない?

愚策だと笑いの対象にされていることが多いですが、案外効果かあったようで、高層建築物もなかった某都市の空襲は灯火管制が徹底され真っ暗。米軍が逆に混乱し全然お門違いの場所に爆弾を落としたこともあります。
空襲といっても、目的の場所に目的どおり空爆したわけでもないようで、爆弾が余ったりして本来の目的とは違う場所に落としたタイプもあります。
大阪の貝塚(遊郭をピンポイントで直撃)や奈良県の田原本などがその例で、京都の西陣空襲もそれだと言われています。

名古屋駅のこれも、灯火管制と多いに関係があります。
駅といえども灯火管制の対象のつき、空襲警報が行われた際は電気を消す必要があります。そのときに乗客を安全に誘導するため、ピカピカ光る性質を持つタイルを階段両脇につけて足下を少しでも照らし、真っ暗闇で乗客を誘導しやすくするためのものだそうな。
現在でも道路や廊下で足下を照らすフットライトがありますが、イメージとしてはそんな感じで結構です。

が、これはあくまで現代の視点。80年前の時代にそんなものは存在していたのか。
調べてみると、畜光塗料は20世紀はじめあたりに開発されており、主に放射性物質のラジウムを塗ったものが使われていたようです。ラジウムは時が経つにつれ物質量自体が減っていくため、それに比例して蛍光力も減少していきます。名古屋駅のものが光っていない理由は、電源切れならぬ「ラジウム切れ」というわけですね。
ちなみに、現在の畜光タイルはノン放射性物質を使用しており、それを開発したのは日本のメーカーだそうな。

しかし、ここで疑問が残ります。

なぜほかの階段にはない?

敢えてここだけ残した可能性もありますが…真偽は不明です。
名古屋駅あたりが正式コメント出さないかな。

灯火管制目的なら、ホームに上がるのに階段を要した東京や大阪、神戸、下関など他の駅にも施されたはず。しかし、昔も含めてあったという話は聞いたことがない。私が知らないだけの可能性も全然ありますが、他の駅にも同じようなものがあったよという方、こっそりで良いので情報をお願いします。

名古屋駅という大きな駅にも、戦前戦中の遺構が残っています。全国レベルにまでアンテナを広げると、戦争の遺構だけではなく、他にも様々な「昭和の遺物」が眠っているかもしれません。

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