米内光政提督が残した言葉

米内光政ブログエッセイ

米内光政海軍大将

米内光政という名前は、どこかで聞いたことがあるかもしれません。しかし、岩手県民や近代史好き、海軍好きでない限り、

ああ、あの人ね!

とすぐピンとくる人はたぶん少ないと思います。むしろ、

米内?『こめうち』って読むの?

となる人の方が多いかと。「こめうち」ではありません、「よない」です。

日本の歴史に深く関わり、総理大臣にまでなったにも関わらず、その名前は歴史の授業でもよっぽどのことがない限り出てくることはありません。
昔からの歴史好きの私も、確かに名前は知ってるけれども、よく考えたら一体何した人なんやろ?とよく知ることはありませんでした。
しかし、本を読むにつれ、知れば知るほど米内光政という人間が面白く感じ始め、現在では尊敬する人の一人になっています。「米澤光司」という名前も本名ではなく、本名に米内さんの姓名の一文字ずつをいただいたもの。現在はペンネームとして使用中であります。

なお、本編は敬意をこめて「米内さん」という呼び名に統一します。

米内さんはどんな人か。
それを語りだすと、本当にキリがありません。詳しくはWikipedia先生にでも教えてもらって欲しいですが、私がなぜここまで米内光政という人物を尊敬しているのか。

ある意味、私は米内さんに人生を救われたといっても過言ではありません。

米内さんは、元来無口な性格でした。阿川弘之『米内光政』では、そんなことないよ、プライベートの雑談ではけっこうおしゃべりだったという証言もありますが、公の場では本人も

「結論を先に言ってしまうので、スピーチには向いていません」

と述べているとおり、言葉は短く単刀直入でした。終生抜けなかった盛岡のズーズー弁を気にしていた説もあります。
しかし、声は太くドスの効いたもので、実際に総理大臣時の所信演説の声を聴くと、確かに東北人が無理くり標準語を話したような訛りが多少ありますが、予想以上の美声です。この声で長唄を歌われると芸者がメロメロになったといい、事実コーカソイド風の風貌もあいまって、芸者にモテた伝説は枚挙にいとまがありません。

ところで、米内さんって誰かに似てるな〜と思っていたのですが…

落語家の春風亭昇太師匠に似てると思いませんか?背は真逆だけど(笑

 

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米内光政の「名言」

無口ということもあってか、米内さんには名言と呼ばれるものがあまり残っていないのですが、印象的なものが一つ二つ残っています。その中でも

「人間と言うものは、いついかなる場合でも、自分の巡り合った境遇を、もっとも意義あらしめることが大切だ」

この言葉が、私という一人の人間を救いました。

人生というものを長い目で見てみると、何をしても上手くいかないという時期が一度はあると思います。
私は30代の後半がそれにあたりました。仕事も金も女も、やることなすことすべて裏目に出て、その不運さのせいか人がみるみるうちに離れ、誰も寄り付かなくなりました。余程どす黒いオーラをまとっていたのでしょう(笑)
自殺するにも勇気が要る…その勇気がなければ生きろ、臆病にも使い道がある…というのが私の経験則から得た人生論の一つですが、もし私に「自殺する勇気」があれば、とうの昔にこの世から消え、こうしてブログを書いていることはありません。
要は死にたいくらい辛かった時期だったのですが、その不運スパイラルから抜け出すきっかけが、米内さんの上の言葉でした。

では、米内さんのこの言葉の背景は何なのか。
彼を知る人は、印象をこう述べています。

「米内さんとくれば、一に酒、二に読書

彼の酒の量は底なしで、満洲国皇帝溥儀が
「米内の酒の量は海量か?」
と聞き、聞き役だった高松宮殿下(海軍軍人でもあった)が、
「いえいえ、米内は洋量です」
と答えた逸話があります。
本人も大酒飲みだった昭和の三井財閥の番頭池田成彬(1867-1950)によると、酒は化け物級ながら酒にも好みがあったようで、飲んでいたのは主に日本酒。ウイスキーになると松平恆雄(元外交官、宮内大臣)が「化け物」といい勝負ができ、宮内大臣官邸で二人がベロンベロンに酔っぱらい、赤じゅうたんの上を這いずりまわっていたそうな。もっとも、米内さんをそこまで酔わすには、最低でも12時間くらいぶっ通しで飲み続けないといけないとは、元部下の談。

二つ目の読書も、米内さんの象徴でした。
最終的には連合艦隊司令長官、海軍大臣、総理大臣にまでなった人ですが、昭和5年(1930)、当時は日本領だった朝鮮の鎮海警備府司令官に任命されます。
鎮海警備府司令官は、「提督の墓場」「クビ5分前」と呼ばれたポジションで、米内さんの前の司令官は、このポジションを最後に海軍を去っています。
この「墓場行き」に、米内さんもさすがにここまでかと覚悟を決めたようですが、「1週間に1日仕事があれば忙しい方」だったという暇な毎日の中、万巻の書を読みまくりました。その読書の範囲は、経済の専門書や中国古典・ロシア文学から、旧制中学の後輩野村胡堂の『銭形平次』まで幅広く、のちに「軍人なのにあれだけ視野が広く偏っていない人は珍しい」と牧野伸顕(伯爵。大久保利通の子供)が賞賛したほどの見識を身に着けました。

「提督の墓場」で2年くすぶった後、艦隊司令長官として墓場から蘇った後の出世は語りませんが、そこでの読書で得た知識・見識は、のちに大臣になった際、大いに役に立つことになります。

海軍大臣時代、国会での演説で口さがない議員を黙らせ感動させたスピーチがありました。記者は

どうせ次官の山本五十六が書いた原稿の棒読みだろ?

と米内さんをバカにしていましたが、それを聞いた山本次官は、

うちの大臣はちゃんと自分で勉強して自分の言葉で説明してるよ。陸さんと一緒にするな(笑

と。その顔は非常にうれしそうだったと伝えられています。

 

米内光政海軍大臣と山本五十六海軍次官
(大臣時代の米内光政と次官の山本五十六)
それもそう、日本男児が一度は憧れる連合艦隊司令長官として、海の上でご機嫌だった米内さんを、就任数か月で無理やり海軍大臣に引っ張り込んだのは、海軍省ナンバー2だった山本五十六(と軍務局1課長だった保科善四郎)の部内政治工作。米内なんて昼行燈(ひるあんどん)じゃんという部内の声を抑えた山本は、ほれ見ろ俺の目に間違いはなかっただろとご機嫌だったのは、想像に難くありません。
その山本五十六は、米内さんをこう評しています。

「大臣は頭(の回転)はそれほどじゃない。俺の方が頭良いよ。でも、米内さんは肝っ玉が出来ているので海軍は安泰だ」

「人には誰しも長所、短所があるよ。でも米内さんほど欠点がない人も珍しい」

 

閑話休題。
生きていると「こんなはずじゃなかった」「こんな仕事、やりたくない」と不満に思うことが必ずあります。やりたくないポジションに就いたり、左遷されたりすることもあります。私は飲めないですが、酒を飲んで忘れたいことだってあります。
それでも、腐らず拗ねず今を有意義に生きると日の目を見ることがあるよ、その時のために今を大切にして自分をしっかり磨いておきなさい。米内さんの言葉には、そういう蘊蓄(うんちく)があります。

この「人間と言うものは…」の言葉を知った時は、まさに心底から腐っていた時期でもあったので、この言葉は殴られるより衝撃的に心の中に響きました。
人生どん底の時期でしたが、「自分の巡り合った境遇を、もっとも意義あらしめよう」とばかりに米内さんの真似をしました。人が誰も寄って来ないのを逆利用し読書に集中、ライトノベルから心理学・医学書まで万巻の書を読みふけりました。10年後くらいに実となり花となるように…。
その辛抱を重ねていると運も次第に上がってくるもので、10年後、現在の私がいます。こうしてブログを書いているのも、陰にも陽にも米内さんの影響。まさに「米内さんに命を拾われた」のです。

 

もう一つの言葉

米内さんにはもう一つ、うーんとうならせる言葉が存在します。

長男の米内剛政氏が社会人今後のために、社会人となり部下を持った時の扱い方を質問しました。父光政は、こう述べたそうです。

「人間にはそれぞれ与えられた幅がある。お前が大きくなって課長になると、このくらいの幅になって、部下を持つ。
次長になるとこうなる。部長になるとこうなる。下を見る時は幅の中で泳ぐだけ泳がせろ。枠からはみ出た時にコツンとやるのが本当の親切で、そうすればどんどんよくなるんじゃないか」

阿川弘之『米内光政』には、

「人にはそれぞれの能力があるからね。物サシでいうと横幅が広いのもあるし、縦に長いのもある。物サシの具合をよく見て、その限度内で働いている間は、僕はほったらかしとくよ。
ただ、能力の限界を越えて何かしそうになったら、気をつけてやらなくちゃいかん。
その注意をしそこなって部下が間違いを起した場合は、注意を怠った方が悪いんだから、こちらで責任を取らなくちゃあね」

と書かれていますが、言いたいことは同じだと思います。
実際、頭が固い部下を焼きそば屋に連れて行って「もうちょっとバカにならないと人が近寄らないよ」と優しく諭したり、職務権限を超えたことをしようとしている秘書官の質問にわざと返事をしなかったり、米内流教育法は行っていました。
私も部下を持ったらこんな風になりたいとは思ったものの、この境地に至るのは到底無理だと、この年になって悟りました(笑

海軍大臣や総理大臣などの「政治家」としての面では、それはないんじゃないの!?というチョンボもしており、支那事変を泥沼化させた要因である近衛文麿首相の「国民政府を相手をせず」声明に一役買ってしまったり、米内のファンだった昭和天皇が「(終戦間際の)軍令部総長と次長の人事(脚注:豊田副武と大西滝次郎のこと)は米内のミスチョイス」と嘆かれたことも行っています。

しかし、人間に完璧はありません。特に感情的なアンチであるほど相手に完璧を求め、完璧じゃないと批判をしますが、批判する方はそんなに完璧なんでしょうかね?
米内さんの魅力は、その人間的な器。「大器晩成」と言いますが、兵学校でもどん尻から数えた方が早かった成績で「用ないグズ政」と陰口をたたかれても、その大きな器を形成するには時間がかかったのでしょう。時間が経つにつれその器は大きくなり、人を惹きつけていったのですが、先輩や兵学校の同期という名伯楽にも恵まれ、米内光政という人物は現代でも人を惹きつけてやみません。

 

 

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