遊郭・赤線跡をゆく

スポンサーリンク
遊郭・赤線跡をゆく

酒田遊郭(山形県酒田市)|遊郭・赤線跡をゆく|

山形県庄内地方は東北屈指の米どころとして有名ですが、その中心酒田は北前船の寄港地、そして最上川の河口にあり川沿いの名産が集まる集積地として、江戸から明治にかけ大いに栄えました。戦後の農地改革まで日本一の地主だった本間家も酒田にありました。人...
遊郭・赤線跡をゆく

下関稲荷町・裏町遊郭(山口県下関市)|遊郭・赤線跡をゆく|

下関と言えば、今から千年前に源氏と平氏が戦った「源平の戦い」のハイライト、「壇ノ浦の戦い」の地でもあります。学校で習った通り、この戦いで一時の栄華を誇った平氏は正式に滅び、源氏の天下が確定したんやけど、平氏が連れてきた数多くの女官が戦いの後...
遊郭・赤線跡をゆく

下関新地遊郭(山口県下関市)|遊郭・赤線跡をゆく|

ぱくたそ様提供下関は、平安時代末期~鎌倉時代初期の源平合戦のエンディング、「壇ノ浦の戦い」の舞台でもあり、古くから陸の・海の交通の交差点として栄えました。江戸時代には日本海沿いの街を回って大阪へ至る「北前船」が通る船のターミナル、下関を通ら...
遊郭・赤線跡をゆく

鶴岡双葉町遊郭(山形県鶴岡市)|遊郭・赤線跡をゆく|

山形県の北部、荘(庄)内地方に鶴岡というところがあります。江戸時代の北前船航路で栄えた酒田と並び、庄内地方の双翼の町として有名で、2000年以降に周囲の自治体を吸収しまくったせいか、日本でも屈指の巨大な行政体となりました。Google ma...
遊郭・赤線跡をゆく

長野新地(大阪府河内長野市)|遊郭・赤線跡をゆく|

大阪府南部、河内長野市にかつて存在していた歓楽地、長野新地の歴史を解説。新地跡を歩きその足跡を訪ねる。
遊郭・赤線跡をゆく

別府の北部旅館街(行合町の私娼窟)|おいらんだ国酔夢譚|

別府の遊郭九州は大分県別府市。日本、いや世界でも指折りの温泉都市です。温泉郷は世界中に存在するものの、一つの都市に硫黄泉から単純泉、含鉄泉まで何種類ものお湯が愉しめるのは滅多にありません。戦前は世界のBeppu、世界中のクルーズ船が訪れ、海...
遊郭・赤線跡をゆく

石巻の遊郭&私娼窟(宮城県石巻市)|遊郭・赤線跡をゆく|

石巻の遊郭の歴史江戸時代の大藩である仙台藩は、藩主の吉原遊郭通いから事が始まった「伊達騒動」の影響もあり、藩内の遊里設置は厳しく禁じられていました。ただし、「二つの地は例外」と。一つは盬竃…と書くとどこかわからなくなるので塩竃と書きましょう...
遊郭・赤線跡をゆく

稲永遊郭(名古屋市港区)|遊郭・赤線跡をゆく|

尾張名古屋には、中村遊郭という大遊里が木星のように君臨していました。妓楼100軒以上、遊女の数は1000人以上。全国でも有数の規模を誇る大遊廓です。その名古屋には、中村の他にもう一つの遊郭がありました。中村の陰に隠れてあまり語られていないそ...
遊郭・赤線跡をゆく

阿部定と飛田遊郭の「御園楼」|遊郭・赤線跡をゆく 番外編|

阿部定事件の阿部定、江戸っ子の彼女が大阪の飛田新地で働いていたことがあった。そのときの様子とは。そして彼女が働いていた飛田遊郭の貸座敷(妓楼)とは。
遊郭・赤線跡をゆく

布施の寿三郎横町と愛染小路と…(大阪府東大阪市)|おいらんだ国酔夢譚|

前回は、布施に7年だけ存在した赤線、「布施新地」を取り上げました。本来はこれで終わりのはずだったのですが、布施は私の予想を超えて深かった。今回は、布施新地の記事では書けなかった布施のもう一つの顔を…寿三郎横町と愛染小路布施には、一説によると...
遊郭・赤線跡をゆく

7年しかなかった短命赤線−布施新地(大阪府東大阪市)|遊郭・赤線跡をゆく|

中小企業が集まる大阪の東大阪市。その中心地、布施に数年間だけ存在した赤線とは。戦後の混乱期に発生した、あまり知られていない新地の話。
遊郭・赤線跡をゆく

福原遊郭と外国人遊客 |おいらんだ国酔夢譚|

遊里史の調査のため、統計書を読む機会が多数あります。統計書、それはただ読むだけでは何の面白みもない無機質な数字の海。目的なしで読むと、こんな資料の何がどう面白いのか全くわけわかめな書物です。が、ある目的を持ちながら読むとあら不思議。その数字...
タイトルとURLをコピーしました