【後編】『火垂るの墓』を血も涙もなく時代考証してみる

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歴史探偵千夜一夜

前編は、兄清太が見たという「観艦式」の矛盾を軸に、実際の海軍諸制度との矛盾を考察しました。

本編は、「本当に兄妹は死ななければならなかったのか」と軸に考察していきたいと思います。

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兄妹は死ななければならなかったのか?

元海軍士官たちが怒った核心は、兄妹のみじめな境遇とその死に方でした。
海軍士官の子供が露頭に迷って餓死なんて、海軍の誇りにかけて絶対に有り得んと。

彼らにはちゃんと根拠があります。
兵学校の同期生を海軍では「クラス」と言います。そして、兵学校・機関学校・経理学校を同年に卒業した同期を「コレス」1と言います。

クラス同士は家族ごとの緊急連絡先などを海軍が管理しており、クラス同士の飲み会は「准公務」、つまり仕事と見なされたほど。
海軍は陸軍に比べて所帯が小さい分、クラス同士の横の団結の強さをモットーとしていました。それ故に、海軍はちょっと馴れ合い・身内庇いが強かったデメリットもあったことも事実です。

違う映画ですが、『男たちの大和』で主人公が、戦死した戦友の親元に報告に行くシーンがありました。あれは善意やボランティアでやっているのではなく、戦友の死を看取った者の、軍人として最後の仕事。キザな言い方をすれば軍人としてのミクロの戦後処理。生き残った者が残りの人生を費やしてやり遂げなければならない義務なのだと。
だから死んだ方が幸せなのだ…元海軍兵曹だった祖父が言っていました。

生き残ると何人、何十人、人によっては何百人何千人分の死を背負って生きていかねばならない。その重みと罪悪感に耐えきれず腹切った(自殺した)り、精神を病んだり、世捨て人になった人は何人もいたと。
2022年、アニメ「SPY×FAMILY」でもハンドラーがほぼ同じことを言っていた時は、うええええと声が出ました。

兵・下士官でもこれです。鋼鉄の団結力と呼ばれた海軍士官が何も音沙汰なしというのは、当時の常識としては明らかにおかしい。

仮に父が重巡『摩耶』に乗っていたとしましょう。
『摩耶』は昭和191023705に沈没しています。

重巡洋艦摩耶沈没地点

沈没地点は北緯09度27分 東経117度23分。上の地図の場所となります。フィリピン領のパラワン島沖、今フィリピンと中国が領土問題で揉めているスプラトリー諸島(=南沙諸島)ではありませんか。

それはさておき、『火垂るの墓』に出てくる神戸の空襲は、昭和20年6月5日という設定で、これは原作にも描かれているので確定事項です。

レイテでの「戦死」から空襲まで、8ヶ月ものタイムラグがあります。士官が8ヶ月も行方知れずで音沙汰なし?絶対あり得ません。
清太は連合艦隊の壊滅と父の戦死(?)を知らなかったとなっていますが、仮に父がレイテで戦死となると、母には少なくても戦死公報という公文書が届いているはず。
清太に隠していた可能性もありますが、彼はものの分別がついている年齢だし、隠していたとしたら母親は軍人の妻としての義務を果たしておらず失格。

父も軍人として、明日死ぬかもしれない身。家族あて遺書は必ず書いているはずだし、自分が死んだ後の身の置き方など、母や長男である清太に再三言いつけ躾けているはず。

実在のある海軍軍人も、奥さんや子どもに事あるごとに、

(兵学校の)同期は生死を共にする仲間だから、親戚以上のお付き合いを

自分の留守中何かあれば、真っ先に同期に相談すること

と言いつけていたという記録があります2
「何か」というのは、時代が時代なので当然戦死を含めた「公務死亡」も含まれます。それが出来ていないのであれば、関西弁でいう「アホボン」を生み出した親の躾が悪い。

子供が二人で暮らす…現実に則すとこうなる

この記事を書くために、改めて『火垂るの墓』を見直したのですが、物語後半は兄妹が親戚の家から出ていき、空いた防空壕(?)で二人で暮らすことになります。
子供二人が大人の目を離れて生活すること自体、当時の社会情勢からしてあり得ないかと。

どこの馬の骨か知らない人、それもいたいけな子供二人が山の中に住んでいる。今でも警察に通報しますよね?
映画の時代でも同じどころか、隣組の「義務」です。
隣組の黒い面は相互監視と書きましたが、そのお仕事は主に不審者(特にスパイ)がいないかどうかをチェックすること。
万が一本当にスパイだったり、兵役拒否の逃亡犯だったりしたら、報告義務を怠った隣組の連帯責任です。

映画では、清太が近所の人に野菜などをおすそ分けしてもらいに行くものの、拒否られるシーンがあります。
そのおじさんは、少なくても兄妹が親戚の家から出ていって、外で二人だけで住んでいることは知っています。それで警察にも親戚にも何も言わないって、犯罪ではないけれどそれは大人としてどうかなと。
当時の常識に照らし合わせると、こういう流れになるはず。

不審者あり(兄妹)近所の人が(直接または隣組長を通して)警察に通報警察が兄妹の住み家に向かう交番で事情聴取

『火垂るの墓』を見直す前でもここまで頭の中で組み立てられたのですが、なんと!

事情が違う(イモ泥棒)とはいえ、清太は警察に捕まっているじゃないですか!

これで確信を持ちました。『火垂るの墓』のシナリオ、ここに崩壊。

アニメのこの続きを、現実に沿って妄想してみましょう。事情聴取の時、警察官は必ず

警察官
警察官

お父さんは?お母さんは?

と聞くはずです。今でも常識として聞くでしょう、ふつう。

清太はまだ連合艦隊壊滅+父が戦死(?)を知らない頃、お父さんはと聞かれると

「父は海軍士官で巡洋艦の艦長(?)やっています。名前は○○です」

とかなんとか言うはずです。

警察官は飛び上がって驚くはず。海軍士官の子供が何をイモ泥棒やってるんだと!

しかし、イモ泥棒をしているガキの口から出任せかもしれないので、念のために身分照会をします。

警官は、まずは憲兵隊に連絡し、憲兵隊が海軍に照会。
白黒はっきりつくまで清太は交番預かり。未成年なので保護するのは警察の仕事です。

警察から連絡を受けた憲兵隊は、当然海軍に問い合わせます。

海軍軍人は歴然とした身分社会でもあり、階級によって管理部署が違います。兵や下士官の人事管理は横須賀・呉・佐世保などの鎮守府ですが、士官の人事は「赤レンガ」こと東京の海軍省人事局の一括管理です。
知らせを聞いた海軍人事局は父の消息を照会しますが、ここでふた手に分かれます。

その1:父が生きていた場合
まずは、兄妹の状態がこうなっていると父親に連絡が行きます。当然保護者として処置をしないといけないですが、外地にいたり、職務の都合で自分が行けない場合は、クラスの誰かに託すこととなります。
父親に託されたいちばん近くにいる同期は代理として兄妹のもとへと急行、それなりの扶助をするはずだし、最終的な手段として自分が一時的に引き取ることもできないこともない。

その2:父親が戦死していた場合

仮に既に戦死したとすれば、まずはクラスの誰かに連絡が行きます。

連絡は基本的に、「クラスヘッド」と呼ばれたハンモックナンバー最上位であるクラス幹事に届きます。海軍省人事局は、父が兵何期か、同期のヘッドは誰で今どこで何をしているかくらい把握しています。それも人事局のお仕事。

それ以前に、昭和11年に大尉だった兄妹の父なら、現実的には中佐くらいになっているはず。佐官なら「赤レンガ」にクラスが何人かいるでしょう。会社で言えば「隣のシマ」の彼らに直接連絡することも可能です。

仮にクラス幹事に連絡が届いたとしましょう。幹事はクラス宛にいっせいに緊急電を打ちます。

クラス幹事
クラス幹事

○◎の子供がいまこんな目に遭ってるぞ!!

その後、神戸に近い地に勤務しているクラスの誰かが急行します。
本当に身寄りがなければ、クラスの誰かが一時的に預かることもあるでしょう。少なくても「はいそうですか、ではお元気で」では済ませません。
なお、クラスは現役の軍人だけでなく、すでに予備役になった人たちも含みます。

戦争中ではないですが、実際にこんなことがありました。

高橋三吉海軍大将
Wikipediaより

兵学校29期に高橋三吉という提督(大将)がいました。海軍史に精通していないと聞くことはない名前ですが、昭和11年(1936)に起こった二・二六事件発生時の連合艦隊司令長官です。
事件を知って連合艦隊を東京湾に急行させ、建設中だった国会議事堂を反乱軍が占拠したと聞き、

高橋
高橋

反乱軍などこの『長門』の主砲で議事堂ごとこの世から消してやるわ!💢💢💢

と本当に照準合わせをした人でもあります。
高橋長官が一言、「てー!(撃て)」と命令すれば、今の国会議事堂はコンクリの山となり現存せず…というくらい緊迫していたのです。

その彼がまだ30代の時、第一次世界大戦の欧州派遣艦隊の参謀として出征することになりました。奥さんを一人日本に置いて行くのは寂しいと思った高橋、クラスの一人にあるお願いをします。

米内光政

当時佐世保鎮守府勤務だった同期の米内光政(のち大将。海軍・総理大臣)に、

高橋
高橋

うちの嫁さんを東京に一人残しておくのは心配だ。心配すぎて職務に支障が出そうだから預かってくんない?

とお願いをしました。
米内も、いいよ~と二つ返事でOK。
高橋は奥さんを佐世保まで連れて行き、帰国まで佐世保の官舎で預かることになりました。

ところが、米内は米内で当時は珍しい単身赴任中だったのです。
自分の奥さんは東京に残して、クラスの人妻と佐世保で変な同居生活。

なんだありゃwww

と海軍内はもちろん、佐世保市民の間でも話題になりました。しかし、米内の人柄でヘンなウワサが立つことはありませんでした。

奥さんなら親戚か実家に預けりゃいいじゃないかと、今の常識なら思うのは当然です。しかし、そこは「近くの親戚よりも遠くの同期」なのが海軍なのです。

ちなみにこの二人は、のちに高橋が「対米強硬派3」の切り込み隊長として海軍、強いては日本を崩壊に導いていったのに対し、米内は彼らが崩壊させた海軍・日本をなんとか立て直そうと寿命を削った「対米協調派4」と真逆の道へと進むことになりますが、私生活では終始仲が良かったといいます。

盛岡の米内光政銅像

現在でも岩手県盛岡市の八幡宮には郷土の偉人として米内の銅像がありますが、建立の言い出しっぺが高橋でした。

関連ブログはこちらをどうぞ。

清太と節子が映画どおりのホームレスなら、近所→隣組→警察→憲兵→海軍(省)→クラス(ヘッド)に情報がフィードバックされます。それを知った父の同期が責任を持って引き取る。または別の親戚に預けられる。その後間もなく終戦。両親を失ったものの、兄妹は戦後も幸せに過ごしましたとさ。めでたしめでたし。

…これじゃ映画になりませんわな。

軍人恩給と貯金

また、父が戦死すると、「軍人恩給」という年金が遺族に支給されます。戦死した階級によって支給額は様々ですが、士官で戦死となるとけっこうな額が支払われます。

75年前の戦争の恩給だなんていつの話やねん…とお思いでしょうが、令和元年度でも約1900億円、令和2年度でも約1500億円の予算が計上され、約20万人が受給している現在進行系な制度です。そういう意味では、まだ戦争は終わっていないのです。

恩給の計算は総務省のHPで公開されていますが、頭の中が小学生の算数レベルで止まっている私にはさっぱりわかりません。
が、士官だと勤続13年以上が支給条件で、公務死亡つまり戦死だと年間最高約200万円支給されるようです。
総務省が物価を換算して出している数字なので、昭和19~20年もそれ相当の額が支払われた可能性があります。もし父が大佐で公務死亡なら基準は余裕でクリア、満額もらえるんじゃないですかね。

恩給(遺族年金)は、映画中の設定では兄妹に直接支給されるのですが、引き取ったあの意地悪な(?)西宮のおばさんは、保護者として年金をまるまるネコババ…もとい受け取ることも可能です。
全額はやりすぎにしても、生活費という名目で何割か自分のポケットに入れても、保護者なのだから文句は言えまい。

おそらく(今の金なら)年間数百万円、彼らが生きている限りもらえる金脈をなぜむざむざ捨てるのか。
もし私が西宮のおばさんの立場なら、彼らが家を出て行くと言っても止めます。それ以前に丁寧に扱ってかわいがります。
寝てても兄妹が生きている限り金が毎月入ってくる「人間ATM」、絶対離さへんでー。

また劇中では、母親が溜めたか家の預金が7000円もあったと清太のセリフにあります。この描写は原作にもあります。この7000円がどれだけの金額か。

日銀の「企業物価指数」という数値を目安にすると、

905.4(令和6年) ÷ 3.503(昭和20年) ≒258.5

当時の1円は今の約259円という計算になります。
7000円は現在の¥1,813,000となりますが、これはただの机上の理屈。
モノにもよりけりですが、昭和初期の価格に3000~3300(2025年時点)を掛けるとだいたい今の値段に相応した価格が出て来ると言います。
7000円だと、1円=3,000円とすると2,100万円ですが、今でも大金なのに物価が安かった当時はもっと大金。戦前の総理大臣の年収(9600円)には及ばないものの、かなり近い金額です。

当時の7000円で、一体何が買えたか。具体的なものを一つ挙げてみます。

火垂るの墓

昭和10年(1935)、神奈川県鎌倉山の約20坪の別荘が1,500円で売りに出されていました。
鎌倉山住宅地とは上流階級向けの分譲住宅地として開発され、東京の金持ちが避暑の別荘として購入したと言います。
しかし、昭和10年より「土地付き住宅」を1500円均一で販売し始め、サラリーマンなど中流にも購入しやすいような住宅の販売も開始しました。(詳しくはこちら

20坪の具体的な広さは、コンビニで計算できます。ローソンの郊外型店舗の店舗面積は60坪と会社規定で決まっており(会社HPでも公開)、セブン、ファミマもそれに準じます。
20坪はその3分の1と覚えておくと20坪の広さがつかめます。

7000円なら4軒買える計算となり、兄妹は餓死どころかここで悠々と暮らせます。ただ、お金だけでモノが買える時代ではなかったのが兄妹の不幸でしたが。

鬼のおばさんも視点を変えると…

映画では兄妹に冷たい仕打ちを与える西宮のおばさんですが、私も幼い頃激しい怒りを覚えたものです。原作でも同じなのですが、何故冷たく当たるのかの伏線が敷かれている分、まだマシかなと。
しかし、時が経って大人になり昭和史の研究を重ねると、おばさんの言うことの方が至極ごもっともに思えるのです。もっとも、言い方はちょっとキツいですけどね。

映画を見ると「かわいそう」が前に出て感情的になる上に、日本人独特の判官びいきでいかにも親戚が悪者に見えますが、あれはどう考えても清太の方があかんでしょと。
節子は4歳なので除外ですが、14歳という設定の清太は立派に動ける年齢、やはり家の手伝いくらいはしないといけない。少なくても自分から、

「何かできることありませんか?」

と言い出さないといけない。
アニメにあれこれ言うのもナンセンスですが、あの時代に食っちゃ寝は、悪いが嫌味の3つや4つ言われてしかるべき。
そして、妹を守るためにもじっと我慢し、親戚に土下座してでも置いてもらうべきではなかったか。妹を守らないといけない兄としての自覚が足りぬ。

これに関しては、私ほどドライではないですが、『映画を作りながら考えたこと』で高畑勲監督自身が同様のことを述べていました。

それ以前に、清太は家でニートをやっている場合ではありません。
戦争の長期化で街の空気が重苦しくなり、正月も祝う余裕すらなくなった昭和19年(1944)2月25日、政府は閣議でこんなことを決定します。

「原則として中等学校以上の学生生徒は、すべて今後一年常時勤労その他非常任務に出動せしめうる組織体制におく」

中学生の年齢に達した人は全員お国のために軍需工場で働けということです。
中学生が学業を投げ出して軍需工場に働きに出るのは秋以降となりますが、映画は昭和20年。畳上でのんびり寝ているヒマなどないはず。
実際、原作ではこれを理由におばさんからアニメ以上の嫌味を連発されています。

再び具体的な、実在の人物を例に挙げます。

NHKなど昭和史関連のTV番組にはご意見番としてよく出演していた、歴史家・作家の半藤一利(故人)がいます。
清太が実在で現在でも生きていれば、氏の一つ下。半藤氏の昭和戦前史=清太のものと捉えることも可能です。

半藤の昭和19~20年はどういうものだったのか。
悪ガキ旧制中学生だった19年の秋、学徒勤労動員の号令がかかり、学業はすべてストップ、零戦の弾丸をつくる海軍の工場で鉢巻巻いて働かざるを得ない状況になりました。
ただし、タダ働きではなくちゃんと給料は支給、嘘のようですが有給休暇までありました。

その後、翌年の3月10日の東京大空襲の焼夷弾の雨の中をくぐり抜け命からがら生き延び(氏の講演を聴いていると、私は生き延びる自信ありません)、父の生家である新潟県長岡に疎開します。
中学も転校するのですが、そこでも勤労動員で働いています。終戦の玉音放送も工場の中で聞いていました。

当時の14~5歳の平均的な経歴ですが、同世代の清太は一体何をのんびりやってるんだと。

ただし小母さんにも、子どもを預かっている保護者としてやるべきことがあります。

清太が父に宛てて手紙を書いたか聞くシーンがあります。
清太は「呉の鎮守府宛」に書いたと発言していますが、仮に『摩耶』乗組であれば、『摩耶』の母港は呉ではなくて横須賀。何を根拠に清太が呉に手紙を出したのかは、原作でも背景が描かれておらず不明ですが、そりゃあかんわと。

しかし、海軍士官である父親宛に出しているはずなので、鎮守府の中の人が父がいまどこにいるか確認し、手紙を転送するはず。たとえ宛先を間違えても最終的には届くと思われます。軍もそこまで非情ではありません。

いや、それ以前に…あんた(親戚)が役所通して消息確認したらんかい!と(笑

違う方向からの抗議

『火垂るの墓』の設定おかしいわ!と手を挙げた人がもう一人います。

それが高畑勲のパートナーでもあったアニメの巨匠宮﨑駿さん。
氏はガチのミリオタで、高校生にして既に軍事評論家とガチンコ議論が出来たほどの専門知識(兵器・戦史)を持ち合わせていました。

『火垂るの墓』が話題になっていた頃、彼は雑誌でこんなことを言っています。

「『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。あれはウソだと思います。(中略)
それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。それは戦争の本質をごまかしている。それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスのエリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。
神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、そのこどもを探したはずです。
それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。(以下略)」

何か異議を唱えていたということは知っていましたが、ここまで言い切っていたとは。私と同じことを宮崎氏は思っていたということです。でも、巡洋艦の艦長なんて描写、原作にもアニメにもないですが…

彼はまた、重要なことを指摘しています。それは海軍の横のつながり

陸軍が親分子分のタテのつながりなら、海軍は同期どうしのヨコのつながりが強い社会でした。『貴様と俺とは、同期の桜』という歌がありますが、あれは海軍の歌。陸軍将校があれを聞いても全くピンときません。
横のつながりは相互扶助社会という一面もありますが、反面閉鎖的な村社会ともなります。海軍の閉鎖的な一面の実例もあるのですが、ここでは書きません。

元海軍士官たちが『火垂るの墓』に猛抗議したのも、一理はあったのです。
それにしても、ミリオタというものは、興味のベクトルが軍艦や装備に向くもので、概して海軍の諸制度には無知なことが多い。逆も然りで、私のような制度史に興味がある人は軍艦、やれ大和型だ妙高型だなんてどうでもいい。
が、宮崎氏は海軍の横社会まで知っている。ミリオタにしてはかなり視野が広い方とお見受けした。

おわりに

こうして考証・考察していきましたが、こうして書いてきてあることを思いました。

映画は完璧なほど面白くない。完璧を極めると実に面白みがなくなる。不完全だからこそ面白い。

これが当たっているかどうかはわかりません。真っ赤なウソは論外ですが、多少のスキを作ってツッコミを入れられるようなスペースを敢えて作る。それも映画を作る側にとっての一つの余裕のあらわれかもしれませんね。おかげで、絶好のブログネタが出来たのだから。

こんなブログ記事もありますよ!

  1. 「コレスポンド(一致する・符合する)」の略。
  2. 小泉昌義『ある海軍中佐一家の家計簿』より
  3. いわゆる「艦隊派」。
  4. いわゆる「条約派」。
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