現在の福田遊郭跡を歩く
現在の米沢市にも「福田」という地名は残っています。が、遊郭があった場所は現在、相生町となっています。
『米沢市要覧』を紐解くと、昭和7年版の遊郭の場所は「大字福田」になっていたものの、翌年から「相生町」になっており、この時から町名が変わったことがわかります。
私が遊里跡を訪れた時、米沢は一面の銀世界。いや、足を踏み入れた初日は吹雪でした。えらい時に来てしもたもんやな…これが私の米沢駅を降り立った時の素直な感想でした。
銀世界と書くと優雅ですが、実際は雪大杉で雪国仕様の靴を履いていないと、とても歩けるものではありません。関西からダイレクトで、スタッドレスタイヤならぬノーマルシューズで来ていたら、遊里跡の前に靴屋を探す必要がありました。 雪もここまで降るととんだ「天災」だと、身をもって知ることに。
昔の地図にもある遊郭へと続く道はこれ一本です。ここから奥へ進むと…
道がS字の形に曲がっています。
S字道路を違う角度から撮影したものです。
雪が邪魔でわかりにくいですが、道がクネッと不自然な曲がり方をしてるでしょ? このS字は大正時代の地図でも確認できるので、遊郭が福田に移転した明治19年当時からの道筋であることは明らかです。しかし、廓が建設された時は何もなかった福田なら、妓楼が並ぶ大通りまでまっすぐ道を敷けばいいのにと思うでしょう。
実はこれ、遊里の「和のエンターテイメント場」としての演出なのです。 入口を狭くして、先に何があるのだろうとまず不安にさせる。次に、道をS字にし、近くにある歓楽郷のピンクの声は聞こえるけれど、目ではそれを確認できない。男の鼻息は荒くなります。 見えそうで見えない…これがオスの欲をそそるのです。
パン○ラも、モロ見えは逆に萎える、見えそうで見えないのがいちばん興奮しますし…おっと、そういう生々しい話はやめましょう。
そのS字の道の先に見えるものは…
遊郭のメインストリートです。 入口からS字道にかけては、人が二人分すれ違える程度の狭い幅にし、そこを抜けるとパッと道路が倍以上に寛くなり、そこに並ぶのは赤やピンク色に飾られた妓楼の数々…。
はい、これすべて計算済みの「エンターテイメント」だったのです。 先に書いておくと、福田遊郭跡には往事を偲ばせるものは何も残っていません。強いて言うならば、この地区の南北を貫く「メインストリート」の道幅が無駄に広いことくらいでしょう。これは「遊里跡あるある」でもあります。
周囲が一軒家や市営住宅に様変わりしてしまった中、唯一昔からありそうな建物がこれ。
錆が目立つ看板はかろうじて「菊屋旅館」と読めます。米沢福田遊郭を紹介した他のブログにも掲載されているので、知っている人は多いことでしょう。
米沢市が所有する最も古い住宅地図である、昭和36年(1961)の地図を紐解くと、「菊屋」の文字が見えます。その並びに「北斗荘」「第一新生寮」の文字も見え、おそらく戦前の遊廓の元貸座敷がアパートか下宿になったのでしょう。
しかし、「菊屋」は「菊屋」だけで地図からは「何屋」だったのか、判別はできません。 そして、良くも悪くも、福田遊郭の残滓と思われるものは、これしか残っていませんでした。
この区域の灯が消えて80年以上の月日が経った今、ここにかつて赤い灯が点る歓楽街があったことは、歴史の一部として雪の、いや土の下に埋もれてしまっています。遊里跡にある市営住宅の人に、 「ここ、かつて遊郭だったんだよ」 と伝えても、おそらくは全くピンとこないと思います。それが良いのか悪いのか、それは私の関するところではありません。 ただ…
米沢牛はめちゃくちゃ美味かったです。
山形県の遊廓は他にもこちらがあります!
・『米沢市史 近代編』
・『山形県史』
・『山形県警察史』
・『米沢新聞』米沢市立図書館所蔵
・『米沢新報』米沢市立図書館所蔵
・『よねざわ』米沢市立図書館所蔵
・『全国遊廓案内』
・『全国女性街ガイド』
・『米沢市住宅明細地図分区図(昭和36年)』米沢市立図書館所蔵
・『米沢市要覧』(昭和5~14年)米沢市立図書館所蔵
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