福田遊郭(山形県米沢市)|おいらんだ国酔夢譚|

山形県米沢の遊郭赤線東北地方の遊郭・赤線跡
スポンサーリンク

異説!米沢遊廓の最期

私が見つけた福田遊郭の最期、『米沢市史』とは展開が全く違っています。

上述の『全国遊廓案内』に記載された頃から、山形県全体の遊里が急に萎んでいきます。常識的に解釈すると、昭和の大恐慌や米の不作なども影響して山形県全体の経済が冷え込んだのかなと思われます。それが何故わかるのかって?統計書の数字がそれを物語っています。

日本全体がどん底不景気だった昭和5~6年の売上・遊客数のデータがない(県立図書館にも原本なし)のですが、米沢の遊郭も、

昭和4年(1929)売上:78,961円
昭和7年(1932)売上:26,419円
差:-52,452円

データがない間に何があった!?という程の落ち込み具合ですが、この下がり具合は年を経るにつれてどんどん落ちていきます。娼妓数も、昭和初年には40名強いたのに9年後には半分に。
景気後退説は、遊郭と並び景気の影響を受けやすい芸妓の花街や、「酌婦」と呼ばれるお水系の女性数も減っていないと理屈に合わないのですが、これが増えてもないけど減ってもない(むしろ微増)。娼妓だけガン減りは明らかにおかしい。

そして昭和11年(1936)、福田遊郭はある決断をします。 昭和11年3月20日付の地元新聞には、以下のことが書かれています。

◆公娼廃止から 福田遊郭も転向策協議

県南置賜地方の花柳街として華やかさをうたわれた米沢福田遊廓では、公娼廃止の声と共に漸次衰微し、現在貸座敷七軒娼妓十七名という閑散ぶりであり、来る六月までには更に娼妓五名の廃業を見る模様であるが、営業者は内務省、県警察部の方針を待たずして自然消滅より外に途ないので、目下転向策につき寄々協議中。

昭和11年3月20日『よねざは』

大正時代から始まった人権尊重の芽生えと共に、人身売買である遊郭に対する風当たりは全国で強さを増していきました。その女性の「主要供給地」と共に「主要生産地」でもある山形県の風当たりは特に厳しかったようです。

そして翌年の12年(1937)3月。

福田遊郭廃廓新聞記事米沢新聞
「米沢新聞 昭和12年3月23日付」1
ついに福田遊郭は「廃廓届」を警察に提出しました。

記事によると、3月31日限りで遊郭としての営業を止め、4月以降は全店が料理店に転向すると組合が決定しました。 ここに、福田遊郭の命日は昭和12年3月31日という、市史とは全く違う最期が示されているのです。
『山形県統計書』や『米沢市要覧』を紐解いても、昭和12年(1937)以降は米沢福田遊郭の文字が消えており、廃廓したのは公式の事実です。もし『米沢市史』が正しいとなると、統計書などの数字が続いていなければならないのです。しかし、それがない。

山形県米沢の遊郭

遊郭(公娼制)廃止を目指して活動していた廃娼グループ「廓清会」の機関誌、『廓清』2の昭和12年(1937)の記事ににも、

「米沢遊郭なくなりました」

と報を流しています。

私が「市史の方が間違っている」とした根拠がこれです。仮に公娼をやめて私娼窟となり娼妓が酌婦となり、それが昭和18年まで続いたと仮説を立てましょう。プロの歴史学者が監修しているはずの市史が私娼を公娼と間違えるのは、プロ野球選手が野球とソフトボールを間違えるほどの大チョンボです。
それでも市史が正しいという立場に立つ人がいれば、昭和18年まで福田遊郭が公娼として続いた一次資料を提示していただきたいものです。

戦後の米沢は?

さて、戦後になり日本の公娼制度はGHQにより廃止となります。 山形県も昭和21年(1946)の県令第三号をもって、明治から昭和初期にかけて発令された遊郭関連の法規が無効となり、公娼制度もこれにて終焉しました。
が、旧遊郭は「赤線」「青線」として昭和33年4月1日の売春防止法完全・・施行まで存在したのは、「遊郭・赤線跡をゆく」シリーズを見てくれているとわかる展開です。

山形県の赤線青線は、警察や県婦人局の説得で完全施行の前、3月20日をもってすべて赤い灯を消すことになりました。

さて、昭和12年に廃廓となった(と私は見ている)米沢は戦後、どうなったのか。赤線や青線として復活したのだろうか。
『山形県警察史』や『山形県史』には、地元新聞の記事の引用ながら、戦後の山形県赤線・青線リストがさらっと掲載されています。その中には元遊郭の名前がずらりと並んでいるのですが、米沢の文字はなし。隣の赤湯には、小規模ながら赤線が存在していたのに。

『全国女性街ガイド』には、米沢の欄があるにはあります。が、書いているのは米沢市街にあらず。

小野川温泉 米沢駅からバスで30分ほどの位置にある郊外の湯けむり郷、小野川温泉のこと。
小野小町が病気療養をしたという古い温泉ですが、その割には知名度はあまり高くないような気がします。かく言う私も、米沢に来るまでここを全く知らずだったほど。しかし泉質は日本最高級と通をうならせる場所です。

実は米沢は米沢でも、青線があったのはここ小野川温泉。山形県売春対策本部の数字にも、小野川(温泉)の名前が確認できます。
米沢市街地にも、赤でも青でもない、警察が把握していないような隠れ売春が行われていたという記事が、『米沢新聞』に出てきます。が、記事を見ると旧福田遊郭ではないっぽく、当の旧福田遊郭が戦後に赤(青)線として復活することはなかったと思われます。

NEXT:米沢の遊郭跡を歩く
  1. 他にも「米沢新報」が同じ内容の記事を記載
  2. 第27巻第9号 p38
スポンサーリンク

コメント

  1. […] 福田遊郭(山形県米沢市)|遊郭・赤線跡をゆく 福田遊郭 -山形県- 米沢福田遊廓跡、旧菊屋@米沢市、山形(2020春コロナ期遊廓廃墟旅01) […]

error:Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました