
奈良県大和郡山市には、かつて「洞泉寺遊郭」と呼ばれる花街が存在しました。
洞泉寺遊郭(又春廓)は、奈良市の木辻遊郭などと並ぶ奈良県の遊郭の一つです。
この記事では、大和郡山にあった洞泉寺遊郭の歴史と現在の様子を紹介します。
洞泉寺遊郭の概要ー場所・別名・時代
遊郭の概要は以下の通りです。
場所
洞泉寺遊郭は、大和郡山市の市街地にありました。別名で「又春廓」とも呼ばれています。
現在の近鉄郡山駅、JR大和路線郡山駅の中間にあり、どちらからでも徒歩約10分の距離にあります。
筆者が実際に歩いた感覚では、近鉄郡山駅からの方が若干近く感じます。
時代
具体的な年月は不明ですが、江戸時代後期には存在が確認され、明治・大正を経て昭和33年に廃止となりました。
洞泉寺遊郭の歴史
廓名の由来となった「洞泉寺」は、織田信長の絶頂期にあたる天正9年(1581)に作られたとされています。のちに近辺が町名となり、そこにできた遊郭も同名となりました。
江戸時代後期には6軒の店があったことが史料から確認されていますが、そのキーとなるのが洞泉寺と同境内にある稲荷神社(源九郎稲荷神社)。
そこの門前町として人が集まり、そこに廓ができたのでしょう。
近代での記録は明治12年(1879)からで、貸座敷数15〜17件、娼妓数150〜200名前後の数字を、明治〜昭和初期まで続けることとなります。
戦後の赤線も大きくは変わらず、赤線ルポライターに「お化けの出そうな厠のある遊廓」と書かれながらも、ひっそりと確実に営業を続けていきました。
そして、洞泉寺遊郭は3月15日をもってその幕を閉じることになります。
在りし日の遊郭の建物を遺して。
👉より詳しい歴史の詳細は、以下の記事をご覧下さい
現在の洞泉寺遊郭跡の姿
つい数年前まで、洞泉寺遊郭には往年の妓楼が残っていました。
数は多くないものの元妓楼の一つひとつが大きく、その存在感は抜群でした。
そのせいか、当時の遊里の雰囲気まで、まるで真空パックのように残っていました。
しばし、その写真をご覧下さい。





これだけの遊郭建築が残っていたのです。数年前までは…
残念ながら、これらの建物は現存しません。
2020年に惜しくも老朽化により解体されてしまいました。

現在はこのとおり、更地・駐車場になっています。
もったいないとは思いますが、解体前に内部見学させていただいた時の内部崩壊っぷりがなかなかだったので、解体やむなしかなと。
しかし、以下のようにまだ残っているのもあります。
遊郭入口から稲荷へと続く道の奥には、元妓楼がもう2軒残っています。

夜になったら明かりがついて「営業」しそうなくらいに、当時の雰囲気を色濃く残しております。
違う道に入ると、この洞泉寺遊郭はまた違う顔を見せます。
とにかく道が狭い所に木造3階建ての建物、当時は道の両脇にこんな建物があったはずなので、その威圧感たるやすごかったことでしょう。
東京とか大阪とかの都会ならさておき、戦前の地方で3階建てなんて高層ビル同然だったので。
👉その他の詳細は、以下のブログ記事をご覧下さい。
町家物語館ー洞泉寺遊郭跡のランドマーク
遊郭跡内には、高層ビルのように目立つ木造3階建ての建物があります。

遊郭・赤線時代は「川本楼」という屋号で営業していた実際の貸座敷(妓楼)です。
主を失ったこの妓楼を大和郡山市が買い取り、大改修を経て平成30年(2018)から「町家物語館」として公開されています。
この建物だけでもものすごい迫力ですが、内部も非常に贅を尽くされた遊郭建築。
和風建築なのに、ハートも見ることができます(笑

中にはおいしいコーヒーが飲めるカフェ兼休憩所もあるので、夏の観光で疲れた時の癒しにもなります。
外観や内部については、以下のブログ記事をご覧下さい。
まとめ

私も数々の遊郭・赤線跡をこの目で見てきましたが、洞泉寺の建物の美は最高クラスでした。
一つだけでも、よくぞここまで残っていてくれたと神に祈りたい気分ですが、それが4つも5つもとなると、日本でもそうそうお目にかかれるものではなかったです。
残念ながらそれらの建物の半分以上はなくなってしまいましたが、まだ残っているので、奈良を訪れる際はご訪問ください。
特に、町家物語館は遊郭抜きでも立派な建物なので目の保養に
👉遊郭の歴史の詳細はこちら
👉現在の遊郭跡街歩き記事はこちら
👉旧川本楼(町家物語館)の記事はこちら
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