花巻遊郭(岩手県花巻市)|おいらんだ国酔夢譚|

岩手県花巻市の遊郭東北地方の遊郭・赤線跡
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花巻の遊里跡を訪ねる

前述のとおり、花巻の遊里は先の戦争の空襲で焼けた上に戦後は復活しなかったので、当時を偲ぶ建物は何も残っていません。

宮沢賢治の生家

遊郭の手前には、あの宮沢賢治の生家跡があります。「宮沢賢治生家」という碑がありますが、現在も宮沢家の子孫の方が暮らしている民家なので中は立入禁止です。
遊廓の場所がわかってみると、生家はまさに廓の目の前。賢治も遊廓の妓楼の赤提灯を見ていたに違いありません。

花巻遊廓メインロード

ここが花巻遊廓の大通りでした。ご覧のとおり、現在は何の面影もありません。それどころか道筋も若干変わってしまい、昭和初期の妓楼配置図を見てもそこかどこか地元の図書館員もわからず、結果的に宮沢賢治の生家が目印になりました。

1930花巻遊郭貸座敷配置図

地図での貸座敷数は10軒、統計書の昭和4年の貸座敷数が10軒なので、一次資料の数字とも一致します。
花川楼だけ何故か遊廓のエリアからはみ出ているのですが、申請の時に警察の許可が下りず困った事態になったそう。結局、新築してしまったものは仕方ないと「事後承諾」になったとか。

また、地元の資料をあさっていると当時の遊廓の写真が出てきました。

昭和初期の花巻遊郭栄盛楼
(『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和の花巻』より)

「栄盛楼」の昭和初期の姿。写真から何かの祭りの時のようです。遊郭事務所代表も兼ねていたので、花巻一の大妓楼として存在感が大きかったと思われます。

花巻遊郭よか楼
(『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和の花巻』より)

こちらは「よか楼」の写真。「よか楼」は明治から続く花巻遊里の老舗貸座敷だったそうです。

1935花巻遊廓某楼の娼妓(『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和の花巻』)
(『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和の花巻』より)

昭和10年(1935)頃のある妓楼で働く娼妓たちとされている写真です。娼妓数も「水もの」で出入りが激しく、大遊廓になると数百人単位で入れ替えがあります。
花巻はどうかというと、

30人くらいの時がいちばん長かった

とは資料にある現地の古老の言。

実際に私がネットでわかる範囲の明治~昭和の統計書の娼妓数を平均してみると、約33人。古老の証言とほぼ一致、恐るべし古老の記憶。

花巻八坂神社遊廓跡にある神社

「よか楼」があった場所に、神社というにはあまりに小さすぎる祠のようなものがありました。
横にあった立て看板には遊廓のことは何も書かれておらず、祠自体も戦後築だそう。
わかっちゃいるけれど、花巻には遊里を偲ばせるものは何も残っていませんでした。

おわりに

元々は昭和レトロネタとして「マルカン大食堂」目当ての花巻行軍でしたが、仮に遊郭があったとしてもさほど資料は残っていまい。期待していないどころか、いささかナメてかかっていたために思わぬ収穫に、儲けたという気分なのが正直なところです。

宮沢賢治の生家が廓のそばにあったというのも新発見。もしかして、賢治の文や書簡などに在りし日の廓の記述があるかもしれません。今回はそこまで調べることはできなかったですが、これで十分!と思わせる今回の記事でした。

同じ岩手県、東北地方の遊郭の記事はいかがですか?


 

・『花巻町史』
・『花巻市上町の歴史』花巻市上町商業協同組合編
・『花巻史談 第11号』
・『ふるさとの思い出写真集 明治大正昭和の花巻』
・『大日本職業明細図 昭和5年 花巻』
・『全国遊廓案内』
・『内務省警保局資料 昭和5年』
・『岩手県統計書』
・『岩手日報』
・『花巻案内温泉めぐり』(国会図書館デジタルコレクション所蔵)
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コメント

  1. かまよ より:

    とても興味深く拝読させていただきました。

    当方、裏町(現在の上町ではなく東町が正しいと思います)で生まれ、妓楼配置図でいうところの、ちょうど泉楼か日の出楼のあたりに生家がありました。

    今は都内住まいですが、以前よりかつて遊郭を誘致したという当時の東町の情報を探しておりましたがなかなか見つけられず、ですが、本日たまたまこちらを見つけ(当時の妓楼の名称と配置まで載せていただき)、興奮しながら一気に読ませていただきました。

    私は、元々はカフェー建築に興味を持ち、その興味の対象が赤線跡地から遊郭跡地に広がり(但し都内に限る)、あまり地方の遊里跡については探求はしておりませんでした。
    が、つい数年前、自分が生まれ育った場所がかつて遊里だったと知り、「運命的なものを感じた」とはまさにこういうことか、と(笑)

    「全国遊郭案内」も裏町遊郭を期待して購入しましたが、実際取り上げられていたのは(貴ブログでも触れられていましたが)花巻温泉のソレで、どれだけ落胆したことか。

    空襲が裏町から遊郭を消滅させ、それ以降どこをどう探しても今の東町から遊郭の残り香を嗅ぐことはできません。
    ですが、数分に1台車が通るか通らないかという周辺の道路が、なぜか不自然なまでに道幅が広く、それが「遊郭跡地あるある」だと知った時は少し興奮しました。
    その道幅と碁盤の目のような区画だけが唯一、かつてそこが遊郭だったということを、「分かる人」だけにこっそりと教えてくれているような気がします。

    長文、大変失礼したしました。

    追伸
    ちなみに三上博史が宮澤賢治を演じた、映画「宮澤賢治-その愛-」では賢治が裏町遊郭に乱入(?)するワンシーンが観られます。

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