高橋名人の冒険島

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ファミコンを飾った名メーカー

ファミコンの隆盛は、ゲームメーカーの百家争鳴の時代でもありました。ナムコ、コナミ、エニックスにスクウェア…挙げていくとそれこそキリがありません。

ハドソン

その中に、ハドソンというメーカーがありました。バンゲリング・ベイから始まり、桃太郎電鉄やボンバーマンなど、数々の名作を世には放った名メーカーであります。世に言うクソゲーをさほど出さなかったことからも、制作陣の優秀さがわかります。

PCエンジン

ハドソンはまた、「ファミコン絶対殺すマシーン」ことPCエンジンの生みの親でもあります。
PCエンジンってNECじゃなかったっけ?とお思いでしょうが、開発はハドソンです。が、技術者集団で販売ルートがなかったハドソンが、ルートとPCのブランド力を持つNECブランドで販路に乗せたというわけなのです。まあ、ハドソンが真正面から売ったら任天堂の逆鱗に触れてしまう…という大人の事情のもあるでしょうね。

そんなハドソンも、経営破綻した北海道拓殖銀行のあの世行きの道連れにされてしまい、ライバルだったコナミに吸収され現存せず。世というものはかくも非情なものなのか。

ゲーム界の英雄、その名は高橋名人

そんなハドソンが誇った宣伝要員がいました。彼の名は「高橋名人」。

高橋名人

日本、いや世界初かもしれない「プロゲーマー」。プロといってもご本人はハドソンの社員で、ただの…失礼、プロのサラリーマンでした。「16連射」と聞けば、40代~50代は若き時の血潮にあふれた、時間を忘れてゲームに熱中したあのときを思い出すのではないでしょうか。

こどもの間で、高橋名人はたちまち大人気となりました。ゲーム雑誌の表紙になり、テレビCMにも登場し、その人気は不動のものに。今で言えばHIKAKINのような存在でしょうか。いや、ライバルがいなかった分、HIKAKIN以上だったと思います。

彼がどれだけ人気だったか。

私の周囲では、高橋という名字の男は全員、「名人」というあだ名になってしまったほどでした。女の子にはつかなかったですが、何の取り柄もなくても「名人」。そう呼ばれた高橋君は、特技もないのに名人となり、さぞかし鼻が高かったことでしょう。

今でこそe-sportsなるものがありますが、高橋名人、いやハドソンはその30年先を走っていたことになります。いや、ちょっと先走りすぎたのかも…。

 

そんなハドソンの至宝、高橋名人がどれだけ人気だったかと示す、あるゲームがあります。

 

高橋名人の冒険島

 

高橋名人の冒険島

高橋名人の名前を冠にしたゲーム、「高橋名人の冒険島」です。

一サラリーマンが冠になったゲーム、高橋名人、もはやアイドル並のサラリーマンです。しかしこれ、高橋名人という名前がついただけではなかったのです。このゲーム、一言で言ってしまえば「めちゃくちゃ面白かった」のです。

 

高橋名人の冒険島

このゲームは横スクロールのアクションゲームなのですが、実はSEGAがアーケード用に出した「ワンダーボーイ」というゲームのキャラを高橋名人に置き換えただけの、事実上の移植ものです。SEGAはゲーム内容がしっかりした、言わばハズレがないメーカーなので、ゲーム自体が面白いのはさもありなん。

ところがこのゲーム、母ゲームがしっかりしていたのと、ハドソンの驚異的な技術力で移植の完成度も高い。数十年後、Youtubeで母ゲーのワンダーボーイの動画を見てみたのですが、ゲーム内容はほぼ完全移植。よくぞファミコンのへっぽこハードでここまで移植出来たなと。移植度からして神ゲーではないでしょうか、気づいたのは33年経った今年ですが。

「高橋名人の冒険島」は、実はこれで終わりませんでした。

bugってハニー

『Bugってハニー』という、このゲームの世界観がテレビアニメにもなったのです。主人公のモデルはもちろん高橋名人。

ゲームの発売が1986年9月、アニメ放映が10月ということは、ゲームの人気に便乗したのではなく、ゲームとアニメが一つの道としてリンクした経営戦略の一環だということがわかります。が、小さなお友達にはそんな大人のこざかしい知恵などわかるわけがない。これでソフトはますます売れることに。

さらに悪ノリ…もとい経営戦略の一つか、

高橋名人のbugってハニー

ゲームまで発売されました。やはりこのゲームも「高橋名人」の冠がついていることから、当時の彼の人気ぶりがわかると思います。HIKAKINが主人公のゲームはまだないし。

ちなみに、このアニメの主人公の声優こそ違いますが、主題歌は高橋名人が歌っています。当時日本一忙しいサラリーマンだったのではあるまいか。

「高橋名人の冒険島」の悲劇

日本の子供たちに大旋風を巻き込んだ名ゲーム、「高橋名人の冒険島」ですが、それ故にある悲劇をもたらしました。深刻な品薄を引き起こしたのです。

Wikipediaによると、このゲームは約100万本しか出荷されなかったそうです。100万本も!?と思う方もいるかもしれませんが、当時は猫も杓子もバブル経済に浮かれていた1980年代後半、100万本なんて雀の涙程度です。

このゲームの数ヶ月前に発売された『ドラゴンクエスト』初代が149万本、続編のⅡが241万本でした1。また、1987年発売の初代『ファイナルファタジー』が52万本でしたが、『高橋名人の冒険島』はドラクエやFF人気以上の人気があり、100万本は明らかに少ない。

面白くないゲームを意味する「クソゲー」という言葉があります。その名フレーズを生み出した語源のクソゲー、メーカーでさえクソゲーとお詫び…いや開き直ってNINTENDO Switchにまで移植された『いっき』が、当時100万本「売れた」そうです。30年経った今でも語り継がれる伝説『いっき』でこれです。当時のバブル経済の恐ろしさがわかるでしょう。

なので、100万本出荷…したのではなく100万本しか出荷しなかった『高橋名人の冒険島』は、全国で品薄を起こしたのは言うまでもありません。おもちゃ屋はソフトが買えない子供たちの阿鼻叫喚であふれ、

何故入荷しないんだ!!

親からの理不尽なクレームに、おもちゃ屋は頭を抱えた風景が目に浮かびます。

このゲームをGET出来た人は、私の地域ではヒーローと化し、持っているだけで大人気。おうちが毎日お友達で満員御礼となっていたことは、私が書くまでもないでしょう。
そして、買いたくても買えなかったあのときの悔しさを今になって改めて噛みしめている方も、読者の中にいるかもしれません。

そして34年の光陰が去った現在、このゲームにはとんでもない値段がついています。

 

『高橋名人の冒険島』でワイワイ盛り上がった時代から30年以上の時が経ち、それを生み出したハドソンは上述の通り今はなく、高橋名人もすっかり頭の毛がなくなってしまい、時の早さを感じます。が、あの楽しかった日々は決して私だけではないはず。

もしかして、このブログを見て、懐かしいな~と目を細くしている人も少なくないはずです。

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  1. ドラゴンクエスト シリーズ出荷数より。
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