大阪新世界のゲームセンター「ザリガニ」でレトロゲームな一時を!

大阪のレトロゲーセンザリガニ昭和レトロゲーム
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新世界にあるレトロなゲーセン

通天閣とコテコテ臭に包まれたDEEPゾーン大阪新世界。大きなお友達たちの日常生活で失った童心を揺さぶるコテコテのレトロゲームセンターが、その一角に存在します。その名は…

「ザリガニ」

新世界ザリガニの地図

「ザリガニ」の場所は、地下鉄と阪堺線の恵美須町駅(恵美須町交差点)から通天閣へ続く道の、ちょうど中間に位置します。

夜の通天閣

恵美須町駅から、通天閣を目印にこの道をまっすぐ行くと、

大阪新世界のゲーセンザリガニ

この看板が目印!

大阪新世界のゲーセンザリガニ

向かって右側にこのような店が見えます。そこが「ザリガニ」。写真はビニールカーテンがあるので夏の写真です。

大阪の古いゲームのゲーセン

中には1980~90年代に一斉を風靡したゲームがビッシリ。1970~80年代前半生まれの方は、子供の頃に見たあのゲーム、このゲームにおおはしゃぎ。目から汗が止まらない懐メロならぬ懐ゲーの博物館です。
私の青春の約10ページがこの一角に沈殿している…初めてここを訪れた時、社会の荒波に呑まれ落としてしまった何かを見つけた感覚を覚えました。

コロナ前には、黒髪の老若男女だけではなく、赤髪金髪の外国人観光客の姿が徐々に増えていっていました。外国人アレルギーを持ってる方は一度ここへいらっしゃい、ゲームで血まなこになったりはしゃいでいる姿を見ると、なんだ同じ人間じゃないかと。
彼らも、国は違えど同じゲームに熱中し、青春を熱く昇華していたのです。英語…いやヨーロッパの言語には、意外にも「懐かしい」を表現する単語が存在しないのですが、たとえ言葉にならなくても、ここで「懐かしさ」は十分に感じたことでしょう。
コロナ騒動が一段落ついたら、またインターナショナルなザリガニさんを見たいものです。その時は私も白河の関を越えて参じましょうぞ。

ここからは、「ザリガニ」にはどんなゲームがあるのか軽く紹介を。

新世界のレトロゲーセンザリガニ

私が最初に「ザリガニ」と出会ったのは、約3年前。当時は写真のように、1階部分にレトロゲームがギッシリ詰まっていただけでした。写真は実際のほぼ3年前の姿です。
これはこれで「昔のゲーセン感」満載で大好きな雰囲気だったのですが、現在は3階まで拡張され、ゲームの数も数年前に比べると激増しています。よくぞここまでなつかしのゲームを集めたな…元ゲーム小僧の私は感無量です。

「ザリガニ」各階構成

1階:○○ゲームのパラダイス

2階:1階天国2階は…○xー○x○○ゲーム地獄

3階:○○ゲームの宝庫、修羅の國

「ザリガニ」1階-そこはあの伝説のゲームが!

上述のとおり、一階はいわゆる「体感ゲーム」コーナーになっています。「体感ゲーム」という言葉自体が昭和臭ムンムンな死語ですが、80年代90年代にゲーセンで遊んだ大きなお友達が見てびっくりなゲームが揃っています。

レトロゲーセンザリガニ大阪新世界

玄関でお出迎えは、90年代の体感ゲームの数々。銃で撃ちまくるゲーム、ありましたね~。VIRCUA COPはむしろ私は中国でやりまくり、それから20年以上、実際にやってみると不思議なほど身体が覚えていました。俺やるやんと、己の潜在能力に酔ってしまいました。

大阪新世界ゲーセンザリガニ

いつの間にか「電車でGO」までありました。それも1台だけじゃなく4台も!ザリガニさん、そんな無理しなくていいのよ…と心配になりそうな気合いの入りようですが、私はここまでのゲームになるとついていけません。

しかし、こんな程度で驚いてはいけません。「ザリガニ」の本気がわかっていない。ゲーム小僧号泣不可避のゲームをこれから紹介します。昭和の青春時代、ゲーセンに入り浸り百円玉を機械に吸い込まれたみなさん、ハンカチの用意はいかがでしょうか。

ナイトストライカー(タイトー)

ゲームの中には、ゲームの内容より音楽の方が印象に残っているというものも、多数あります。

ファミコンゲームのザナック

たとえば、ファミコンやMSXなどで登場し、ゲームのスピード感と音楽がマッチして現在でも語り草になっている「ZANAC」が良い例です。今でも私はたまに聞いているほどの名曲ですが、ゲームの中身というと、シューティングだった以外はとんと覚えていません。

今回紹介する「ナイトストライカー」も、音楽が神がかっているゲームの一つです。1989年、バブル絶頂期に登場した3Dアクションゲームですが、内容とBGMがマッチしすぎて、これを聞きながら阪神高速環状線を走ると、ボタンを押して前の車を撃墜したくなります。同じことを考えている人がいるのか、このゲームをBGMにした首都高の夜景をようつべにアップしている人がいます。

タイトーナイトストライカーザリガニ大阪

「ザリガニ」のすごいところは、ゲームだけでなく筐体まで当時のままということ。よくこんな筐体手に入れたもんやわ。
そんな思い出多きナイトストライカーですが、ハンドル…もとい操縦桿を握るのは30年ぶり。懐かしさのあまり視界に雨が降ったのか、画面が歪んですぐ終わってしまったのですが、それでも心は充ち足りてホクホクしているのは何故だろう。

アウトラン(SEGA)

セガのアウトランって…あのOUT RUNか!?

名前を聞いただけで目のキラキラが中学生に戻っている50代以上が必ずいるはず…そうです、あの・・アウトランです!
これが残っているだけでもニュースになっていても不思議ではない驚きですが、それも驚くなかれ、あの・・筐体です!よくぞこの世に残っていた…。有形登録文化財として文化庁に申請すべし。

SEGA OUTRUN

鼻息が荒いままで申し訳ないですが、「アウトラン」は1986年に登場したゲームで、内容は良くも悪くもドライブするだけ。しかし、このゲームが伝説たるゆえんは、車系ゲームといえば狂ったようなF1系しかなかった当時、「良くも悪くもドライブするだけ」が新鮮に捉えられた「癒やし系ドライブゲーム」だったのです。

もう一つの理由が、やはりBGM。この挿入曲“Magical Sound Shower”が非常に軽快感がありゲームの雰囲気に合い、ゲームミュージック界の神曲第1号的な作品でした。ゲームミュージックゆえに知る人しか知らないのが玉に瑕。その他の曲もゲームのドライブ感にマッチし、私は現在でもiPhoneに入れて聞いています。
OUTRUNの名曲の数々(ってか全部名曲ですが)は以下をどうぞ。

新世界のザリガニでのアウトラン

あの伝説のアウトランが、30年以上の時を経て21世紀の大阪新世界で蘇る!
これだけでも胸熱ですが、筐体がそのまま残っているだけでレトロ度は倍返しどころか100倍返しです。いつやるの?今でしょ!

しかし!さすがに30年以上のご老体、ところどころにガタ・・が出ています。

SEGAアウトランザリガニ

筐体左側にギアチェンジのレバーがありますが、そこをガチャガチャさせるのは禁止です。ギアガチャもアウトランの醍醐味じゃないか!といきり立つ人もいるかもしれませんが、人間なら「要介護」なほどのご老体に無理をさせてはいけません。

アウトランはみんなのゲーム遺産、壊れたら元には戻りません。使用上の注意をよく読んでお遊び下さい。

アフターバーナー(SEGA)

昭和62年(1987)に製作した3Dシューティングゲームです。数ある体感ゲームの中でも傑作中の傑作、ゲーム界に大きな風穴を開けたと言って良いほど、子供たちがこのゲームにかじりつきました。

おまけに、こちらは音楽までもが超傑作。車に乗っていた頃はアフターバーナーのサントラを車のHDDに入れ、運転時に聞いていました。高速道路に乗った時に聞こうものなら、前の車をロックオンしてミサイルで撃破してやろうかと思うくらいの中毒感は、前述のナイトストライカー並み。いや、ナイトストライカーは夜限定、24時間営業のアフターバーナーの方がヤバい。

そんなアフターバーナーまで、ザリガニにはあったのです!ゲーム好きなお友達必見!アフターバーナーが30年の眠りを解かれ通天閣の下でよみがえる!

ザリガニアフターバーナー

それも、これも筐体付き!これもこれでよく残ってたもんだと、プレイの前に手を合わせたくなります。
私は中学生の時、この筐体で狂ったようにやっていました。当時は100円ではなく200円。バブル時代とは言え当時のガキの200円はかなりの額。なけなしの200円がこのゲームにどんどん吸い込まれ、小遣いがなくなり親によく怒られていました。
そんな苦い思い出も含めて、「アフターバーナー」は非常に思い入れが深いゲームであります。まさかこの筐体でプレイできる日が来るとは。

しかも、これだけで驚いてはいけません。

ザリガニアフターバーナー

「ザリガニ」さんには、なんとこれが3台もあるのです!
聞いた話によると作り主(SEGA)でさえも2台しか所有しておらず、3台所有は日本、いや世界唯一。これを拝みに行くだけでも「ザリガニ」さんに行く価値は十分。
しかし、よくこれだけ集めたな…と感心を超えて唖然としてしまいます。

で、こちらもかなり久しぶりに操縦桿を握り、若き日の思い出と共に筐体の中でタイムスリップしよう…年齢には勝てないのか、頭の中ではBGMをハミングしながらミサイルをヒョイヒョイ避けてるはずなのに、反射神経がついていけず。脳と末梢神経の指令の伝達が上手くいっていないようです(笑

記事をこちらに引っ越し作業を行いながらここまで書いた時点で、あることを思いました。

筆者
筆者

「アウトラン」「アフターバーナー」があったら…「スペースハリアー」もあったらな…

アウトラン(1986年)、アフターバーナー(1987年)が残っているだけでも、跪いて神に感謝を捧げたいほどの奇跡なのに、さらに古いスペースハリアー(1985年)はさすがに私でさえ筐体の現物を見たことがないほどの古さ。あったら昭和の体感ゲーム三種の神器が揃うトリプル役満。
ここまで来ると揃って欲しいな…アウトランとアフターバーナーで充足しろオレ。
でも、さすがにあれはこの世に残ってはいまい。あったら世界遺産級でユネスコに登録ものやで。

ザリガニスペースハリアー
(画像:ザリガニさんのTwitterより)

なんですとぉ~~~~~!!!!

私の心の声が届いたのか、やっちまったザリガニさん。ついにゲーム界のアトランティス大陸を掘り当ててしまったようです。神よ、奇跡が起こりました、アーメン。
スペースハリアーは、私などが解説する必要もないほどの有名ゲーム。これをやる、いや、拝むだけでも新世界に、ザリガニさんに来る価値はあります。
もう私は店内にゲーム神社を造りたい気分です。

ダライアス(タイトー)

私が個人的に推したいゲームがあります。それが「ダライアス」

新世界ザリガニダライアス

内容はただのシューティングゲームですが、ダライアスの個性はこの馬鹿でかい筐体。ディスプレイを贅沢に3つも使った、まことに化物な筐体なのです。

「ジオンの精神が形になったようだ」はガンダム0083のアナベル・ガトーのセリフですが、ダライアスは「バブル経済が形になったようだ」と言いたくなる筐体。アーケードゲーム界の戦艦大和と申し上げてもよろしい。

タイトーはこの他にも、「ニンジャウォーリアーズ」「ミッドナイト・ランディング」などの怪物筐体を輩出しましたが、めっちゃ真面目な話…当時これ1台定価なんぼやったんやろか?
こんな電気代バカ食い不可避のモンスターが、町中のゲーセンにあった…それがゲーム史サイドから見たバブルという時代だったのです。

これもこれで、バブル崩壊で捨てられた筐体はずなのによく残ってたなと感心してしまうのですが、

大阪のゲーセンザリガニとダライアス

どこかで長い眠りについていたようです。旧石器時代の打製石斧を掘り当てました!的扱いですな。
バブルを体感したことがない平成生まれの人は、是非「ザリガニ」でこのジオンの精神が…ではなく、バブル経済が形となったゲームに1980年代を感じては如何でしょうか。おっさんどもがガキだった頃、こんな贅沢なゲームをやってたのかという現代日本経済史の現物標本、それがダライアスです。

1階にあるゲームのうち、個人的にこのゲームが面白かったです。

2020ザリガニ1f大追跡

警察24時よろしく各都市で頻発する犯罪集団を銃で取り締まるゲームなのですが、次元こと小林清志さんが「警察24時」風にナレーションしてくれる豪華さ。
その上、センサーがついていてしゃがむと実際に画面の視野・角度も変わる優れもの。これは1ゲームやるとなかなかの運動量です。40過ぎのおっさんがやるとけっこう息が切れます。
しかし、レトロゲーセンがモットーの「ザリガニ」がこんな”新作”ゲームを置いてて良いものなのか…と調べてみたら、これ20年前のゲームだったのねん。
(※ツイッターによると、2020年12月現在故障中とのことです…)

1階には他にも懐かしの体感ゲームが目白押しですが、何があるかは…行ってみてのお楽しみ!1階だけでもお腹いっぱいすぎて眠くなるほどですが、「ザリガニ」の恐ろしいところは、まだ2階と3階があるところ。

レトロゲーセンザリガニ新世界二階

以前来訪時にはなかった、1階から2階へと上がる階段。階段を上がった先に私が見たものは!

NEXT⇒2階にはこんなゲームたちが!
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コメント

  1. ドリームランド.JP より:

    女社長のザリガニさんですねえ。みさき公園が閉園の時はだいぶ持ち出されました。あのVS機も隠してあるはずです。

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