遊郭・赤線跡をゆく番外編-「旅館すずめ」に泊まるっ!(大分県別府市)

旅館すずめ風呂 遊郭・赤線跡をゆく
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遊郭に泊まろう

何のためにやってんの?となにかと後ろ指をさされる遊郭・赤線史家にとっての楽しみの一つは、「遊郭に泊まる」ことであります。

お題そのままの本も出ています。

ただ、言っておきたいことが一つあります。「遊郭」とは公的に売春が認められた区域のことで、かつて堀や壁によって物理的に囲まれていたことから、くるわと呼ばれていました。そこにあった建物は、近代以降は「貸座敷」であり、「妓楼」とも言い、また「遊女屋」とも。「遊郭」とは言いません。上記の本も、敢えて「遊郭」とタイトルにした意図があるのだと思いますが、そうでなければ筆者と編集者の無知。間違った用法が広まっているので、一つこの機会を借りて書いておこうと思います。

閑話休題。

「遊郭に泊まる」とくれば、戦前からの妓楼建築とイメージすると思いますが、戦後の赤線時代の建物にも宿泊できるところも存在します。

 

別府の遊郭


九州は大分県別府市。日本、いや世界でも指折りの温泉都市です。温泉郷は世界中に存在するものの、一つの都市に硫黄泉から単純泉、含鉄泉まで何種類ものお湯が愉しめるのは滅多にありません。戦前は世界のBeppu、世界中のクルーズ船が訪れ、海軍の連合艦隊は数ヶ月の猛訓練後の骨休めに別府に碇を下ろすのが毎年恒例でしたが、現在の知名度はどうなんでしょうか。こんな温泉都市、唯一無二だと思うのですがね。

そんな別府にも、当然のことながら遊郭が存在していました。それも、さすがは世界のスパワールド…ではなく温泉郷、一ヶ所ではなく町の至る所に存在していました。

そして遊郭だけではありません。『全国遊廓案内』などのオープン資料では1ヶ所しか掲載されておらず、内務省の内部資料も2ヶ所のみ。

まあそんなはずはなかろう…と思っていたら、やはりその隙間を縫うように私娼窟も存在していました。私娼窟リストの内部データを見ると、歓楽街名リストかと見間違えるほどの町名目白押しですが、その中に「行合町」の名もありました。これから紹介する「すゞめ」の所在地です。具体的な数字は、「別府市」で包括されていて不明ですが、戦前から存在していたことは、一次資料から確認済みです。

さて、時代は戦後になり、公の遊廓の裏街道に隠れざるを得なかった私娼窟が、めでたくメジャーデビュー。別府は日本有数の大赤線・青線地帯となりました。一時は「夜はうかうか男一人で歩けない」ほどだったとある本には書かれています。

「行合町」、当時の地図には「吉原歓楽街」と表記された仲間通(り)には赤線時代、数十件もの「貸席」が並んでいたと言います。そうそう、大分の特飲街は特飲街にあらず、「貸席街」です。『全国女性街ガイド』には行合町も仲間通りも書かれていないですが、「駅前から左に入った野口、(中略)32軒、108名」と書かれた「野口」がそうだと思われます。

くどいですが、別府の赤線はここだけではなく、旧遊郭を含めるとそれこそ「山ほど」存在していました。当時の住宅地図を重箱の隅をつつくように見てみると、確かにあちこちに「貸席」が点在しています。が、私も正直、多すぎて把握しきれません。

 


北部旅館街旧仲間通り赤線

かつては鼻息の荒い男どもで賑わっていただろう旧赤線は、現在、「北部旅館街」として静かな通りとなっています。仲間通り赤線に限らず、別府の赤線は売防法施行後、貸席という旅館向けの間取りということもあって旅館に転業したものが多かったようです。元々観光都市というのもあって、旅館はいくらあっても困らない土地柄もあったでしょう。

北部旅館街もほとんどが旅館に転業、「旅館街」という看板もあるとおりかつては(転業)旅館が軒を連ねていました。

しかし、現在は「ちとせ」と、今回紹介の「すゞめ」しか残っていません。

いや、近年のインバウンドの影響か、ここ数年出来たと思われる、明らかに外国人向けのゲストハウスが何軒かここ界隈に固まっているので、この表現はいささか語弊があるかもしれません。ただ、旧仲間通りにはこの2軒しかないということで。

 

旧仲間通りを歩く

本題に入る前に、旧仲間通りを歩いてみます。

北部旅館街(旧仲間通り赤線)

まだ赤線時代の建物がポツポツ残っています。こちらはGoogle mapのストリートビュー1では「あおしま」という旅館の看板が掲げられており、つい最近まで営業していた形跡があります。惜しくも今は看板も撤去され営業はやめてしまったようです。

昭和29年(1954)の地図によると、おそらくここは「玉松」という屋号の貸席だと思われます。

 

北部旅館街(旧仲間通り赤線)4

北部旅館街(旧仲間通り赤線)5

こちらは「福住」という貸席跡。

 

北部旅館街(旧仲間通り赤線)2

全面は何の変哲もない家でも、奥行きがやけに奥まっているのとこの丸窓…ここも元貸席で、当時の住宅地図によると「笑福」という貸席でした。

 

なお、かつて「新日本DEEP案内」様で紹介されていた元貸席の「かおり(香織)」ですが、「すゞめ」のお母さんによると主人の高齢化で福祉施設へ行かざるを得なくなり、廃業したとのこと。上の写真の手前、駐車場になっているところあたりに、元の建物があったはずです。

□参考記事(有料Note)

なお、「遊郭跡」「行合町遊郭」と書かれていますが、行合町は私娼窟であり(内務省の資料より確認済み)遊郭であった記録は全くありません。(近代)遊里史を本気で調べている人は、遊郭と私娼窟の違いくらいは頭の中で明確にしておきましょう。ま、まあ、やってることはどっちも変わりないんですけどね。

NEXT:本題の「すゞめ」へ…

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  1. 2018年6月撮影とある。
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