【後編】淡路島の鉄道-廃線50年後の姿を追う

野良歴史家の歴史探偵
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淡路島に鉄道が走っていた

前回、ふとしたことから淡路島の鉄道のことを知り、記事にしました。

淡路島に鉄道が走っていたなんて知らなかった!

という声がありましたが、それは仕方ない。廃止されて既に51年が経ち、鉄道の痕跡すらほとんどなくなっていますから。

しかし、地元の人の間では世代から世代へと語り継がれているようで、かつて鉄道が走っていた道を、今でも「電車道」と言っています。

 

洲本には「市立淡路文化史料館」という歴史博物館があるのですが、そこには淡路鉄道の写真の絵葉書が、5枚一組¥250で売られています。

その中には、珍しいカラー写真もあります。

 

淡路交通鉄道線(淡路鉄道)カラー写真

 

淡路鉄道カラー写真

淡路島の鉄道の電車って、こんな色してたんですね。

ここから淡路島の鉄道(淡路交通鉄道線)のことを掘って行こうと、図書館と郷土資料館で資料集めとなりました。

 

まずは、サクッと淡路島の鉄道の歴史を年表にまとめます。
(下をクリック)

淡路島の鉄道史
■淡路島鉄道史明治29(1896)年7月4日 軽便鉄道敷設願を提出(ルートは、洲本を中心とした、福良・由良・志筑間)
同日 淡路鉄道株式会社創立

■明治31(1898)年6月30日 鉄道敷設却下(当時の逓信大臣の末松謙澄による)
同年11月 淡路鉄道株式会社解散 株主に資本金返戻

■明治44(1911)年12月 賀集新九郎ら地元の名士が鉄道敷設願再提出

■大正元年(1912)年10月25日 洲本~福良間の敷設許可が出る

■大正3(1914)年4月 淡路鉄道株式会社「再」創立

■大正11(1922)年11月26日 宇山~市村間で営業開始

■大正12(1923)年11月22日 市村~賀集間開通

■大正14(1925)年5月1日 宇山~洲本間開通
同年6月1日 賀集~福良間開通(全線開通)

■昭和7(1932)年5月 ガソリンカー運転開始

■昭和18(1943)年6月 国策により全淡自動車と合併
同年7月 淡路交通と改称
同年11月 洲本駅増改築

■昭和21(1946)年1月 洲本~岩屋間鉄道建設申請書提出

■昭和23(1948)年1月 南海電鉄から電車5両購入

■同年2月11日 電車運転を開始

■昭和26(1951)年8月 国衙踏切で電車とバスが衝突。死者2名、重軽傷者7名

■昭和30(1955)年9月 自動信号機を全線に設置

■昭和31(1956)年3月 南海電鉄より電車2両購入

■昭和32(1957)年12月 洲本駅改築。洲本観光会館新設

■昭和35(1960)年7月 阪神電鉄より電車2両購入(木造電車置き換え)

■昭和40(1965)年9月 集中豪雨により路線が寸断

■昭和41(1966)年8月 鉄道線廃止を運輸省に提出(のち認可)

■同年9月30日 さよなら運転(全線無料で開放)

■同年10月1日 廃止

 

淡路島の鉄道の父

この淡路島の鉄道建設に尽力した人物に、賀集新九郎がいます。淡路鉄道の創始者にして初代社長、淡路島に鉄道を作るために人生を賭けたと言っても言い過ぎではない人物です。

今の南あわじ市最大の地主だったという賀集家は、新九郎のお父さんが明治に鉄道敷設を申請しますが、上の年表のとおりいったん却下されます。

その意思を引き継いだ新九郎は、再び淡路島に鉄道を建設すべく東京へ何度も向かい、役人を説得したと言います。
その甲斐あって許可が出たものの、今度は第一次世界大戦後の不景気で資金不足に。新九郎は、私費をはたいて建設費を捻出し、無事完成に至らしめたとのことです。

 

その後、賀集新九郎の功績をたたえ、淡路鉄道本社に「表功碑」が建てられました。

 

賀集新九郎氏表功碑

 

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現在は、地元の賀集八幡神社の中に移転されています。

賀集新九郎の邸宅は戦後も残っていたのですが、のちに火事になり跡形もなくなってしまったそうです。しかし、淡路島でも指折りの大地主の家だけあって、まるで城のようだったという記録が残っています。

 

昭和初期の洲本市街と洲本駅

洲本市立図書館所蔵の、昭和初期の洲本市街の写真です。洲本城がある三熊山から撮ったものです。
鉄道と関係ない写真ではありますが、赤い矢印のところに洲本駅がありました。その左側にある、煙突がある建物は鐘紡(カネボウ)の紡績工場で、今のエディオン洲本店やレンガの建物がある場所です。

 

昭和初期の淡路鉄道

洲本川を渡る蒸気機関車です。昭和初期の写真。

 

福良駅の柱にあった俳句

淡路島は俳句が盛んなところらしく、松尾芭蕉の最古参の弟子であった服部嵐雪(1654-1707)は今の南あわじ市出身、江戸時代後期には農民が俳句同好会を作って句会をやっていたそうです。

そのせいか、駅の柱に俳句が飾ってあったそうです。これは福良駅のもの。

 

戦後の洲本港の賑わい

昭和30年代の洲本港です。夏になると関西各地から観光客がやってきて、大賑わいだったと聞いていますが、この写真を見ても賑わいが感じ取れます。それより、船が定員オーバーちゃうの?(笑

それでも写真を見る限り、客の積み残しがあるようです。正直、今の洲本を見ているとこの光景と人だかり自体が信じられない気分です。

NEXT:淡路島の鉄道跡、まだまだ続く

 

コメント

  1. 望郷太郎 より:

    最後の写真、駐車場がある埠頭から洲本城の方を撮影した写真ですね。
    写真右上の遠くに見える建物はホテル海月?宿泊した時ずいぶん年季の入った建物だなと思いましたが、もしかして、この写真に写っている建物と同じ建物?なのかもしれません。そりゃ、年季が入っているはずですね。

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