実際に嘆きの壁を歩いて探してみる
まずは、飛田新地の大門から商店街沿いに北へ進むと、早速壁の一部が残っています。

大門から道一本分北の方にある所の門柱と壁です。

更にこの壁を追って釜ヶ崎の奥へと進むと…これは旧遊廓の北門にあった門柱及び壁の一部です。

隣のアパートとほとんど一体化しておりよ~~~く見ないとわからないですが、奥に壁が残っていることがわかります。
商店街の奥のこんな小さな穴のような小道を奥へ進むと。

かなりはっきりと壁が残っています。これが当時のままの壁なら、剥き出しになった骨組みから鉄筋コンクリートの強固な壁であったことがわかります。

壁だけなら刑務所かベルリンの壁か外国の城塞都市の城壁ですね…(汗
そんな城塞都市ならぬ「城塞遊郭」が大阪にあり、今でも「城壁」が残っている…何も知らない人が見たらただのコンクリートの壁ですが、見る人が見たらものすごい歴史の遺物なのです。
偶然か、「ベルリンの壁」と「飛田の壁」の高さはほぼ同じ約5mです。もしかして、科学的か習慣的に「人に登る気を失わせる威圧感がある、かつ向こう側が見えない高さ」というものがあり、それが「約5m」なのかもしれません!?

資料の通り5mくらいかなと思いますが、実際に見たらそれ以上の大きさを感じます。それくらい「威圧感」…そんな存在感は今でも残っています。
逆に、大門より南にも、わずかながら壁の跡を見つけることができます。戦前の昭和初期の地図を見てみたら西側には壁がないっぽいけれどど、まあそれはあり得ないでしょう。

他にも探してみましたが、住宅に阻まれていたりとこれ以上は確認できませんでした。
が!2025年、「壁」に新たな展開が!
2025年3月追記:壁の一部が現れた!筆者は現場へ
2025年1月、飛田商店街沿いの一部の民家が取り壊しとなり、「壁」が白日のもとにさらけ出されました。
こんなチャンスは見逃すべからず!当時は台湾の高雄遊郭の探索中で台湾へ渡っていたのですが、帰国後すぐに現地へ向かうことに。
今回丸出しになったのは、「嘆きの壁」の北西部分。

近年、ここまで壁が間近を見、感じる機会はなかったのではないでしょうか。

「嘆きの壁」は戦争などによる外敵の侵入防止目的ではないので、厚さは実はそんなことはない、むしろペラペラの紙ということが、ここからわかります。


ここ、実は…

建物が撤去される前の姿がこんな感じだったのです。
こちらも空き地ができたことによってさらけ出された「壁」。
こちらは壁の中、つまり旧遊郭側からの撮影で「壁の向こう」は娑婆となります。

飛田新地の南側にも壁が…
ここばかりクローズアップされますが、近年壁が剥き出しになったのは何もここだけではありません。

南側にも、このように壁が剥き出しになっている場所がありました。
民家と一体化されているため、ぱっと見くらいならただの家の壁と思われるため、見逃している人も多いんじゃないでしょうか。

こうして角度を変えて見てみると、明らかに「壁」というのがわかりますね。
飛田界隈も家屋の老朽化などで再開発される可能性があるので、さらに壁を目にする機会が増えるかもしれません。
そして、いつの間にか取り壊されてなくなっていることも珍しくないので、写真に撮っておき、現地で現物を見てみましょう。
まとめ

廓と娑婆を分けた境界線は、運河や川などが中心ですが、飛田の「嘆きの壁」は現存する仕切りとしては非常に珍しいもの。実際に見てもこれといった特徴もないただの壁ですが、耳を澄ませると数々の名の知れぬ遊女たちの「嘆き」が聞こえてくるかもしれません。
廓は「一度出たら二度と生きて出られぬ」などと言われていました。
実際は、特に飛田遊郭が設立された大正時代にはそんなこと全然ないのですが、それでも病気などで出られず死んでいった名もなき遊女たちの薄幸の人生に思いを馳せるのも、遊郭・赤線跡探偵としての思いの一つであります。
飛田新地を歩くときは、ぜひその「壁」にも注目してみてください。

他の遊郭のお話はこちらでありんす
遊里史関連書籍(特に飛田)
- 設立された当時は住吉区 ↩︎













