焼津の赤線(静岡県焼津市)ー嗚呼、銀水楼|おいらんだ国酔夢譚|

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焼津の赤線跡を歩く

焼津駅前の観光案内所で自転車を借り赤線跡へ向かっていると、釣り具や漁の網の修理請負など、いかにも港町らしいお店が目につきます。
もう一つ目につくのは、東南アジア系とおぼしき外国人。彼らが話す言葉を聞くと、おそらくフィリピン・マレーシア・インドネシア系の言葉。私が言葉を聞いた限りでは、近頃多いベトナム人ではなさそう。漁業に携わる研修生が、GWの最中なので漁も休みでしばしの休日を愉しんでいたのでしょうか。

自転車に乗り県道416号線を北上すること約10分、お目当てのエリアに到着します。自転車で10分なので、電車で訪れた方は駅から歩きはちょっとしんどい。なので、駅前でレンタサイクル(\500)を借りるのがベストです。500円くらいケチるな(笑

自転車で現地に着き、自転車を止めた私の目に前にあらわれたのは、草に外壁を囲まれた何かのお店らしきもの。まるで植物園の一角かと見間違うほどの「もじゃもじゃ」ぶり、これは人工物であるということくらいしかわかりません。

2020年12月に訪問したレトロな風景を訪ねてさんから、ブログの写真借りるで~と拝借し、横に並べて対比させてみました。私が訪問したのは2022年5月なので1年半の月日しか過ぎていませんが、わずか1年半なのにこの姿ざまよ…。まるでBefore アンド Afterです。
ところで、住宅地図ではこの位置にあったお店、「みしま」という屋号でした。これが赤線当時の建物だったかどうかは、いかんせん「もじゃもじゃ」なので判定は避けますが、この「もじゃもじゃ」が逆に赤線地帯に強烈な個性を発しているオンリーワンとなっています。

焼津の赤線跡のはつね

「はつね」の文字が見える旅館らしき建物。昭和34年(1959)の住宅地図にも同じ場所で同屋号の店があるので、その建物に間違いありません。

焼津の赤線跡にあるまつば
赤線時代の屋号が残る建物

こちらは「まつば」という屋号が外壁に残っている建物。住宅地図にも記載がある特飲店の亡骸です。入口を少しのぞかせていただくと、前に「まつば荘」という文字がかすかに書かれており、最近までアパートとして使用されていたのでしょう。赤線廃止後はアパートに転業したのだと思われます。現在は、人が住んでいる気配がなさそうです。

焼津の赤線跡にある銀水楼

しかし、焼津赤線跡最大の見ものは、タイトルにもある「銀水楼」。私が東京からの西行でわざわざ静岡で新幹線を降り、各駅停車に乗り換え焼津に立ち寄った理由はシーフードでも温泉でもなく、この「銀水楼」。

焼津の遊郭に残る妓楼の跡

屋号がまだ残る玄関。昔はここの主のようなたたずまいだったかもしれません。

静岡県焼津の遊郭赤線跡にある銀水楼

THE赤線の象徴と言えるようなタイルの円柱が、玄関で遊客たちを出迎えていました。鮮やかな水色が海の街らしい。しかし、このタイルは下地の木に張り付けただけだったんですな。

しかし、その姿は崩壊寸前。既存サイトの方の画像を脳裏に焼き付けて臨んだのですが、予想以上の崩壊っぷりに言葉が出ませんでした。荒れるがままに任されたその姿は、妓楼の死体が誰にも拾われることなく公の場で放置プレイされているような、そんな痛々しさを感じます。

いっそのこと、ひと思いに…

そんな声が聞こえてきそうです。

正直、見に行って写真に収めておくなら今のうちです。台風が直撃するか大きな地震が来たら、そのまま倒壊するのは不可避な程度にまでは崩壊しています。私も、なんとか間に合ったようだ…というのが本音です。

赤線跡の公園には津波避難用の高台があるのですが、そこからは焼津の港と太平洋が一望できる絶景スポットとなっています。私は高所恐怖症なので絶景かな絶景かななんて余裕はなかったのですが、焼津の港が一望なら赤線跡も一望できます。なので、他のブログとはちょっと違った角度から赤線跡を撮影してみました。

おまけ

焼津の駅前には、たこ焼き屋があったりします。

焼津のたこ焼き屋たこ焼き&スマイル
焼津のたこ焼き屋 たこ焼き&スマイル

たこ焼きは、大阪を代表するソウルフードとして全国にその名を知らしめていますが、地方で食べるたこ焼きはほとんど「大阪”風”」。特に東北に住むと、「たこ焼き」の文字が見えて食べてみても、たこ焼きの姿をし、たこ焼きという名前がついた別の食べ物な場合がほとんど。
老後は軽ワゴン改造してたこ焼き屋台作って東北を巡回しようかな…関西人が芋煮を知らないように、東北の方々もほんまもんを知らんやろ(こりゃぁいけまっせ!?)と捕らぬ狸の皮算用が芽生えたりもしていますが、それくらい「競争相手がいない」状態です。
よって、生まれた時から通算1万個以上は食っているはず知らんけどの本場大阪人をうならせるたこ焼き屋は、地方に出るとなかなかお目にかかりません。

しかし!

ほんまもんの大阪のたこ焼きやった

ここはなんと、ほんまもんの大阪のたこ焼きでした。スタッフもみんな大阪人、ノリも大阪人そのもの。まさか焼津でたこ焼きどころか、大阪弁を聞くとは全くの予想外。スタッフさんも、客が大阪弁しゃべりよったってびっくりしてましたけど(笑
焼津でマグロを食う算段のはずがたこ焼きとなってしまったものの、久しぶりのたこ焼きに故郷への哀愁が増幅されました。当時、旅の終点は愛知県でストップのはずが、

筆者
筆者

や、やっぱ大阪に帰ろうかな…

と翻意しそうになったほどに。

いつか、焼津の名物がシーフードではなく「ほんまもんの大阪たこ焼き」になる日を夢見ながら、私はたこ焼きの余韻に浸りながら西行きの電車に乗り込み、焼津の地を離れました。

他の遊郭・赤線の記事はこちら!

・『焼津市史』
・『焼津市商工名鑑 1954年』(焼津商工会議所)
・『赤線深く静かに潜航す ステッキ・ガールという名の淑女たち』梶山季之
・『漁都 焼津市明細図 1959 昭和通り名店街庇完成記念』
・『静岡県の赤線を歩く』(八木富美夫氏著)
・『全国遊廓案内』
・『静岡県警察史 下巻』
・『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦栄光の生涯光人社〈NF文庫〉豊田穣著
・『文藝春秋別冊 太平洋戦争 日本軍艦戦記』
・古今東西舎ブログー「焼津(弁天と呼ばれた赤線地区)瀬戸川沿い」
・レトロな風景を訪ねてー「マグロとカツオと黒はんぺんの街「焼津」の赤線跡を歩く」
・お散歩日記-焼津港の遊里

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