先日、といっても先月ですが、「天王寺駅の怪」で、現在はJR阪和線となっている阪和電気鉄道(以後阪和電鉄)の数奇な歴史を紹介しました。
この私鉄は、ほんの10年強という短命でした。以前にも書いたように、ふつうならとっくに記憶の彼方に放置されていてもおかしくありません。
しかし、その強烈な個性は沿線の人々の記憶に強く残ることになります。
その中の一つの変わり種に、警笛があります。
阪和電鉄の電車の警笛は「(南海と比べて)やさしい音色だった」、和泉市の郷土資料に書かれていた沿線住民の回想です。
「やさしい音色」…ふと思いついたのが、電子警笛やミュージックホーン。でも現代ではなく80年前の話。戦前にそんなものが存在するわけがない。あったらとんだオーパーツです。
私の乏しい想像力では「やさしい音色」がどんなものか、表現どころか想像すらできませんが、一度タイムスリップしてその音色とやらを聞いてみたいものです。
現代に残る阪和電鉄の遺構
ところで、阪和電鉄の面影が残る遺構は、今ではかなり少なくなりましたが、天王寺駅以外にもまだ残っています。
駅舎であれば、
「天王寺駅の怪-前編」で少し取り上げた「泉ヶ丘住宅地」の最寄り駅である東佐野駅には、私鉄時代の駅舎が健在です。
改札を出た先には、ホームへ続く階段が。昨今のバリヤフリー糞食らえな構造ですが、この階段に何気なく高級住宅地の駅の貫禄というものを感じさせます。
和歌山県との県境に近い和泉砂川駅(東口)は、阪和電鉄の駅舎に顕著だった「三角屋根」。こちらも戦前からの生き残りだと思われます。
2018年の高架化完成、新駅舎使用により消えた東岸和田駅の旧駅舎も、阪和電鉄の面影を残していました。
しかし、東岸和田駅にはこんな資料があります。
建設当時の東岸和田駅のブループリント(設計図)です。当時は阪和岸和田という名前でした。こう見ると、旧駅舎は輪郭は建設当時のままだけれども、屋根の形など細かいところが違っています。時期は全く不明ですが、少なくとも1回は改築されているものと思われます。
そんな東岸和田駅も高架化で立派な新駅舎に変わり、旧駅舎の向かって左側にあった郵便ポストが、旧駅舎がそこにあった記念碑のように、ぽつんと残っています。
かつて東岸和田旧駅舎の屋根の下をくぐって通勤していた一人として、一つだけ孤島のように残るこのポストを見ると少しおセンチな気分になります。
意外な私鉄時代の遺構
鉄道関連に興味がない人は、まず気づくことはない阪和電鉄時代の遺構が、穴場のようなところに存在します。
それは「架線柱」。
電車の電気を通す架線の柱のことですが、阪和電鉄の架線柱はひと目でわかるような、独特の形をしていました。
これを知った当時、最寄り駅だった東岸和田駅には、まだその架線柱が残っていました。
私のiPhoneの画像データの奥底の奥底に眠っていたものです。この架線柱、いつかブログネタになるだろうと長年保存しておいたものです。
もちろん、現在は残骸すら残っておりません。「くろしお」「はるか」が通過などしようものなら、風圧で吹き飛びそうなほど狭かった殺人下り線ホームと共に、それは過去の伝説として知る人の記憶の中にのみ留まっています。
その架線柱が現存するいちばん近い場所はどこか。探してみたところ、あそこに現存していることが判明。これはすぐ向かうっきゃない!
私の足は、意識の先をゆき、すでに駅の改札口へと方向を進めていました。そして着いたところは…
大阪の南にある「長滝」という駅。
阪和線と関西空港線が分かれる日根野駅から、たった一駅だけ和歌山寄りにあるだけの駅です。が、日根野を過ぎるととんだ田舎…失礼、一駅違うだけで、「都会感」から離れた静かな雰囲気が残っています。
お隣の駅の関西空港バブルを横目で見ていただけだったこともあり、我々には幸運なことに阪和電鉄時代の駅舎がそのまま残っています。
駅舎の天井も木造で、建設当時の面影を残しています。個人的感触ですが、今に残る阪和電鉄時代の駅舎のうち、いちばん雰囲気を残しているかもしれません。
もう一つ雰囲気を残しているのが、この幅が異様に狭いホームです。在りし日の東岸和田駅ホームも、地元では「殺人ホーム」と呼ばれていたほど狭かったですが、ここもかなり狭い。特急がフルスピードで通過したら、たぶん吹き飛ばされます。
このやたら幅が狭いホームは昔の私鉄にはよくあったもので、少し前までは、けっこう残っていました。が、ここ10年来、JRが金にものを言わせて改修しまくっているので、長滝駅が阪和線に残る私鉄時代そのままの最後の一つかもしれません。
ただしこの駅、戦前そのままの構造と雰囲気を残す分、バリアフリーなんざクソ食らえです。体の不自由な方に全然やさしくありません。
ここまでやって来た目的は、駅舎ではなく架線柱。早速チェック。
なんのことはない。どこにでもあるただの架線柱やんか。
…と思うでしょ?
まずは、この画像をご覧下さい。
どこにでもある、JRの架線柱です。コンクリート製です。
対して長滝駅にある架線柱は下の通り。
違いがわかりますか?
そう、長滝駅の架線柱の方は、先が細くなっています。
これが実は、阪和電気鉄道独特の架線柱なのです。戦前戦後、平成、そして今を生き抜いている私鉄時代の証人です。
10年前くらいまでは、私鉄時代の架線柱がけっこう残っていました。しかし、建てられて80年も経って老朽化が激しいのか、JRが急速にメンテし出して柱が取り替えられ、今はあまり残っていません。
在りし日の東岸和田駅ホームの架線柱も、例外に漏れずこの「阪和式」でした。写真に撮っておいてよかった…今となっては心からそう思います。自分なりにで良いから、保存はしておくものです。
長滝駅には、その架線柱がまだ3本も残っています。これだけ固まって残っているのは、かなり貴重です。
ネットで調べても古い情報しかなかったので、長滝駅に残っているかどうかはちょっとしたギャンブルでした。残っていたらラッキー、なくなっていても仕方ない。
しかし、このギャンブルは私の勝ちだったようです。
ちなみに、長滝へ向かう紀州路快速がうまい具合に座れなかったので、和泉府中駅~長滝駅間に阪和電鉄時代の架線柱が残っているか、運転席の後ろに陣取って柱をすべてチェックしました。はい、胸を張って言います。一本残らず全部確認しました。
すると、この間にまだ、2本だけ残っていました。すでに絶滅したかと思っていたのでビックリ。ただし、かなり希少価値ありの「絶滅危惧種」には変わりありません。
興味がある方は、関西空港へ行くついでにでも、チェックしてみましょう。
…ってそんな物好きいないか。
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コメント
鉄骨式?の架線柱、私鉄買収線区には結構あります…東京なら南武線・青梅線・鶴見線ですか。東日本震災前の仙石線にも結構ありました。