現在のJR阪和線である阪和電鉄は、ほんの10年強という短命でした。
ふつうならとっくに記憶の彼方に放置されていてもおかしくありません。
しかし、その強烈な個性は沿線の人々の記憶に強く残ることになります。
その中の一つの変わり種に、警笛があります。
阪和電鉄の電車の警笛は「(南海と比べて)やさしい音色だった」、和泉市の郷土資料に書かれていた沿線住民の回想です。
「やさしい音色」…ふと思いついたのが、電子警笛やミュージックホーン。でも現代ではなく80年前の話。戦前にそんなものが存在するわけがない。あったらとんだオーパーツです。
私の乏しい想像力では「やさしい音色」がどんなものか、表現どころか想像すらできませんが、一度タイムスリップしてその音色とやらを聞いてみたいものです。
意外な私鉄時代の遺構
鉄道関連に興味がない人は、まず気づくことはない阪和電鉄時代の遺構が、穴場のようなところに存在します。
それは「架線柱」。
電車の電気を通す架線の柱のことですが、阪和電鉄の架線柱はひと目でわかるような、独特の形をしていました。
これを知った当時、最寄り駅だった東岸和田駅には、まだその架線柱が残っていました。

東岸和田駅は高架化され、現在は残骸すら残っておりません。
「くろしお」「はるか」が通過などしようものなら風圧で吹き飛びそうなほど狭かった殺人下り線ホームと共に、架線柱も過去の伝説として知る人の記憶の中にのみ留まっています。
その架線柱が現存する場所はどこか。
実は何カ所か残っています。

美章園駅の近くはじめ、天王寺駅からの高架線にも、このようにけっこう残っています。

阪和電鉄時代の駅舎がそのまま残っている「長滝」という駅。
阪和線と関西空港線が分かれる日根野駅から、たった一駅だけ和歌山寄りにあるだけの駅です。が、日根野を過ぎるととんだ田舎…失礼、一駅違うだけで、「都会感」から離れた静かな雰囲気が残っています。
ここまでやって来た目的は、駅舎ではなく架線柱。早速チェック。

なんのことはない。どこにでもあるただの架線柱やんか。
…と思うでしょ?
まずは、この画像をご覧下さい。

どこにでもある、JRの架線柱です。コンクリート製です。
対して長滝駅にある架線柱は下の通り。

違いがわかりますか?
そう、長滝駅の架線柱の方は、先が細くなっています。
これが実は、阪和電気鉄道独特の架線柱なのです。戦前戦後、平成、そして今を生き抜いている私鉄時代の証人です。
10年前くらいまでは、私鉄時代の架線柱がけっこう残っていました。しかし、建てられて80年も経って老朽化が激しいのか、JRが急速にメンテし出して柱が取り替えられ、今はあまり残っていません。

在りし日の東岸和田駅ホームの架線柱も、例外に漏れずこの「阪和式」でした。写真に撮っておいてよかった…今となっては心からそう思います。自分なりにで良いから、保存はしておくものです。

長滝駅には、その架線柱がまだ3本も残っています。これだけ固まって残っているのは、かなり貴重です。
長滝へ向かう紀州路快速がうまい具合に座れなかったので、和泉府中駅~長滝駅間に阪和電鉄時代の架線柱が残っているか、運転席の後ろに陣取って柱をすべてチェックしました。はい、胸を張って言います。一本残らず全部確認しました。
すると、この間にまだ、2本だけ残っていました。すでに絶滅したかと思っていたのでビックリ。ただし、かなり希少価値ありの「絶滅危惧種」には変わりありません。
他にも…

山中渓駅や、

鳳駅構内にもしれっと残っています。あまりにしれっとすぎて、今の今まで気づかなかった…。
今のところ撤去などの予定はないと思いますが、もうすぐ築100年のこの架線柱の今後はどうなるのかに注目です。
阪和線以外にもある「戦前の架線柱」
この阪和電鉄時代の柱、先が尖ったタイプは阪和電鉄独特のものかと思っていました。
が!

JR神戸線、正式名称山陽本線の兵庫駅付近の架線柱も同じ形をしていました。

神戸の空襲直後or終戦直後と思われる兵庫駅付近の写真と比較しても、架線柱は全く変わっていないことがわかります。

また、阪和電鉄のライバル南海電鉄、いや、高野線だから高野山電気鉄道か、の架線柱も極楽橋駅ではこのとおりでした。

それだけではなく、高野山へ登るロープウェイの架線柱も同じ形をしていました。
たかが架線柱、されど架線柱、なかなかに奥が深そうです。

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コメント
鉄骨式?の架線柱、私鉄買収線区には結構あります…東京なら南武線・青梅線・鶴見線ですか。東日本震災前の仙石線にも結構ありました。