日本の鉄道は、海外に比べてかなりバラエティがあり、海外のコアなファンも予想以上にいます。
海外では「鉄道マニア」でひとくくりに出来るものが、日本の社会学者が鉄道マニアをマジメに分類したら30種類以上に分かれてしまったことからも、日本の鉄道文化の裾野の広さを物語っています。
中でも、列車種別の多さは我々も困惑するほどの多さ。海外は基本、シンプルに「特急」「急行(あるいは快速)」「各駅」という風なのですが、日本はそこに「区間急行」「快速急行」「快速特急」など多種多様。いちおう”Semi Exp”(準急)など英語表記がついていますが、”Rapid Exp”(快速急行)なんてこれ、
Rapid Service(快速)とExpress(急行)のどっちやねん!?
ってテンパってるやろな~と。
どこの私鉄とは申しませんが、かつては「区間準急」などというまことに意味不明な種別もあり、リアルで見た時は大いに
準急がそもそも「区間急行」の意味やん?それ準急でよくね??
と思ったものです。
それはさておき、過去の鉄道にも様々な列車種別がありました。ちょっと珍な種別を挙げると、近鉄にあった「区間快速急行」、名古屋鉄道にあった「高速」、JR西日本の阪和線にあった「B快速」など。B快速って社員食堂のランチメニューちゃうんやから(笑)と登場した時は思ったものです。
そんな列車種別カオス日本の鉄道150年の歴史の中でも、前代未聞、それも1年で消えてしまった幻の列車種別がありました。今日はそんなお話を。
阪和電鉄の列車種別
昭和4年~15年まで存在していた阪和電鉄、といってもJR阪和線として現存していますが、には以下の列車種別に分かれていました。
ふつうの私鉄と何ら変わらないのですが、そこはネタ満載の阪和電鉄、そうはいかぬと非常に珍な列車種別を用意してくれていました。それが今回の主役、「直急」です。
世にも奇妙な列車種別、直急
昭和11年(1936)4月1日、阪和電鉄はダイヤ改正を行いました。そこであらわれたのが、今回の主役、直急でした。
この妙な名前の種別の由来はこんな感じです。
当時、天王寺~和歌山間を走り抜く各駅停車は「直通」と呼ばれていました。正式な列車種別ではないようで、時刻表には書かれておりません。
もちろん、その他にも区間内の各駅停車が存在していたのですが、その中に阪和岸和田行きのものも走っていました。阪和岸和田は、お察しのとおり現在の東岸和田駅です。なお、以下阪和岸和田は「岸和田」と表記します。
前年の昭和10年当時で、天王寺発岸和田行き各駅は11:00-22:40の間に10本設定されており、だいたい1時間に1本程度の運転間隔でした。
その岸和田行き各駅を、データイムだけ和歌山まで延長運転してやろう…そんな発想(?)から生まれたのが直急でした。
当時の時刻表から
しかし、この直急、Wikipedia先生にも「あった」ということは記されています。が、それを見たものはネット上にいないのか、証拠がネット上に存在しません。
そんな最中、私はヤフオクであるものを落札しました。
阪和電鉄昭和11年の時刻表です。「四月一日改正」と書かれています。
84年の風雪に耐えたその時刻表の表紙は、黄ばみなど汚れこそ目立っているものの、実際に触るとかなり質の良い紙で作られており頑丈に作られています。阪和電鉄、こんなところにも金をかけていたのだなと、鉄道経営に賭ける意気込みを感じさせます。
『阪和電鉄の歴史』で解説した超特急や『黒潮号』の名前が時刻表に並んだ、阪和電鉄の黄金期の一幕がこの昭和11年だったと思われます。
その中に…
お目当ての直急もありました。
天王寺発は、10:11発が始まりとなり、午後3:10まで1時間ヘッド、6本/日の運行になっています。
停車駅は、上述したとおり天王寺から岸和田までは各駅停車として運行されました。が、岸和田からは急行に様変わり。現在の快速は熊取や日根野などにも停車しますが、当時の急行は阪和砂川(現和泉砂川)と紀伊中ノ島のみ。今風に言えば、「逆紀州路快速」みたいな感じでしょうか!?
「直急」の終焉
昭和11年に華々しいデビュー(?)を迎えた直急でしたが、翌12年のダイヤ改正では影も形もなくなり、阪和岸和田行き各駅停車に戻っています。
これはどういうことか?
単に客がいなかったのでしょうね(笑
その後、この迷な列車種別が復活することは二度とないまま、南海山手線から国鉄、そしてJRへ。現在でも復活するという話は出ていません。そりゃそうか。
阪和電鉄の記事は、他にもこんなものがあります!
・『阪和電気鉄道史』竹田辰男
・阪和電鉄 昭和11年時刻表
・『鉄道ファン』昭和50年11月号(通巻175号)