阪和線山中渓駅の怪【阪和線歴史紀行】

山中渓駅阪和線の歴史紀行

大阪と和歌山を結ぶJRの阪和線。天王寺駅を出発して大阪府側の最後の駅に、山中渓という駅があります。

山中渓駅駅舎1

駅前には何もないことはなく、人家も点在しているものの、大阪府というカテゴリーの中ではかなりの秘境駅の部類となる場所に存在しています。
駅舎は昭和5年(1930)に開業した当時の様相を残しています。阪和電鉄らしい三角屋根などの特徴はないものの、どこか老兵のような雰囲気を醸し出しています。
こんな山奥の駅なので、1日平均乗降者数は阪和線どころか府内JRの駅の中でも最下位。しかし、大阪市内のあの駅よりは多いんですけどね。
なお、現在駅舎は工事中で新駅舎が作られるらしく、阪和線の歴史を見つめてきた駅舎が見られるのもあとわずかとなっています。

山中渓駅の次の駅はもう和歌山県。和泉山脈のトンネルを抜けると、そこは雪国…ではなく紀の国和歌山です。

ここは桜の名所(花見スポット)として大阪では知らない人はいないだろうほど有名で、「駅で花見ができる」と謳われていますが!

山中渓駅と花見

実際にやっている人がいます(笑
(写真はコロナ前です)

 

山中渓駅前大衆食堂王家
(Google mapストリートビューより。写真撮るの忘れてた…)
花見とトレッキングシーズン以外は閑静な元奥座敷の駅前には一軒、大衆食堂があります。山中渓駅は和泉山脈トレッキングコースの起点となっているため、こんな所…と言ったら失礼ですが、こんな所に食堂って需要があるのです。「大衆食堂」と書かれていますが店名は「王家」、上から目線なのが素敵です。

 

山中渓駅ホーム

ご覧のとおり、現在のプラットホームは対向式の構造となっています。
が!昔は2面4線だったとしたらどうしましょう?

今日はそんなあなたの知らない山中渓駅の秘密を。

 

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山中渓駅の謎-戦前の折り返し電車

2019年は阪和電鉄開業90周年とのことで、和泉市で阪和電鉄の企画展示会が行われていました。

 

和泉市阪和電鉄展示会

和泉市もかなり気合いが入っていたか、展示物は非常に貴重なものばかり。特に幻の逸品とされている『阪和ニュース』の現物(といってもコピー)を見た時のボルテージは最高潮に達し、肝腎の「メインディッシュ」を忘れるところでした。

その「メインディッシュ」とは、阪和電鉄を調べる時には避けられない『阪和電気鉄道史』の著者であり、阪和電鉄(線)研究一筋半世紀の竹田辰男氏の講演会。
「歩く阪和線Wiki」のお話を直接聞けるとあって、館内は満員御礼の人だかりでした。今年なら「密です!」と行政指導が入りそう。

その中に一枚、興味深い写真がありました。

山中渓駅戦前ハイキング電車

そもそも何故、阪和電鉄はここに駅を作ったのか。
阪和電鉄は和泉山脈の山々を「紀泉アルプス」登山と大々的に宣伝していました。今回は略しますが、ハイキングしようぜ!的なパンフも多数刷り、登山客を誘致していました。
特に昭和10~11年にかけてはレジャーとしての登山ブームも起きたようです。阪和電鉄がそれを見逃すわけもなく、山中渓駅を紀泉アルプス登山の起点駅と位置づけ、週末には天王寺からノンストップの臨時列車まで走らせていました。
上の昭和11年のパンフにはその列車の写真も残っているのですが、ホームを歩くハイキング姿の紳士淑女の姿が映っています。

で、ここで素朴な疑問が。

Wikipediaによると、現在の駅は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、分岐器や絶対信号機がない停留所に分類されるとなっており、停留所である以上ここを起点とする列車は設定できないはず。
しかし、写真を見ると明らかに島式ホームやん…阪和電鉄時代の山中渓駅って折り返し設備があったの?そんな仮説が頭をめぐりました。

『阪和電気鉄道史』の著者竹田辰男さんにぶつけてみると、

私

山中渓駅は戦前、2面4線だったのですか?

竹田氏「はい、そうです!」

はっきりとした回答でした。竹田氏によると現在でもホームは「当時のまま」…これはどこかに「かけら」が残っているかもしれない…。「生ける阪和電鉄Wiki」からのお墨付きをもらった今、「山中渓駅の怪」を解かねばならない。

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