朝鮮を走った暁の超特急「あかつき」

朝鮮総督府鉄道の高速列車、特急「あかつき」 歴史探偵千夜一夜
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朝鮮を走った高速特急列車 「あかつき」

「特急 あかつき」

こう書くと、かつて関西〜九州(長崎・佐世保)間を結んだ寝台特急ブルートレインを想起する人が多いと思います。
これも一度乗りたかったし、乗る機会もあったのだけど、乗れないままなくなってしまったのが残念。

それはさておき、「あかつき」の名は戦前にも数年間ながら使われていた時期がありました。

満洲写真帖より朝鮮半島の地図と特急あかつき

といっても、使われていたのは当時は「外地」と呼ばれていた朝鮮半島のこと。

朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)のロゴ
鮮鉄のロゴ

日本統治時代の朝鮮の鉄道は、多少の私鉄はあったものの、ほとんどが総督府の鉄道局、いわゆる「鮮鉄」ほぼ一手に担っていました。

鮮鉄は昔から、内地から満洲への交通の廊下として重要視され、昭和に入ると支那(中華民国)との連絡も兼ね、ますます重要となっていきました。

朝鮮旅行案内記よりひかり
急行『ひかり』

今では東海道・山陽新幹線の列車名として定着している「ひかり」「のぞみ」ですが、戦前は朝鮮〜満洲行きの急行列車が発祥で、北京へは同じく急行「大陸」が、東京〜下関間の特急・急行、そして関釜連絡船と接続して運行されていました。

「ひかり」「のぞみ」については、こちらの記事をどうぞ。

しかし、京釜(京城(現ソウル)〜釜山)間の輸送量の増加という課題に直面した鮮鉄は、同区間を高速で結ぶ列車の運行を計画し始めました。

高速運行のため徹底的に軽量化された車両に加え、VIPの乗車にも堪えられる豪華さという一見矛盾した課題、今ならアルミ車両ですべて解決ですが、に取り組んだ鮮鉄は、特注車両を完成させ、「あかつき」という名を与え、昭和11年(1936)12月1日から運行を開始しました1

朝鮮半島を走った朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)自慢の超特急あかつきの展望車
『半島の近影』より

既存の列車が急行なのに対し、「あかつき」は特急という一段上の位を与えられました。資料によっては、「超特急」と書かれたものもあります。
鮮鉄の歴史、空前にして絶後、そして唯一の「特急」でした。

なぜ「あかつき」という名前なのか?

じゃあ、なぜ「あかつき」なのか。朝鮮なら「アリラン」でもいいんじゃないか(笑
私が調べた限り、朝鮮総督府の文献にも記載がなかったのですが、ある推測が考えられます。

吉岡隆徳。暁の超特急。朝鮮総督府を走った特急「あかつき」もここから名付けられたと思われる。

「あかつき」が登場する4年前のロサンゼルスオリンピックで100m走で6位入賞を果たし、短距離走のスターだった吉岡隆徳という選手がいました。
この快挙と走りっぷりから、新聞記者は彼にこんなあだ名をつけました。

「暁の超特急」

文献によっては「あかつき」を超特急と書いていることもありますが、おそらく吉岡の「超特急」に吊られて書いたものと思われます。

「あかつき」のダイヤ。釜山〜京城の高速っぷり

どれだけ高速だったのか、当時の時刻表を見てみましょう。

昭和15年、1940年の時刻表より。東京から下関、釜山から朝鮮の特急・急行の時刻表。
1940年時刻表より

「大陸」:8時間20分
「のぞみ」8時間40分
「ひかり」::8時間10分

そして「あかつき」は7時間15分

Wikipediaによると、「あかつき」が釜山桟橋〜京城間を6時間45分で結んだとされています。
が、1940年の上の時刻表だと7時間ちょっとオーバー。あれ?

朝鮮総督府鉄道局の特急あかつき『高梁は招く : 満洲開拓青年義勇隊視察録』

同年に発行された滋賀県の満蒙開拓団視察のスケジュールに記載の「あかつき」は、8月6日乗車で釜山桟橋7:05→京城13:45と同区間を6時間40分となっています2
また、昭和13年(1938)の大阪商工会議所の慰問団の記録によると、同じ「あかつき」でも釜山桟橋6:50→京城13:353。こちらは所要6:45とWikipediaの記述通り。

これで答えが出ました。

上述の時刻表は10月改正のもので、満蒙開拓団が乗ったのは8月
満蒙開拓団が乗ったのはダイヤ改正前、10月でやはりスピードダウンしていたのです。

気になる特急あかつきの釜山〜京城間(450km)の料金は:
・3等:7円+急行料金75銭=7.75円
・2等:12円63銭+急行料金1円50銭=14.13円4

1等の料金は書かれていませんが、戦前の官鉄料金は3等→2等→1等で倍々ゲームになっていくのが基本なので、おそらく21.5円あたりといったところでしょう。

同時期の東京〜大阪間を『燕』に乗った場合の料金と比較してみましょう。

東京~大阪間の各等料金

3等車:6円06銭(特急料金:2円)=合計8円06銭
2等車:12円12銭(同:4円)=16円12銭
1等車:18円18銭(同:6円)=24円18銭

今の物価に換算は難しいですが、だいたい3000を掛けると今の値段に近いと言われていますが、昭和初期の旧制中学卒の事務員の初任給が30〜35円だった時のこの値段なので、おいそれと出せる値段ではありませんね。

「あかつき」のポスターに載ったある人物

鮮鉄が「あかつき」を看板列車としてアピールしたかったことを示す、ある写真があります。

朝鮮総督府鉄道の特急「あかつき」に写るモデルとしての崔承喜(チェ・スンヒ)
『半島の近影』より

「あかつき」と写る美女三人…筆者もXのフォロワーさんに指摘されて気づいたのだが、右端の背の高い女性は日本時代の朝鮮を代表するダンサー、崔承喜だった。

崔承喜と特急あかつき
Wikipediaより

日本統治時代の朝鮮でその才能を見いだされ、現在でも伝説のダンサーとしてその名が知られている彼女は、「あかつき」運転開始の昭和11年には海外公演も果たすなどキャリアハイの絶頂期でした。
そんな彼女を、朝鮮総督府が「イメージキャラクター」に採用したというわけで。

今で言えば、JRの新列車のアピールに、売れっ子女優の広瀬すずや新垣結衣を採用するようなものですね。

朝鮮半島を走った朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)自慢の超特急あかつきの展望車
『半島の近影』より

「あかつき」の「高速性」と同時に求められた「豪華性」の象徴、展望車の写真の右側手前から2番目の大柄な女性も崔承喜じゃないかと。
ちなみに、彼女の身長は170cmがほぼ公式になっていますが、本人いわく165cmだったそうな。といっても、当時の女性にしては相当大きな方でした5

木偶坊伯西
木偶坊伯西

お次は「あかつき」に使われた車両。展望車にあった「ある設備」とは?

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