洞泉寺遊郭〈又春廓〉(奈良県大和郡山市)|遊郭・赤線跡をゆく|

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戦後の洞泉寺遊郭

戦争が終わって戦後の赤線時代へ。

かの『全国女性街ガイド』(昭和30年)にも「郡山」として記載がありますが、

奈良市のすぐ近くだが、暮色蒼然たる、お化けの出そうな厠のある遊廓が二十軒ほど固まっている。旅の人は六百円でも泊めてくれる。
美形はいなくとも、心情はこもっていて後朝(きぬぎぬ)の別れなど、古典的。

『全国女性街ガイド』より

郡山のどちらとは書いておらず、洞泉寺か東岡町のか、これではどちらかわかりません。

ただ一つのヒントは、最寄り駅の「国鉄奈良線・郡山下車」という記述。
「奈良線」は正しくは関西本線(JR大和路線)。「奈良線」は明らかに間違いですが、国鉄、現在のJRの郡山駅が最寄りの遊廓は洞泉寺の方で、東岡町の最寄り駅は近鉄郡山駅の方。実際歩いたらわかりますが、東岡町の最寄り駅を国鉄郡山駅にするには、相当な無理がある。

状況証拠だけですが、作者が行った(と思われる)「暮色蒼然たる、お化けの出そうな厠のある遊廓」は洞泉寺の方ではないか!?と推測しています。まあ、どっちもお化けが出そうなとこではあるけれど。

赤線時代の洞泉寺を語るもう一つの資料が、自治体公認の歴史書である『郡山町史』に残されていました。

それによると昭和21年(1946)4月19日の公娼の廃止と共に「特殊料理店」となり、翌年8月6日は法により「特殊喫茶店」、26年9月からは再び「特殊料理店」となったと記述されています。「特殊喫茶店」はいわゆるカフェーですが、「特殊料理店」とは何ぞや。まあ、やってることは「喫茶店」だろうが「料理店」だろうが変わりはなし、細かい詮索は止めておきましょう。

『郡山町史』は昭和28年刊ですが、当時の店の数は17軒、接待婦は80人と記録されています。店の数が遊郭時代と変わらないものの、女性の数はピーク時の半分以下になっています。

そして、運命の売防法施行の「執行猶予」が切れる昭和33年(1958)4月前後の週刊のローカル新聞の当時の記事を発掘してまいりました。

廃業待つ岡町、洞泉寺
くるわあと3日数十年以上もの永い間、近畿でも名高い色の町・郡山の代表として、君臨した岡町・洞泉寺の特料店も4月1日の売防法の実施に先がけて、15日で廃業する。
永い間市民と直接、間接に何らかのつながりのあった両組合の廃止は、その廃止が日本の一歩前進ということには違いないが、一抹の不安と寂しさはおおうべくもない。転業の最後の表情を記してみよう。
(中略)洞泉寺は業者12,旅館2、貸席3、廃業7。
接客婦の動きは次の通り(この調査は市の1月末調べで、警察の2月28日調べでは岡町82名、洞泉寺40名と減っている)。
結婚:15 就職決定:14 帰郷:10 一時収容:5 就職希望:4 合計:48

なお郡山署では売防法の全面実施により、特料業者の偽装転業の防止と料理屋営業の売春取締のため、西田署長総指揮のもと(中略)、先月関係者の参集を求めて西田署長より
1.時間外営業の禁止 
2.客引き行為の禁止 
3.芸妓の明花禁止 
4.芸妓置屋の同一家屋内の兼業禁止 
5.風俗営業者の売春禁止
を警告、各業者はこれを諒とし、
1.料理店、貸席、小料理店の営業は11時まで 
2.客引き行為を行わない 
3.明花の禁止 
4.芸妓を住居させている置屋は、直ちに他の住居を求める 
5.売春行為は絶対させない
の五項目を申し合わせた。

地元新聞より (昭和33年3月9日号)

また、売防法が国会で可決された時期の新聞は、

消える岡町・洞泉寺特料店
売春撲滅を疑う一般市民 業者は悪法と反対、暫く静観

という見出しで記事を書いています。
長いので省略しますが、当時の洞泉寺遊郭の組合長のコメントは、

悪法であると反対である。従来からも私たちは営業を醜業と思っていないし、業主と接待婦はあくまで一対一だ。
今度の立法によって真面目な業者は廃業するが、法を恐れぬ無茶者によって依然同じことが行われよう。一番悪い婦女誘拐、タコ部屋など今でもあるがこれらのものが増加しよう。
母と高・中小学生を持つ接待婦は子供を教育したいために働き、1ヶ月最低1万円を送金している。この人が接待婦を廃めねばならぬということは自由意志の束縛、人権蹂躙である。
(中略)この結果一般婦女子に対する性犯罪の増加も考えられる。市全体としては毎日5,60万円の金が落ちていたから他の業者も営業が大きい。

とあります。
屁理屈なところもありますが、最後の「経済的損失」はある意味真実。
郡山は赤線の「色税」で財政が潤っていたという話もあるし、新聞記事の市長のコメントも、

市長
市長

赤線が廃止になる。市のクリーン化のため大賛成\(^o^)/

と大手を振って売防法歓迎ではなく、「人道上やむを得ない法案ではあるが」と前置きしながらも、

市長
市長

現実的に見て市の経済的利益面では(赤線の廃止は)痛手だ

と正直な気持ちを述べています。今こんなコメントしたら、Twitterでさぞかし叩かれますでしょうな

法律のプロの弁護士も、

弁護士
弁護士

(法案を通した)婦人団体の筋書き通りの効果は得られない。完全に実行されるには人間の道徳的・経済的向上を必要とするが、人間は神にはなれない

と非常に意味深なことばを残しています。
のどかな時代のローカル新聞とは言え、市長も弁護士も正直です。

4月1日を前に、洞泉寺遊郭は3月15日をもってその幕を閉じることになります。
結果から言ってしまえば、東岡遊郭はその後も、年号が平成になるまで「モグリ営業」を続けるのですが(詳しくは東岡町遊郭編で)、売防法を

洞泉寺町業者
洞泉寺町業者

悪法だ!遊女屋は賤業ではない!

と抵抗した洞泉寺は、立つ鳥跡を濁さずかきれいさっぱり消えていきました。在りし日の建物を遺して。

洞泉寺の赤い灯が消えて10年後の昭和43年(1968)の住宅地図を見ても、かつてここは本当に遊郭だったのか?というほど「ふつう」になっていました。一部に「貸席」「料亭」の文字が見えるのが唯一の名残か。

木偶坊伯西
木偶坊伯西

現在…いや、在りし日の遊郭跡を歩く…次ページへ!

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コメント

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