竜宮遊郭(京都府舞鶴市)|おいらんだ国酔夢譚|

京都府舞鶴市竜宮遊郭関西地方の遊郭・赤線跡
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竜宮遊郭跡を歩く

舞鶴竜宮遊郭

龍宮遊郭は、新舞鶴北東の一画に作られた遊郭でした。遊郭というものは、「性欲のトイレ」として生活区画の端っこに追いやられるのが常ですが、龍宮も例外ではありません。むしろ新舞鶴は近代以降の計画都市であるが故に、そういう宿命を義務付けられたといっても過言ではありません。

舞鶴竜宮遊郭

龍宮は、名前の通り浦島太郎伝説があった所でもあります。最初は「ロマンティックな名前やな~。遊郭が出来た後に龍宮って地名が出来たんかな?」と思ったのですが、実際は逆だそうな。
現在でも、「乙姫橋」というロマンティックな名前の橋もあったりします。

遊郭跡をフィールドワークする際、いの一番にしなければならないことがあります。それは、遊里跡がどこにあるか、区域はどこまでだったのかを特定すること。この作業を怠ると、古めかしい建物がすべて「遊郭建築」に見えるバイアスにかかってしまいます。遊郭探偵初心者あるあるなので、まずは客観的資料を使って頭と目をクールダウンさせないといけません。

遊その里跡を特定する目印の一つに、「道筋」があります。

舞鶴竜宮町遊郭

遊郭跡をおぼしき場所をGoogle mapで物色していくと、「ん?」と思う所場所が見つかったりします。周りの道幅は普通なのに、ある道一本だけやけに道幅が広い…。
これで遊郭跡が判明したりするのですが、ここ竜宮もその例の一つ。今は閑静な住宅街であるこの地区の真ん中を、真ん中に街路樹のようなものがあるくらい広い道が、串のように貫いていることがわかります。

ここが昔の龍宮遊廓の大通り。地図だけ見てみても「ナンデスカコレハ!?」と遺跡でも見つけたような驚きがあるのですが、実際に行ってみると。

舞鶴竜宮遊郭

やっぱけっこう広い。片道1.7車線分ってところですな。
この道幅は遊廓開設当時から変わっておらず、図書館で見た昭和初期の地図でも、龍宮周辺は今とほとんど変わらずでした。

竜宮遊郭の昔の絵はがき

年代は不明ですが、おそらく大正初期の竜宮の絵葉書です。上の大通りの南を流れる川から裏側を撮影したものですが、当時はこの川の上に船を並べ、どんちゃん騒ぎをしていたのだとか。絵葉書にも、のんびり船に乗る女性の姿が写っています。

舞鶴竜宮町遊郭赤線

絵ハガキを参考に、たぶん似たような場所から写した現在写真がこちら。すっかり風景が様変わりしています。変わらないのは川の流れだけか。

竜宮っ子が語る竜宮遊郭

で、大通りに戻って道で夕涼みしているお爺ちゃんに声をかけてみました。
そしたらこれがある意味大当たり。竜宮生まれの竜宮育ち、生まれてこのかたここから出たことがない生粋の「龍宮っ子」だと。
遊廓のこと覚えてますか?と聞いてみると、覚えているどころか

あそこには○○楼があって、ここの隣は△△楼・・・

と建物を差しながらオートマティックで淀みなく話してくれました、別に何も聞いてないのに(笑
さすが「龍宮っ子」だけあって話にリアリティがある。記憶力すごいですね~と言うと、

そりゃ生まれてからずっと住んでるし。遊廓のことは忘れないよ

と笑っておられました。
御年80歳以上になるというご老体が小学生~中学生の頃、学校帰りによく見世の前に立ってる「女郎」に声をかけられたそうな。見世の前に椅子に座って客を待っていたらしく、あの頃のことは今でもはっきりと覚えていると。
で、遊廓内に住んでるってことはおじいちゃんは貸座敷の楼主の2代目とかかな?
と聞いてみると、そうでもないとのこと。

竜宮には遊郭と何の関係もない「一般人」も住んでいた。

お父さんは海軍工廠の職工で、遊郭とは何の関係もないとのこと。

そして、今残ってる戦前からの貸座敷の建物は、

舞鶴竜宮遊郭

ここだけらしい。これは戦前の遊郭時代から場所も建物も変わっていないと。他にも「候補」な建物があるのですが、たとえばいかにもそれっぽい…

舞鶴竜宮町遊郭赤線

他の人が探索した遊郭の写真にもよく載っている建物ですが、お爺ちゃんいわく、「違う」らしい。建物の古さからして戦前からあったものだと思いますが、これも今までの「常識」で見るべからずというのがわかりました。
もっとも、お爺ちゃんの記憶違いって可能性もゼロではないけれども。

上の「現存する遊郭時代の建物」の隣には、かつて検番があったらしい。

舞鶴竜宮遊郭の検番

これは、龍宮遊廓の検番事務所落成時の記念写真と推定される写真ですが、写真は大正12年のものだそうな。

舞鶴竜宮町遊郭赤線

もちろん建物は現存せず、今は駐車場になっています。
おじいちゃんいわく、この検番は木造3階建て、2階に芸妓が芸の練習をする演舞場があり、遊女たちの定期検診もここで行われていたと。
この話を聞いた後にこの写真をGETしたのですが、3階建てかはちょっと微妙ですが、確かに2階があって広々としてそうな感じがします。まあ、おじいちゃんの記憶=この写真の建物という証拠はないのですが…。

遊郭には娼妓だけではなく、芸妓もいた。

芸妓と娼妓の両方を抱えてい貸座敷もあり、そこからは芸妓の三味線の音が風流でね~と目を細めて教えてくれました。

あそこにあった『○△楼』と隣の「×◇楼」が芸妓も抱えてたよ

とかなり細かく教えてくれたのですが、とにかく淀みなく喋りまくってくれたので楼の名前が覚えらず記憶力の方もついていけず(笑
スマホもなかった当時、ICレコーダーでも持ってきて録音しておけばよかったと。
で、「芸妓と娼妓のどっちが格上で金持ってたんですか?」と聞いてみると。

そりゃ芸妓の方だよ。芸を持ってるからね。

女郎は何もないから体を売るしかない

とあっさり。まあそりゃそうか。
そしてもういっちょ、ぶしつけな質問をしてみました。

美人っていました?

うーん・・・いなかったな(笑

小学生か中学生だった当時から見たら、20代後半でも「おばはん」。戦後の赤線時代は年増の化粧だけが濃い女性ばかりで、ケバケバしいったらありゃしなかったとか。
おじいちゃんいわく、戦争中に丸山に遊郭が移って戦後にみんな戻ってきたと話してくれたのですが、データでは丸山地区に遊郭が移転させられたのは昭和15年。「戦争」が太平洋戦争なら記憶違いで×、満州事変から続く「15年戦争」なら○。
ここらへんは曖昧なところですが、聞いた当時は「丸山に移った」「戦後に戻ってきた」など全く知らなかったので、宝の山でも見つけたように心がウキウキしました。

・竜宮遊郭は「戦争中」に丸山へ移った

・戦後に戻ってそのまま赤線になった

竜宮遊郭の謎の一つは、道の真ん中にある植木の存在。
昔の遊廓は大通りに桜や柳を植えていた所が多く、竜宮のもその名残かと尋ねてみると、これはビンゴ。昔は桜の木が植えられ、春になるといっぺんに花が咲いて娼妓が花見もやっていたと。しかし、昭和40年代に舞鶴市が伐採してしまい現在の状態になったのだとか。

・大通りには、かつて桜の木が植えられていた

そして、もう一つの謎は、遊廓内にあるお地蔵さんの存在。

舞鶴竜宮町遊郭

大通りの真ん中に鎮座するお地蔵さん。遊廓跡には「稲荷神社」「無縁仏の墓」があることがあるのですが、お地蔵さんはちょっと珍しいかもと思い、遊廓に関係あるのかと聞いたところ「ある」と一言。どのように「ある」のかは聞きそびれてしまいました。

そして、このお地蔵さん、昔は遊廓の端っこにあったらしい。

地図の上に書いたらこんな感じ。何故移動したのかまでは聞かずでした。実に惜しいことをした気分ですが、もう10年前のことなので…。

・お地蔵さんは昔、遊郭の端にあった

そして、もう一つ貴重な話を聞くことが出来ました。

舞鶴竜宮町遊郭赤線

大通り沿いにあるこの建物、「第五乙女荘」という外見に見合わずかわいい名前のアパートです。この建物、外観はリフォームされていますが内部は貸座敷当時そのままだそうな。
(関係ないけれど、これは10年前の写真なのですが、右端に移っている親子連れの子どもの方、今はたぶん20歳くらい。時の移り変わりを感じます)

こりゃ見るっきゃないと思い、「龍宮っ子」の顔で入り口だけ見せてもらうことにしました。

舞鶴竜宮町遊郭赤線

外観とは裏腹に、確かに中はかなり古めかしい。
中に入って写真撮りたいなーと思ったんやけど、写真撮影はここまで。おじいちゃんの顔を潰さないために、迷惑かけて今後の「同志」の活動を妨げないために、ここは我慢の子で中を見るだけにしました。

廊下はもちろん総木造。中は遊女たちが客を待っていたという大部屋が残っており、2階は小部屋が並ぶ洋風っぽい感じの部屋でした。戦後(赤線時代)に洋風にリフォームされたのだろうか。そこまで深くは知らないそうです。
ちなみに、この建物の向かって左隣には芸妓の置屋があったそうな。

約30分、もうお腹いっぱいってくらい、書物ではわからない貴重な話を聞かせてもらい、おじいちゃんにお礼を言い、もう少しここを探索してみることにしました。
大通りから一本離れた筋はただの住宅街っぽく、遊里の残滓が残っている雰囲気は微塵もなし。

舞鶴竜宮町遊郭赤線

と思ったところで、赤線時代のカフェー建築っぽいのが一つ。
更に「まわれ右」をしてみると。

舞鶴竜宮町

玄関周りの地味ながら目立たせるような装飾…確証は持てませんがかなり怪しい。周りは新しい住宅ばかりだけに、この二つの建物に違和感を感じました。おじいちゃんの話だけで満腹感150%でしたが、そこで満足せず更に進んでみたのが功を奏しました。

竜宮遊里跡の探索はこれで終わり。
当時の記憶をはっきり覚えている地元の方の話を聞ける幸運に恵まれ、収穫はどこかのCMではないですがプライスレス。その価値は、ここのことを書いた資料が少ないだけに余計に価値があったと信じています。
これを書いたのが2010年なので、おそらくあのおじいちゃんが生きている可能性は少ないと思いますが、少しで「黒歴史」になってしまうような貴重な話を忌憚なく話してくれたあのおじいちゃんに、このブログを借りて改めて御礼申し上げます。

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コメント

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