「歓楽街」の謎
こちらも現存しないのですが、10年前の布施界隈には、こんなものがありました。
「歓楽街」…この不思議な香りする文字の奥に、私は引き込まれることになりました。
誘われる(?)がまま奥に入ってみると、小料理屋の看板がはみ出て並ぶ和風香港状態。寿三郎横町と同じような空気が流れていました。
私の記憶が正しければ、「歓楽街」の道筋は「コ」の形をしており、そこに写真のような小料理屋が所狭しとひしめいていました。
私の訪問時は看板だけで、実際に営業しているようには見えなかったですが、大阪府の資料にはここも隠れ売春窟の一つになっていたそうです。
当然、今年(2021年)にもここの跡を訪問してみましたが、すっかり高層マンションの餌食になっており、かつてここにあやすぃ小料理屋があってね…なんて言っても、マンションの住人は全く想像もできないでしょう。それほど面影がありません。
布施の話、まだ終わりません。実に奥が深い。
浅草寺と「浮世小路」
これまで紹介した場所は布施駅の北口側でしたが、次は反対側の南口側となります。
「布施には浅草寺がある」…と書くと、多くの人が首をかしげることでしょう。浅草(寺)と言えば東京のあそこやろと。
実はあるのです。
別名「関西浅草観音」、お寺に詳しいブログによると東京の方の観音様の御分身を奉戴されているそうで、パクリでも浅草寺を語る新興宗教系でもなく、関西弁でいう「ほんもん」だそうです。1959年遷座とあるので、けっこう古い。
ただし、雷門はおろか境内すらないすごく簡易仕様。こんな寺ってありなん!?というくらいに。珍っちゃあ珍なスポットなのに、あの大阪DEEP案内さんが食いついていないのがいちばんの珍であります。
布施駅から浅草観音までの門前へは、「関西浅草観音通り」という、これまた歓楽街となっております。通称「柳小路料飲街」…この名前だけでなんだか怪しい矯臭がしてしまうのは神経過剰でしょうか。
私が訪問した10年前でさえ、料理屋といってもそれらしきものはあまり見当たらず、良くも悪くも大阪の下町でした。
が、かつてはここもいわゆる青線系だったそうで、道沿いに椅子を並べて道行く男を誘惑していたそうな。
確かに…
実際に歩いた感想を申し上げると、布施新地よりこっちの方がよほど「赤線跡」っぽい。建物もさることながら、布施新地に感じた「邪気」をこちらにも感じました。いや、むしろこっちの方が強いかも!?
こちらも怪しいと感じたきっかけは、もう10年前のことなので忘れましたが、こうして自分が歩いて写真も撮っているということは、何かしらの根拠があってのことのはず。そうでないと本命の新地と真逆の位置にあるここなどノーマークでしょう。実際、布施新地を取り上げたブログは誰一人、ここに触れていません。
2021年時点で、雰囲気を含めたこれらの建物が残っている保証はありません。Google mapで偵察したら見当たらないので怪しいですが…ここにかつて小料理屋通りがあり、夜になると急に「女の子」が増えたという伝説だけを残しつつ、こちらも静かにその黒歴史を閉じたようです。
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コメント
いつも拝見しております。
特に関西の赤線と阪和電鉄関係は興味深いです。
布施付近は自分も調べました、「歓楽街」はお稲荷さんがあったのが印象的でした。
知らぬ間に消失してショック受けた記憶あります。
寿三郎横丁も火災が残念です。