上野芝と向ヶ丘町の歴史と月見橋【阪和線歴史紀行】

上野芝向ヶ丘町の歴史 歴史探偵千夜一夜
スポンサーリンク

上野芝駅 向ヶ丘のために作られた駅

JR上野芝駅

上野芝駅は、今は各駅停車しか止まらないローカル駅となっています。
快速や特急でビューンと飛ばす人には、

そんな駅あったっけ?

と無視されても文句が言えない地元の駅であります。

上野芝駅が作られた根拠は、もちろん阪和電鉄最初の直営住宅地、「向ヶ丘」のためでした。
「向ヶ丘」とは上野芝駅の南部に広がる住宅地、今の上野芝向ヶ丘町のことで、鬱蒼と茂る丘陵地を阪和電鉄が買収、そこを住宅地にすべく開発したのが始まりです。が、向ヶ丘住宅地が実際に分譲開始になったのは、駅が開業した翌年のこと。駅ができた当時は、荒涼たる荒れ地の中にポツンと寂しく建つ駅でした。

昔の上野芝駅
二代目上野芝駅2

これは戦後に建て替えられた二代目の駅舎ですが、右側の駅舎が阪和電鉄独特の形状なので、初代のままだと推定できます。

最初の住宅地ということで、購入者には1年間阪和電鉄乗りたい放題という特典がありました。

上野芝向ヶ丘町住宅地の新聞記事。大阪朝日の新聞より
(『大阪朝日』昭和5年6月1日付)

この文の中に、

同社線による上野芝駅までの移転荷物運賃無料 一ヶ年間無賃乗車券一人分を発行して優待している。

(『大阪朝日』昭和5年6月1日付)

とあります。
昭和初期、電車は大衆の足として定着してはいるものの、中・長距離となると決して安い乗り物とは言えませんでした。天王寺から和歌山までの運賃は96銭でしたが、大工の日給が2円だった時の96銭。今なら3~4000円くらいの感覚なので、これはおいそれとは行けない。
そんな状況での1年間乗りたい放題は、かなりおいしい特典だったと思われます。この特典を利用して、和歌山方面に新婚旅行に行った夫婦もいたという回想もありました。

霞ヶ丘住宅地の完成ー上野芝駅の絶頂期か

上野芝向ケ丘と霞ヶ丘の地図

向ヶ丘住宅の完成から3年後の昭和8年、逆の方向に霞ヶ丘住宅が作られます。こちらも高級住宅地として開発され、阪和電鉄の初代社長もここに家を構えていました。

この霞ヶ丘ができたその後、上野芝駅は始発・終着駅を除く、現在の堺市内の駅利用者数ナンバー1に躍り出ます。
戦前の利用者数は、戦前から優等列車が止まっていた鳳駅より多かったのです。快速が止まる鳳より多いほど、上野芝は勢いがあったのです。
乗降者数面で言えば、この時期が絶頂期だったのかもしれません。

阪和電鉄も、向ヶ丘の住民にやさしい配慮をしてくれました。そのうちの一つは、準急の上野芝停車。
阪和電鉄は私鉄なので、いまと比べて色々な列車種別がありました。

阪和電鉄の列車種別

超特急:阪和間ノンストップ
特急:鳳など一部停車
急行:今の快速の停車駅とほぼ変わらず
準急:南田辺・杉本町・阪和堺・上野芝から各駅(天王寺~久米田間)

がありました。
向ヶ丘の自治会は、最終的には急行を止めてもらおうと働きかけていたようですが、昭和15年までの時刻表を見るに急行が上野芝に止まった記録はなく、実現はしなかった模様です。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました