妹尾知之-ある海軍軍人の一生

妹尾知之海軍中将歴史エッセイ
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妹尾知之という人物

妹尾知之

旧日本軍人の経歴を調べる際、何期卒なのか、同期に誰がいるのかチェックは必須です。特に海軍は、同期1どうしの横のつながりが非常に強く、お互い影響を受けています。

妹尾は兵学校40期
はがきの消印は明治43年1月、40期は明治42年9月入学なのでこれも辻褄が合います。
兵学校40期には、こんな有名な人がいます。

妹尾の同期①-大西瀧治郎

大西瀧治郎

「特攻隊生みの親」という名前で知られていますが、結論だけ言えばこれは死人に口なしで着せられた濡れ衣。
また終戦の日に、戦争の責任を取り腹を切った人でもあります。

「軍艦どうしの大砲の撃ち合いの時代は終わった。これからは飛行機だ!」
という航空主兵論は山本五十六が有名ですが、大西はその弟分にして急進派。本人のクセのある性格もあって、周囲は「航空気狂い」と奇人扱いでした。
ただし、航空戦術に対する見識は海軍史上トップで、真珠湾攻撃も山本は大西にこっそり意見を聞いています。なお、大西は「山本の兄貴、ちょっと無茶じゃないですかね?」とやや否定的だったそうな。

戦艦なんか作らず、飛行機いっぱい作ればよかったのに

と言う人はいっぱいいます。が、そんなもの大西は昭和ひと桁から主張しています。主張どころか、いつまでも大艦巨砲主義にこだわる連合艦隊司令部に単身怒鳴りこみもかけています。
が、彼の意見に同調し考えを180度変えたのは、後述する同期の山口多聞ただ一人。ほとんどは

そうは言ってもね…

B29で国土を焼き払われ、「飛行機の時代」をまざまざと見せつけられた戦後になっても大西の考えを理解できない、いや自分の考えの過ちを認めたくないようでした。

兵器としての飛行機に誰よりも早く着目した先見の明、それ故に貼られた「特攻隊生みの親」の汚名を剥がすためにも、そろそろ名誉回復前提の再評価が必要な人だと思います。性格の癖の強さは帝国海軍史上屈指なので、なかなか好き嫌いがあると思いますが…。

妹尾の同期②-宇垣纒(まとめ)

宇垣纏

傲慢不遜な態度から、「黄金仮面」とあだ名された人です。

兵学校を144人中9番で卒業し、非常に優秀なため順風満帆の昇進街道を歩み、山本五十六司令長官配下の連合艦隊参謀長(ナンバー2)に就任します。
が、山本長官から終始ガン無視され続けました。今なら間違いなくパワハラです。
真珠湾攻撃は山本と、宇垣の部下だった黒島亀人参謀の間で練り上げられたものでしたが、会社組織で言えば、社長(山本)が部長(宇垣)をすっ飛ばして担当課長(黒島)に指示を飛ばすようなもの。
二等兵に敬礼されても丁寧に答礼を返す山本が、宇垣に挨拶されたら顔を背けて無視。
今の世なら
「驚愕!大物士官Xが語る連合艦隊司令部内いじめの実態!」
とおどろおどろしい文字が週刊○春に並び、
「#聯合艦隊パワハラ」
なんてハッシュタグがトレンドになり、山本長官Twitter自垢で応戦なんて図式になりそう(笑)

宇垣が歴史に名を残している理由の一つに、『戦藻録(せんそうろく)があります。第一級の戦争資料としての価値が高い宇垣の個人日記です。
日記は、大きく分けて2種類に分類されます。一つは「他人には絶対に見られたくない本音を書く」という極秘もの。もう一つは「今は公には言えないけれども、時代が変わったor自分の死後に(自分の本音などを)他人に知ってほしいから文字に遺す」という公開前提のもの。後者は永井荷風の『断腸亭日乗』、清沢(きよし)の『暗黒日記』が有名です。
この日記も後者の一つ。字にはクセがほとんどなく清書までした形跡もあるといいます。
その中に
「X月X日 山本長官から話しかけられた。チョー嬉しい」
というような記述があります。原文は字が躍り、まるで好きな男に声をかけられて舞い上がっている女子のようだと。
宇垣は山本のことを、嫌いどころかリスペクトしていたほどでしたが、憧れの人に公然と、理由も明示されずパワハラされる精神的な辛さをあらわした本音です。

で、山本が何故宇垣を干したのか。それはまあ、色々あってね。

その『戦藻録』には、昭和16年10月18日の項目に、妹尾との絡みがあります。
この日、宇垣は長官他幕僚と共に、山口県の室積という土地のホテルに宿泊し魚料理を堪能。「田舎にしては良いじゃないか」と上機嫌だったのですが、そこが「光工廠長の妹尾自慢」だったと記しています。兵学校のクラスメート(同期生)であり、地元駐在だった妹尾の推薦だったのでしょう。

宇垣特攻

時が経つこと終戦の日の8月15日。玉音放送を聞き終えた後、彼は爆撃機で沖縄へ向かい特攻。写真は特攻寸前に撮影した人生最期の姿です。これが日本史における最後の特攻となりました2

その賛否はさておき、大西と共に

「特攻隊で多くの若者を死なせた責任を取る」

と、有言実行を果たした人でした。

妹尾の同期③-山口多聞

山口多聞

大西の欄で書いた「航空主兵論者」の一人で、帝国海軍きっての猛将としていまだに人気・知名度ともに高い提督です。ミッドウェー海戦で空母『飛龍』に乗り込み指揮を執り、悲劇的な最後を迎えた人としても知られています。
元はガッチガチの大艦巨砲主義者だったのですが、大西と殴り合いの喧嘩までして議論した結果、航空主兵論に考えを改めました。なお、彼の兵学校卒業順位は2番3

大西瀧治郎と山口多聞

大西のWikipediaにあった在支那海軍航空隊首脳の写真ですが、左から二番目が山口、右から二人目が大西です。ちなみに、大西と「殴り合いの喧嘩」をしたのはこの頃。

それから航空戦のエキスパート、第二航空戦隊司令官として真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦などで勇敢に戦ったのですが…どこからか声が聞こえる…

(これ以上長文になると)多聞丸に怒られますよ」

他にも、福留繁(中将)、多田武雄4、変わり種に東郷実5、山下知彦6がいます。

旧海軍に詳しい人なら、おおおおおお!と低音を奏でながら膝を叩いているレベルの面々、知らなくてもどこかで聞いたことがある…というビッグネームと同期。仲が良かったりすればまた面白そう。

妹尾はまた、海軍大学校甲種を卒業(海大22期)していることからも、その優秀さは折り紙付き。
海軍大学校という所はそもそも、上官から「こいつ将来有望につき」という推薦をもらわないと受験資格すらありません。その枠は同期の2~3%、つまりすごーく優秀じゃない人でないと受けられないと。
この海大22期の同期を調べてみると、

井上成美
井上成美(大将)

三川軍一
三川軍一(中将)

など、ビッグネームな面々。それも、井上は兵37期、三川は38期。並み居る先輩方の中に40期の妹尾が入ったこの事実だけでも、将来を嘱望された逸材ということがわかります。
なお、井上成美大将の伝記には、海大同期として妹尾の回想が出てきますが、22期のリーダーとしての井上を絶賛しています。

ちなみに、同期の山口は妹尾の2年後入学(海大24期)、大西は妹尾と一緒に試験を受け一次試験は受かったものの、二次試験(面談)前日に芸者を殴り出入り禁止処分を食らっています7

NEXT:末は司令長官か大臣か。しかし…
  1. 海軍用語で「クラスメート」といいます。
  2. ただし、戦闘中止命令違反と見なされ公式にはカウントされていない。
  3. 宇垣は9番、大西は20番。妹尾は不明。
  4. 中将。終戦時の海軍次官。
  5. 少将。東郷平八郎の次男。
  6. 大佐。海軍の重鎮山下源太郎大将の養子。海軍内の皇道派の一人で、二二六事件のようなクーデターを内部で煽り、事件後即日追放。
  7. 皮肉なことに、これで大西は海軍大学校未卒のレア提督として歴史に残ることに。
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