名古屋市のベイエリア、港区の錦町。
この町の真ん中が「申」の形になっていますが、ここにはかつて稲永遊郭という遊里がありました。

名古屋市の遊里の絶対的存在だった中村遊郭には絶対勝てない、永遠の二番手を宿命付けられた遊郭でしたが、最盛期には何百もの遊女がこの決して広くないエリアで春を売り、何万もの遊客が紅い灯に群がる不夜城だったのです。
遊郭自体は大東亜戦争中に軍に接収され、その後の空襲で壊滅。名残は「申」の形をした道路と、遊郭時代からあった錦神社のみ。
現在は、閑静な住宅地となっています。
遊郭については、巻末に貼ったリンクをどうぞ。
そんな場所に、戦争の遺構がわずかに残されています。

とある民家、いやおそらく遊郭時代の妓楼跡だと思いますが、その壁に大小様々な孔が開いています。
これは米軍艦載機による機銃掃射の弾痕なのです。
機銃掃射の痕は神戸三宮や大阪市福島区はじめ全国に点在していますが、こちらは間近で見ることができ、触れることも出来る分、生々しさは段違い。


数ヶ所、大きくしかも深い孔がありますが、弾の口径が違うのか、それとも小さい孔を開けた銃弾が偶然「クリティカルヒット」したのか。
そこまで詳しいことはわかりませんが、稲永遊郭に空襲があり、機銃掃射も行われた証拠。稲永は海辺で名古屋港や工業地帯にも近かったので、戦闘機クラスに襲われた数も多かったのではないでしょうか。

家の玄関の門柱もこのとおり。
こんな大きな弾痕が、手に触れられる範囲で残っている遺構は、滅多に見られることではありません。
この機銃掃射の痕は、元々稲永遊郭の記事内に書いていたことでした。が、その記事をリライトしている最中、

ここどないなってるんやろ?
と気になり、Googleマップのストリートビューで確認を取ってみました。

機銃掃射の弾痕が残る壁や門柱は残っているものの、中の建物は崩壊寸前。
しかも、ググってみても大阪市や神戸市の機銃掃射の痕のようにここがヒットしない…知名度が低いようです。
これだけくっきり残っていたら、大阪人ならすぐにでも飛びつくのだけど…名古屋の皆さんはこんなのにご興味ない?
それゆえに、この戦争遺構は「建て替え」を理由にほとんど知られることもなく消えてしまうのではないか…そんな危機感が筆者にはあります。
ググってみたらの範疇ですが、名古屋市でこれだけの機銃掃射痕が残っているのはありません。
戦争遺構としてもっと多くの人に知られ、できれば行政が保存するという手段を取ってもらいたい。
そんな願いを含めての、本記事でした。
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