南海二色浜駅の怪【南海電鉄歴史紀行】

南海電鉄二色浜駅 歴史探偵千夜一夜

南海二色浜駅

南海電鉄本線の二色浜駅。

大阪人にはおなじみですが、大阪府でも数少な…いや、唯一ではなかろうかという天然の海水浴場、二色浜海水浴場の玄関口であり、都心部から近いこともあり、夏になればたくさんの海水浴客で賑わいます。
別に「怪」も謎もなかろうに…と思えるこの駅にも、ちょっとしたミステリーがあるのです。

この駅の開設時期について、Wikipediaにはこのように書かれています。

二色浜駅Wikipedia

昭和11年(1936)に海水浴シーズンのみ営業の臨時駅として開設され、翌々年の13年に常設駅として昇格ということですねわかります。

二色浜駅南海電鉄

南海の公式HPにも、Wikipediaと同様のことが。ではなく、Wikipedia先生の記述のおソースが南海のこの掲載ということです。

駅の飼い主がそう言ってるんだから間違いない、間違えるわけがなかろう…そんな考えが、ある場所で見つけた一通の文書で崩壊することになります。

 

国立公文書館

その場所とは、東京の国立公文書館。文字通り、戦前戦後の公文書が保存されている、国立の巨大アーカイブです。
日常生活を送っていれば、まず縁が無いところではありますが、色々な調べ物をしたい歴史探偵にとって、ここは未知の資料が埋まっている宝の山だったりするのです。その上、資料の「デジカメ(スマホ)コピー」無制限でやり放題。貴重な資料を紙コピーすることによる破損を防ぐためでしょうが、これは歴史探偵にとってはありがたい。

その中には、戦前の南海鉄道(南海電鉄の旧名)が国に提出した公文書も含まれています。現在のJR阪和線が「南海山手線」だった頃、高石から信太山までの連絡線を作ろうとしたなど、今まで聞いたことがないような書類も東京の書庫の底に眠っているのですが、その中に、二色浜駅にまつわる書類も埋もれていました。

二色浜駅設置公文書

二色浜駅設置公文書

海水浴場への客の利便を図るため、夏だけ臨時駅開設していい?という、南海鉄道から国(鉄道大臣)に対する許可申請です。南海”電鉄”ではなく”ではなく”鐵道”なのがいかにも戦前感を出しているのですが(”電鉄”になったのは戦後)、よく見ると、少しおかしい点があります。

それは、日付。

南海二色浜駅開業時期

駅を作っていい?という申請が、昭和12年(1937)なのです。あれ?1年ずれてない?
南海公式やWikipediaの記述が正しいなら、この日付は昭和11年(1936)でなければならない。なのに公文書は昭和12年。公文書の現物は嘘つかないので、これが提出されたのは「昭和12年」で100%間違いありません。

こうも考えました。

筆者
筆者

昭和11年に臨時駅を設置して、期限が切れたので翌年に再度申請したんじゃないか

もしこの仮説なら、前年に「新設」してるので、翌年の書類にまた「新設」は日本語としておかしい…とまでは言わないけれど、適切な表現ではない。私が鉄道省担当者だったら、これ「新設」の使い方間違ってるわと突き返します。
その上、南海公式が正しいなら、前年にも設置されているので、申請時の書類に「前年にも設置しましたが…」という前置きくらいはあって然るべき。でもそれが全くない。

そこで、こういう結論に至りました。

筆者
筆者

もしかして、南海公式の昭和11年開業の方が間違ってね?

二色浜駅開設は昭和11年です(ドヤ
としている南海電鉄さんのコメントを、是非いただきたいものです。

 

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