第五回内国勧業博覧会と幻の停車場ー第ゼロ代新今宮駅?

第五回内国博覧会の仮駅鉄道史
新今宮駅

JRと南海の乗換駅として、人の往来が絶えない新今宮駅。私もかつて数年間、ここでJRから南海に乗り換えて通勤したことがあります。
この駅、いかにも昔からありました感を漂わせているのですが、開業は戦後のこと。国鉄側が昭和38年(1963)、南海側は遅れること3年後と意外に(?)新しかったりします。

では、その前はどうなっていたのでしょうか。

昭和35年1960年新今宮駅

にわかに信じられないかもしれませんが、汽車の部分が現在の新今宮駅。開業はこの写真の3年後、映像からは駅が出来る気配すらありません。

が、南海との交差点に駅を開設するという構想は、戦前から存在していました。

1937年7月4日大阪朝日新聞
(1937年7月4日大阪朝日新聞)

昭和12年(1937)に南海電鉄1の難波~新今宮間が高架化された際、
「関西本線との交差に駅を作れるような構造にしろ」
と国から条件がついた上での建設許可だったようで、新今宮駅の土台は戦前からできていたということになります。

ところが!
そこから更にさかのぼること明治時代、新今宮駅の位置ではないものの、すぐ近くに「幻の駅」があった。と書くと、何を寝ぼけているのだと思うかもしれない。しかし、あったのです。

題して「第ゼロ代新今宮駅」

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第五回内国勧業博覧会と「第ゼロ代新今宮駅」

明治36年(1903)、海の外ではロシアとの対立で一触即発の事態でした。が、国内では第5回内国勧業博覧会が大阪で開催されました。

1903第五回内国勧業博覧会正門
内国勧業博覧会とは、一言で言えば国内主催の万博もどきです。各都道府県や企業などが催し物を出し、各地の誘致合戦も盛んだった大イベントで、国内での競争を経て大阪が第5回の開催権をGETし、現在の新世界・天王寺公園が会場に選ばれました。
開催当時から、会場のすぐ横に関西鉄道、後の関西本線=JR大和路線、が通ってはいました。が、駅は存在しておらず、常設駅を作ろうにも当時はただの農地、客のあては見込めません。今の風景を見ると到底信じられないでしょが、明治の昔、ここあたりは四方がネギとレンコン畑だったのです。

そんな問題に対して、

ほな開催期間だけ駅作ったらええやん!

と作られたのが、博覧会仮駅なのです。

第五回内国勧業博覧会全景図

「第五回内国勧業博覧会全景図」の右端に、鉄道が描かれています。これが関西鉄道、現在のJR大和路線の天王寺~新今宮間として現役の路線です。さらに右に分岐している鉄道は、今は無き南海電鉄天王寺支線です。
関西鉄道から会場に入る線路が一本見えます。その端にあるものが博覧会仮駅かと推測しています。

関西鉄道大阪と博覧会
【『大阪と博覧会』(国会図書館デジタルコレクション所蔵)より】
関西鉄道も、博覧会案内冊子などで宣伝しています。

関西鉄道大阪と博覧会

その地図の中に、「ハクランクアイ停車場」と書かれている部分があります。

「第五回内国勧業博覧会に付ては、出品其他荷物の運搬のため天王寺操車場より分岐し、博覧会場内に至る支線を敷設し、引続き明治三十六年十月三十一日迄旅客荷物の運輸営業を開始する目的を以て五月六日本省に出願し、六月十三日逓信大臣の許可を得たり。
工事の概略は阿倍野陸橋の付近に於て本線より分岐し、上り本線に並び西端切取に於て場内に進入し西南隅に至る一線六十七鎖五十節を新設し、線路極端に停車場本家(木造建西洋風)乗車場雨覆を設け待避線二線乗降場延長五百呎(フィート)待避側線有効延長五百廿呎を敷設するものとす」
(『関西鉄道史』より。句読点は筆者挿入)
第五回内国勧業博覧会仮駅場所

博覧会仮駅の場所を現在のGoogle mapに落とし込むと、ここあたりの位置となります。今のスパワールドの所で間違いないと思います。

国会図書館デジタルコレクションには、当時の博覧会の写真集が数多く残っています。何故か残っているのは大阪の第五回ばかりで他のものがあまりないのですが、どれだけ探しても仮駅の写真は、現時点で見つからないのです。博覧会の写真は、ネットで閲覧可能なものだけでもそれこそ何百枚単位で残っているのに、仮駅は一枚も写っておらず。上記記述から「木造の洋風造り」とのことですが、どんな造りだったのだろうか。

…と思って何年か経ったころ、ついに見つかりました、仮駅の写真を!

関西鉄道株式会社
博覧会駅
天王寺公園にあった臨時駅です、
駅名標や展望台?があったようです。 pic.twitter.com/AuGZ7grGVd

— 河陽鉄道探見@明治時代鉄道構造物探見(松永白洲記念館【公式】 (@fwjf0138) January 27, 2022

といっても、私が見つけたわけじゃないのですが、「関西鉄道」と書かれた洋風の塔に、かまぼこ型の屋根をした本屋など、期間限定の仮駅の割には立派な作りになっています。

ふつうならこの話はここで終わるのですが、実はまだ続きがありました。

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  1. 当時は南海鉄道
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