たった数年間だけ存在!南海”本線”の高師浜駅【南海電鉄歴史紀行】

初代高師浜駅サムネ鉄道史

南海高師浜支線
南海電鉄本線、羽衣駅から高師浜線という支線が南へと伸びています。全長約1.5km。乗ってもたったの5~6分。聞くところによると、日本一短い支線だそうです。
今は2両編成ですが、私が幼いころは1両の電車がのんびりと往復しており、かわいい電車やなと幼心に思ったものです。

高師浜は、現在こそふつうの住宅が立ち並ぶ静かな土地ですが、そもそもは高級住宅街、つまり「ふつうじゃない」住宅のために大正時代に開発された土地でした。
土地会社は南海直営ではなく地元素封家たちが金を出し合って設立したデベロッパーなので、土地とお金出すから鉄道敷いて~とお願いしたのでしょう。
大正7年(1918)に羽衣~伽羅橋駅間が、翌年に高師浜まで路線が延び全線開通しています。
高師浜線の歴史はイコール高石の住宅開発の歴史、鉄道が敷かれているのは、何らかの理由があるのです。

戦前の南海時刻表
今では信じられませんが、戦前の高師浜線は全列車難波からの直通。南海もかなり気合が入っていた様子。
その理由の一つに、
「南海社長の川勝氏が高師浜に住んでたから」
という俗説が地元では語られていますが、じゃあなぜ…

昭和25年南海電鉄時刻表
戦後(1950年)には現在と同様の区間運転になっているのか。
川勝氏は平成直前まで南海に君臨しており(野球ファンには南海ホークスオーナーとして有名)、居宅もずっと高石(高師浜)でした。それより、川勝氏が社長になったのは戦後のはず。「川勝氏説」では、戦後になって難波直通がピタリと止み、その後復活もしなかった理由が説明できません。

閑話休題。

南海高師浜駅
高師浜線の終点が、そのまんまですが高師浜駅。
大正8年(1919)に開業した当時のたたずまいを残す、築100年以上を誇る駅舎は、小さいながらも大正ロマンを想起させる立派な建物です。「ふつうじゃない」住宅の玄関口として全く恥ずかしくない駅舎です。

1928昭和3高師浜航空写真
昭和3年(1928)の航空写真を見てみても、ホームが高架になっただけで場所は変わっていません。気のせいか、駅前広場が現在よりずいぶん広いような気が。

高師浜駅といえば、駅舎にはめ込まれたステンドグラスがシンボルです。現在もそうですが、ステンドグラスってけっこうお高いのよ…。
しかし、100年以上の風雪に晒されひび割れも出てきたため、
高石市「くれ!」
南海「いいよ」
という経緯で現在は代わりのFRP製がはめられています。ステンドグラス自体は、高石市が保存して市役所に展示されています。

ところで、上述のとおり「高師浜駅」は現在、高師浜支線の終着駅として現在の位置にあります。
が、この高師浜駅、実は事実上の「2代目」なのです。今の高師浜駅の前の高師浜駅が、現在の位置ではない場所にあったということ。
今回は、ググってもほぼ出てこない「幻の初代高師浜駅」のお話を。

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初代高師浜駅とは

さて、「初代」はどこにあったのか。

私設鉄道停車場使用開始
去月二十八日南海鉄道羽衣停車場及高師浜停車場使用開始ヲ許可セシニ右両停車場共本月一日ヨリ使用開始ノ旨届出テタリ
其哩数左ノ如シ(鉄道院)
(中略)羽衣高師浜間0.6哩 高師浜葛葉間0.5哩

引用:『官報』明治45年(1912)3月15日

2月28日に羽衣と「高師浜」停車場(駅)が許可されていることがわかります(正式開業は3月1日~)。羽衣駅と「同期」だったことが、これで判明しました。
私も、この官報を何かで検索した網に偶然引っかかり、幻の高師浜駅を知りました。

初代高師浜駅の場所は、
「羽衣駅から0.6哩(マイル)、葛葉まで0.5哩」
とあります。メートル法に直せば、それぞれ約966m、約805mとなります。
現在でも本線の路線、駅の位置が変わっていないと仮定し、Google map上で駅間距離を測り駅の位置を推定してみました。

初代高師浜駅の位置
「羽衣駅から0.6哩(マイル)、葛葉まで0.5哩」の場所は、だいたいここあたりとなります。
元地元なのでなんとなくわかりますが、羽衣から高石の間は私鉄にしてはやけに長い。高師浜線がなかったら近隣住民はけっこう不便です。間に駅を作ったらいいんじゃないか!?と漠然とは思ってましたが、大正時代に実在していたとは。

南海鉄道初代高師浜駅
写真など残っていませんが、南海が国に提出した駅の増設出願書によると、駅舎と便所があったと記録にあります。駅の敷地は、地域の地主が私有地1ヘクタールを南海に寄贈したという記録があるそうです1

なぜここに駅を作ったのか。
地主である山川氏は、近い将来ここに住宅街を造る算段だったのでしょう。

初代高師浜駅大正6年南海沿線案内
大正6年(1917)の南海沿線図には、羽衣と葛葉(現高石駅)の間に「高師の浜」の文字が確認できます。が、官報記載は「高師濱」につき(国に申請した駅名がそれ)、「高師浜」で正解と思われます。

大正時代の南海電鉄の定期券

また、大正5年(1916)発行の定期券にも、黄色で囲った羽衣〜葛ノ葉(現高石駅)の間に「高師ノ浜」の表記があります。

高師浜駅廃止

しかし、前述のとおり、大正7年(1918)に羽衣~伽羅橋駅間が開業。
初代は要らない子扱いされたのか、この年か翌年の高師浜駅開業で姿を消しています。
たった5~6年間だけこの世に存在した、超短命な駅でした。

伽羅橋駅付近旧高師浜駅跡
昭和3年(1928年)の航空写真で、初代高師浜駅があったと思われる場所を探してみました。廃駅になって約10年しか経っていないので、駅舎の跡または駅前広場の跡なんかが残ってたらいいな~なんて思ってたのですが、そんな跡はなく、すっかり片付けられた模様…

と思いきや!?

1928旧高師浜駅跡

写真をアップしてみると、駅の推定場所に長細い「何か」の跡が!?写真のノイズの可能性や、ただの気のせいの可能性も全然あるので今回は断定を避けますが、場所が場所だけに怪しさ満点、写真に残る初代高師浜駅の可能性もなきにしもあらず。

それより黄色の部分、何やら整備された住宅地のようなものの方が気になりませんか?ここはかつて伽羅橋界隈にあった夢の楽園…それは次回あたりに説明するとしましょう。

初代高師浜駅は、そのまま歴史の地層に埋もれたまま、現在に至っています。

  1. 安田孝論文『大正期洋風住宅地伽羅橋園』

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