大門前・曳船駅-南海天王寺支線の幻の駅【南海電鉄歴史紀行】

スポンサーリンク
南海天王寺支線曳船駅と大門通駅 歴史探偵千夜一夜
スポンサーリンク

南海天王寺支線

Wikipediaより。天王寺駅に停車中の天下茶屋行き電車

かつて、天王寺~天下茶屋間を南海電車が走っていました。南海天王寺支線です。
平成5年(1993)に全線廃止となったのですが、昭和50年代以前生まれの大阪人なら、上の写真のように天王寺駅の端に居心地悪そうに止まる、1両ないし2両の電車に見覚えがあると思います。

廃止されて今年でちょうど30年、平成生まれの人だと

え!?天王寺に南海電車が走ってたの!?

と驚く人の方が多いかも知れません。

いや…

Wikipediaより

ほんの10年くらい前ま線路の跡が残っていたので、知っている人も多いかな!?

全長たった2.4kmの短い路線だったのですが、実は途中駅の変遷が激しい路線でもありました。

(今昔マップより、1974年の地図)

戦後の停車駅は、「いまいけ」こと阪堺線の今池停留所の下にあった「今池町」のみとなっていますが、戦前は今池町駅が存在せず、別の駅が、しかも二つも存在していました。

南海天王寺支線の曳船駅と大門通駅

タイトルにもあるように、戦前には「大門前」「曳舟」という途中駅がありました。

曳船・大門通駅の短い歴史

南海天王寺支線は明治33年(1900)、天王寺〜天下茶屋間に開業しました。
開業当初は途中駅が存在していなかったのですが、7年後の明治40年(1907)に曳船駅が開業しました。同年に天王寺支線が電化され、電車が走るようになっています。

なお、本来は「曳舟」なんだそうですが、駅名の由来になった曳船町がずっと「曳船」だったこと、現存する東京の曳舟駅とややこしいCEO対さ…ゲフンゲフンにつき、以後は「曳船」に統一します。

もう一つの大門通駅の開業は昭和6年(1930)のこと。同年に支線の複線化が完成しています。
「大門」とは、駅のすぐ南にある飛田遊郭の大門のこと。名前のとおり、天王寺からの遊郭への客を見込んでの開業だったと思われます。

ちなみに。

遊郭の「大門」は基本、「おおもん」と読みます。

吉原大門交差点
東京吉原の「おおもん」

東京のあの吉原に倣い、遊郭の「大門」はすべて「おおもん」と読みます。「だいもん」と読みたい気持ちはわかりますが、「おおもん」です。
しかし、上の地図だと「だいもん」と書かれている…おそらく「おおもんまえ」が正しい。

両駅はこのまま存続するのかと思ったのですが、戦争が彼女らの運命を翻弄しました。

数少ない資料によると、両駅は昭和20年(1945)6月26日の大阪大空襲で破壊され、駅として全く機能しなくなっため戦後すぐの昭和24年(1949)に廃駅となりました。
これが、世間で言われている両駅の歴史。

Wikipediaより

そして、昭和20年(1945)6月26日が両駅の「命日」である…定説ではそうなっています。Wikipediaのソースとして記載されている『大阪春秋』の資料にも、同じく6月26日焼失と書かれています。

この2つの駅、地図でわかるとおり存在していたことは確かです。しかし、どんな駅だったのか、写真が残っていないのです。

しかし、こんなものを見つけました。

昭和17年(1942)、大阪市所蔵の航空写真です。昭和17年だと駅が消失してしまう前のこと、駅は存在しています。

南海天王寺支線曳船駅の写真と位置

写真を極限まで拡大すると、ホームらしきものの他に、駅舎っぽい建物もある気配がします。ホーム(推定)は一つしか確認できないので、曳舟駅はおそらく島式一面でしょう。そんなことすらデータが残っていない、幻の駅なのです。

しかしながら、今回これらの幻の駅が、航空写真とは言え写真で確認が取れました。

しかしながら、私はあることに引っかかっていました。彼女らの「命日」とされる6月26日のことです。

筆者
筆者

6月26日の空襲って確か…市北部じゃなかったっけ?

私の勘が、まずは外堀を埋めろと耳元でささやいているようでした。
まずはここを洗い出した方がいいな…私の冒険はここから始まりました。

スポンサーリンク

6月26日の空襲を考察する

曳船、大門通両駅が焼失・・したという6月26日の空襲を、ここでおさらいしたいと思います。
さらっとまとめると、

・26日の空襲は焼夷弾ではなく、通常爆弾によるもの
・主な目標は、此花区の工場及び城東区の陸軍工廠
・西成区には2発落下
・1発は現在の新今宮駅周辺に落下
・もう一発は…後述します。

この日の使用爆弾は、工場狙い撃ちの破壊工作のため焼夷弾ではなく通常爆弾。
ここでもうおわかりでしょう、「定説」の「焼失」はここであえなく誤りということが判明。

では、もう一発はどこに落ちたのか? 
こんな疑問を胸に、図書館や公文書館で26日の空襲の資料をあさっていたら、こんな資料が出てきました。

1945年6月26日の空襲で破壊された西成区の建物

西成区は同年の3月の第一次大阪大空襲で大部分が焼き払われ、6月初旬の空襲でも一部が焼けています。
その二つの空襲で焼けた家屋の台帳には、「焼失」と書かれています。

が、全部持ってきたら軽トラ1台分ありそうな台帳を丹念に調べると、「焼失」ではなく「破壊」と書かれた家屋も一部に記載されていることに気づきました。「破壊」なので通常爆弾が直撃したのでしょう。しかも、日付は6.26…ついに見つけた。
しかも、「破壊」と書かれた場所は、旧今池町1に集中している。よし、2つ目の爆弾投下地見つけたり!

大阪西成区の空襲と飛田新地と南海天王寺支線

「6.26破壊」の台帳の住所を元に、Googleマップに上書きしてみました。大門通駅からは比較的近いため、距離的にこの爆弾で吹き飛んだ可能性があります。落ちた爆弾が1トン級なら、大門通駅はこの世に髪の毛一本遺さず吹き飛びます。

しかし、曳船駅からはそこそこ離れており、投下地からの爆弾一発でこの駅を跡形もなく吹き飛ばすのは、原爆でも使わない限り物理的に不可能。

よって、定説の「6月26日命日説」は成立しません!

定説は覆った。あとは「真の命日」を探すのみ。

発見!曳船・大門通駅の「シン命日」

引き続き台帳を丹念に調べていったのですが、駅の焼失記録はいっこうに見つからず。
おかしいな…必ずあるはすやのに…ここで私はある先入観を持っていました。

筆者
筆者

駅名が「曳船」やから、「曳船町」にあったはずや!

そう、この先入観で「曳船町」の台帳を探していたのです。

しかし、ここで冷静になって航空写真をいまいちど見直してみました。

南海天王寺支線曳船駅の写真と位置

「駅舎」らしきものは線路の北にあると推定していました。「曳船町」は駅の南側、北側は曳船町にあらず、海道町という別の町名だったのです。

これでスッキリして改めて探してみると!

南海天王寺支線曳船駅と大門通駅がなくなった日の証拠

ついに見つけたぜ…曳船駅の「本当の命日」が書かれた一次資料を…それにしても、駅は「雑種家屋」やねんな。

さて、そこに書かれていた日付とは…

南海天王寺支線曳船駅焼失の資料

3月14日!!!

駅は3月の第一回大阪大空襲で焼けていたのです。

6月26日ではないはずだ…5年間にわたる疑問と勘が当たりました。

定説、ここに破れたり!

お次は大門通駅の「命日」はどうなっているのでしょうか。

大門通駅の住所は様々な資料を調べても判明せず。しかし、だいたいの場所の目星はついているので、地番か細かく書かれた地籍図とにらめっこしつつ、台帳を調べたら一目瞭然。

南海天王寺支線大門通駅が焼失した記録

戦前の地図に記載の駅の位置とビンゴでこの台帳を発見。こちらも「3月14日焼失」と明記されており、6月26日説が覆ることになります。

今までの常識を自分の手でひっくり返すこの瞬間…まさにエクスタシーの極致。

…気を取り直して、この台帳で面白いことが見つかりました。

所有者が南海鉄道ではなく、近畿日本鉄道となっています。
昭和19年(1944)6月1日、南海鉄道は国策につき「近畿日本鉄道」の一部となります。近畿日本鉄道とは、あの近鉄のこと。短い間ながら南海は近鉄だった時代があったのです。
なお、南海が保有していた「南海ホークス」はこの時、「近畿日本グレートリンク」に改名されています。ホークスも「近鉄」だった時代があったのです。

しかし、それだけなら特に驚くに値しない、歴鉄なら常識の事実。

上の台帳の「近畿日本鉄道」の住所を見て下さい、阿倍野になっています。
要は今の近鉄阿部野橋駅が住所になっていますが、ここで「あれ?」と引っかかったのですが、どうやら昭和18年(1943)に本社が上本町→天王寺(阿部野橋)に移ったようです。

ついでに報告しておくと…

阪堺線今池駅が空襲で焼失した証拠

「海道町64番地」こと阪堺線の今池駅も、3月14日の空襲で焼けています。

スポンサーリンク

さて、この両駅はどうなっているでしょうか。

南海天王寺支線大門通駅の位置と跡

新世界から飛田新地へ伸びる飛田本通り沿い、天王寺支線の南側に駅舎がありました。現在はカラオケ居酒屋になっています。
そのすぐ右が廃線跡、大門通駅の遺構のかけらが少しでもあれば…と目を凝らして金網越しから覗いてみたのですが、おそらく何一つ残っていません…。

南海天王寺支線曳船駅跡

お次は曳船駅の跡。

その駅跡は現在、「三角公園」と呼ばれる有名なルンペンのたまり場になっています。
正式名称は「萩之茶屋南公園」というのですが、誰もそんな名前では呼んでいません。みんな「三角公園」です。私もGoogle mapを見てビックリ。ここって『三角公園』ちゃうのん?と。

そして南海がなくなった現在、その真下を地下鉄堺筋線が走っています。

以上、令和の世の中には幻となった都会のローカル線の、そのまた幻の駅の歴史でした。
今回はこれにて読み終わり。

南海電鉄歴史紀行は他にもあります、よかったらどうぞ!

第五回内国勧業博覧会と幻の停車場ー第ゼロ代新今宮駅?
JRと南海の乗換駅として、人の往来が絶えない新今宮駅。私もかつて数年間、ここでJRから南海に乗り換えて通勤したことがあります。この駅、いかにも昔からありました感を漂わせているのですが、開業は戦後のこと。国鉄側が昭和38年(1963)、南海側…
南海鉄道大浜駅-短命に消えた幻の駅【南海電鉄歴史紀行】
堺と湊の間にあったもう一つの駅2022年現在、本線の堺駅の次の駅は湊という駅となっています。現在の堺駅のやや南側、現在のフェニックス通りを隔てた側に旧龍神駅が、コンフォートホテル堺の位置に旧堺駅があったのは、以下のブログで説明しました。実は…
南海の新聞電車と女給電車【南海電鉄歴史紀行】
「女給」という響きには、どこか昭和を感じます。この言葉が生まれたのは、昭和ではなく大正時代のようで、宇野浩二の『苦の世界』(1918‐21)には「いっそのことカフエエの女給にならうかしら」という文章があります。それが全国区になったのは大正の…
たった数年間だけ存在!南海”本線”の高師浜駅【南海電鉄歴史紀行】
南海電鉄本線、羽衣駅から高師浜線という支線が南へと伸びています。全長約1.5km。乗ってもたったの5~6分。聞くところによると、日本一短い支線だそうです。今は2両編成ですが、私が幼いころは1両の電車がのんびりと往復しており、かわいい電車やな…
君は、日本初の冷房車を知っているか【南海電鉄歴史紀行】
日本で初めての冷房車を運転させた鉄道、それは南海電鉄。日本初の冷房車とその悲運の歴史。
南海本線二色浜駅の怪ー南海電鉄さん駅の開業年間違ってない!?【南海電鉄歴史紀行】
南海電鉄本線の二色浜駅。大阪人にはおなじみですが、大阪府でも数少な…いや、唯一ではなかろうかという天然の海水浴場、二色浜海水浴場の玄関口であり、都心部から近いこともあり、夏になればたくさんの海水浴客で賑わいます。別に「怪」も謎もなかろうに……
  1. 現在の天下茶屋1丁目
スポンサーリンク

コメント

  1. 巽孝一郎 より:

    訂正とお詫びのお知らせします(誤)昭和6(1930)年とあるのは(正)昭和5(1930)年誤りでした、

タイトルとURLをコピーしました