松田優作と赤線の足跡| 遊郭・赤線跡をゆく番外編|

松田優作と下関と遊郭中国・四国・九州の遊郭・赤線跡

東西南北の人が集まり通っていた下関には、その数だけ人間ドラマがあると言っても過言ではありません。
遊郭に通う人たちも、何も現地の人だけとは限りません。下関を通過(トランジット)するだけながら、次の移動待ちの間にフラリと赤いランプに導かれて女の園に吸い込まれる…。そんな男達は星の数ほどいたはずです。
今回は、そんな男と女の色情を見て育った、ある男の生涯を追ってみます。

下関には、以前紹介した新地稲荷町・裏町豊前田の他にも遊郭が存在していました。
その名は今浦町。今でもそのまま地名が残っているのですが、本編の主人公は終戦直後の男と女の本性が渦巻く、丘の上にあるこの町で生まれました。
父親は長崎からやってきた妻子持ちの男、女は今浦町で質屋を営む戦争未亡人。普通に暮らしていればまず交わることがない二人は不倫の関係になって結ばれ、やがて女は男の子どもを身ごもり、出産します。

 

松田優作

時は昭和24年(1949)、のちの俳優松田優作の誕生でした。
母親の松田かね子は生活のためか、質屋業の他に自宅の2階の小部屋を女性に貸す商売も始めていました。物心ついたばかりの優作少年は、厚化粧の女たちが見知らぬ男を連れて来ては奥で「何か」をしている、そんな姿をまぶたの裏に刻んでいました。

それだけではありません。自分の母親も同じく常に見知らぬ男が傍らにいて、その時のことをこう語っていました。

もう、イヤでしょうがなかった。なんなんだろうおれは。
生まれてこない方がよかったんじゃないか。
男が来るっていう時はカギかけて、入ってこられないようにして、
そうすると、おふくろが上から降りてきて”バシッ”と
ひっぱたかれたりして…。

おふくろは、女をやめていなかった。

母親が母親ではなく一人の「女」になる。これが優作少年の心の中に、刺のように突き刺さっていたことが伺えます。そのせいか、小学校時代の優作少年は荒れ放題で、クラスメートも彼を遠ざけ友達もほとんどおらずいつも独りぼっちでした。
松田優作には兄が二人いたのですが、彼の傷に更に追い打ちをかけたのは、優作は兄と父親が違っていたことを知ったこと。更に、自分の父親はフラっと現れた名前も知らない男…。彼の心に余計に傷がついたのは想像に難くありません。

高校生になり、彼は発作的にアメリカの叔母を頼りに太平洋を渡るものの、ホームシックや叔母の離婚もあって帰国します。が、自分から家を出て行った身の彼に帰る家はもはやなし、仲が良かった兄を頼りに東京へ渡ります。
その後、高校を卒業し大学へ進み、そこで才能を認められ俳優の道へ。そこからの人生は、私が書くまでもありません。

しかしながら、松田優作は何か雰囲気に「暗さ」というか「陰」があり、目も何か訴えかけるような「寂しさ」があった感じがしたのですが、これが幼少期に見てはいけないものを見てしまった心の刺のせいかもしれません。幼少期の経験は、普段の意識の中には残っていません。が、潜在意識の中にはくっきり残っており、それが人生に影響を与えることは少なくありません。

遊郭、ストレートな表現をしてしまえば売春窟という特殊な街角で生まれ、そして自分の母親が「女」として体を売るのをこの目で見てきた現実。そして父親を知らない私生児として、在日韓国人として、様々な葛藤とコンプレックスが複雑に絡み合い、あの雰囲気とスタイルが出来上がったのかと。
たとえそれは、結婚して子供に恵まれ、「普通の家庭」を持ち「普通の父親」になっても尾を引いていたのかもしれません。

松田優作が生まれ育った遊郭街、今浦が今どうなってるのかをメインに書いてみようと思います。

 

松田優作下関今浦町

「今浦町」の地名は、現在でも残っています。

 

松田優作下関今浦町

今の今浦町の街並みです。今浦町は、以前紹介した新地遊郭とはほとんど隣町と表現して良いほど近く、これも新地遊郭に行った「返し刀」的な感じですが、新地遊郭跡と違いめぼしい建物はほとんど残っていません。どこにでもあるような、ごく普通の街並みになっています。
ここが遊郭・赤線だったことは、今を見ると信じられないくらいの静けさを保っています。

 

松田優作下関今浦町

そん中で、唯一古そうな建物がありました。遊郭赤線とは関係ないとは思いますが、周りの建物と比べて明らかに「古い」のは確かです。

 

松田優作下関今浦町

松田優作の生家あたりの写真です。
情報によると、写真左の建物の奥あたりが松田優作の生家で、彼を偲ぶファンが今でも訪れるとかいう話を聞いたのですが、私が行った時は特に目立ったものも、もちろん「ここが松田優作の生家です」という標識もなく、結局どこが生家なのかはわからずじまいでした。「生家は火事で焼けた」という情報もあるし、正直よくわかりません。

 

松田優作下関今浦町

しかし、優作少年が幼少期に見た光景は、裏道に残っている感じがしました。戦後の赤線時代もおそらくこんな感じだったのでしょう。
こんな細道をフラフラと歩いてると、女の化粧と酒の匂い、窓から手招きする女性の姿、そんな在りし日の過去が蘇ってくるような感覚さえ覚えました。
少年期の松田優作が目にした光景、それは女が女を武器にして女を売る、そんな「女の街」の一シーンが毎日のように繰り広げられる映画のような、でも出来れば映画だけであって欲しいようなものやったんかもしれません。

本日11月6日は、優作が亡くなって32年、つまり三十三回忌にあたります。以前のブログ記事のリライトとはいえ、三十三回忌という節目にこんな記事が書けたのも、何かの縁があったと思いたい。

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