【後編】『火垂るの墓』の史実との矛盾を考察する

野良歴史家の歴史探偵

軍人恩給と貯金

また、父が戦死すると、「軍人恩給」という年金が遺族に支給されます。戦死した階級によって支給額は様々ですが、士官で戦死となるとけっこうな額が支払われます。

75年前の戦争の恩給だなんていつの話やねん…とお思いでしょうが、令和元年度でも約1900億円、令和2年度でも約1500億円の予算が計上され、約20万人が受給している現在進行系な制度です。そういう意味では、まだ戦争は終わっていません。

 

恩給の計算は総務省のHPで公開されていますが、けっこうややこしいので、頭の中が小学生の算数レベルで止まっている私にはさっぱりわかりません。が、士官だと勤続13年以上が支給条件で、公務死亡つまり戦死だと年間最高約200万円支給されることくらいはわかります。総務省が物価を換算して出している数字なので、昭和19~20年もそれ相当の額が支払われた可能性があります。もし父が大佐で公務死亡なら、ほぼ満額もらえるんじゃないですかね。

恩給(遺族年金)は、映画中の設定では兄妹に直接支給されるのですが、引き取ったあの意地悪な(?)親戚は後見人として年金をまるまるネコババ…もとい受け取ることも可能です。全額はやりすぎにしても、大義名分をつけて何割か自分のポケットに入れても、引き取っているのだから文句は言えまい。

おそらく年間数百万円、彼らが生きている限りもらえる金脈をなぜむざむざ捨てるのか。そんな理由はないと思いますが。もし私が親戚の立場なら、彼らが家を出て行くと言っても止めます。それ以前に丁寧に扱ってかわいがります。寝てても金が入ってくる「ATM」、絶対離さへんでー。

 

また劇中では、母親が溜めたか家の預金が7000円もあったと清太のセリフにあります。この描写は原作にもあります。

この7000円がどれだけの金額か。

政府公式の「企業物価指数」という数値を目安にすると、

674.3(平成24年) ÷ 3.503(昭和20年) 192.25

当時の1円は今の192円という計算になります。

7000円は現在の¥1,334,000となりますが、これはただの机上の理屈。

モノにもよりけりですが、昭和初期の価格に2500~2800を掛けると、だいたい今の値段に相応した価格が出て来ると言います。つまり当時の1円は、ざっくりで今の2600円くらいとみなして結構かなと。

7000円だと今の1750万円くらいになりますが、今でも大金なのに物価が安かった当時はもっと大金。戦前の総理大臣の年収(9600円)には及ばないものの、かなり近い金額です。

 

当時の7000円で、一体何が買えたか。具体的なものを一つ挙げてみます。

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昭和10年(1935)、神奈川県鎌倉山の約20坪の別荘が1,500で売りに出されていました。鎌倉山住宅地とは上流階級向けの分譲住宅地として開発され、東京の金持ちが避暑の別荘として購入したと言います。しかし、昭和10年より「土地付き住宅」を1500円均一で販売し始め、サラリーマンなど中流にも購入しやすいような住宅の販売も開始しました。

(詳しくはこちら:http://www.jusoken.or.jp/pdf_paper/2011/1006-0.pdf

7000円なら4軒買える計算となり、兄妹は餓死どころかここで悠々と暮らせます。ただ、お金だけでモノが買える時代ではなかったのが兄妹の不幸でしたが。

 

鬼の親戚も視点を変えると…

映画では兄妹に冷たい仕打ちを与える親戚ですが、私も幼い頃激しい怒りを覚えたものです。原作でも同じなのですが、何故冷たく当たるのかの伏線が敷かれています。

しかし、時が経って大人になり昭和史の研究を重ねると、親戚の言うことの方が至極ごもっともに思えるのです。

映画を見ると「かわいそう」が前に出て感情的になる上に、日本人独特の判官びいきでいかにも親戚が悪者に見えますが、あれはどう考えても清太の方があかんでしょと。

節子は4歳なので除外ですが、14歳という設定の清太は立派に動ける年齢、やはり家の手伝いくらいはしないといけない。少なくても自分から、

「何かできることありませんか?」

と言い出さないといけない。アニメにあれこれ言うのもナンセンスですが、あの時代に食っちゃ寝は、悪いが嫌味の3つや4つ言われてしかるべき。そして、妹を守るためにもじっと我慢し、親戚に土下座してでも置いてもらうべきではなかったか。妹を守らないといけない兄としての自覚が足りぬ。

これに関しては、私ほどドライではないですが、『映画を作りながら考えたこと』で高畑勲監督自身が同様のことを述べていました。が、清太は(当時の)イヤなことから安易に逃げる現代っ子っぽいじゃないかと、少し突き放しています。

 

それ以前に、清太は家でニートをやっている場合ではありません。
戦争の長期化で街の空気が重苦しくなり、正月も祝う余裕すらなくなった昭和19年の2月25日、政府は閣議でこんなことを決定します。

「原則として中等学校以上の学生生徒は、すべて今後一年常時勤労その他非常任務に出動せしめうる組織体制におく」

要は、中学生の年齢に達した人は全員お国のために軍需工場で働けということです。
中学生が学業を投げ出して軍需工場に働きに出るのは秋以降となりますが、映画は昭和20年。畳に上でのんびり寝ているヒマなどないはず。実際、原作ではこれを理由に親戚から嫌みを連発されています。

 

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NHKなど昭和史関連のTV番組にはご意見番としてよく出演していた、歴史家・作家の半藤一利さんがいます。
もしも清太が実在で現在でも生きていれば、氏の一つ下。彼の昭和戦前史=清太のものと捉えることも可能です。
半藤氏の昭和19~20年はどういうものだったのか。
悪ガキ旧制中学生だった19年の秋、学徒勤労動員の号令がかかり、学業はすべてストップ、零戦の弾丸をつくる海軍の工場で鉢巻巻いて働かざるを得ない状況になりました。ただし、タダ働きではなくちゃんと給料は支給されていました。彼らより少し年上の宮脇俊三(作家)は、有給休暇(今のとはちょっと違いますが)を取って「人生最後の乗り鉄」まで行っています。
その後、翌年の3月10日の東京大空襲の焼夷弾の雨の中をなんとか生き延び、父の生家である新潟県長岡に疎開します。中学も転校するのですが、そこでも勤労動員で働いています。終戦の玉音放送も工場の中で聞いていました。

当時の14~5歳の平均的な経歴ですが、同世代の清太は一体何をのんびりやってるんだと。

 

ただし親戚にも、子どもを預かっている保護者としてやるべきことがあります。
清太が父に宛てて手紙を書いたか聞くシーンがあります。清太は「呉の鎮守府宛」に書いたと発言していますが、もし『摩耶』乗組なら、『摩耶』の母港は呉ではなくて横須賀。何を根拠に清太が呉に手紙を出したのかは、原作でも背景が描かれておらず不明ですが、そりゃあかんわと。

しかし、海軍士官である父親宛に出しているはずなので、鎮守府付きの士官が父がいまどこにいるか確認し、手紙を転送するはず。たとえ宛先を間違えても最終的には届くと思われます。軍はそこまで非情ではありません。

いや、それ以前に…あんた(親戚)が役所通して消息確認したらんかい!と(笑

 

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違う方向からの抗議

『火垂るの墓』の設定おかしいわ!と手を挙げた人がもう一人います。

 

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それがアニメの巨匠宮﨑駿さん。
氏はガチのミリオタで、高校生にして既に軍事評論家とガチンコ議論が出来たほどの専門知識(兵器・戦史)を持ち合わせていました。

『火垂るの墓』が話題になっていた頃、彼は雑誌でこんなことを言っています。

「『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。 あれはウソだと思います。
(中略)
それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。
それは戦争の本質をごまかしている。
それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。
しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスの エリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。
神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、
自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、そのこどもを探したはずです。
それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。 (以下略)」

何か異議を唱えていたということは知っていましたが、ここまで言い切っていたとは。私と同じことを宮崎氏は思っていたということです。でも、巡洋艦の艦長なんて描写、原作にもアニメにもないですが。

彼はまた、重要なことを指摘しています。それは海軍の横のつながり。

陸軍が親分子分のタテのつながりなら、海軍は同期どうしのヨコのつながりが強い社会でした。『貴様と俺とは、同期の桜』という歌がありますが、あれは海軍の歌。陸軍軍人があれを聞いても全くピンときません。

横のつながりは相互扶助社会という一面もありますが、反面閉鎖的な村社会ともなります。海軍の閉鎖的な一面の実例もあるのですが、ここでは書きません。

元海軍士官たちが『火垂るの墓』に猛抗議したのも、一理はあったのです。

 

おわりに

こうして考証・考察していきましたが、こうして書いてきてあることを思いました。

映画は完璧なほど面白くない。完璧を極めると実に面白みがなくなる。不完全だからこそ面白い。

これが当たっているかどうかはわかりません。真っ赤なウソは論外ですが、多少のスキを作ってツッコミを入れられるようなスペースを敢えて作る。それも映画を作る側にとっての一つの余裕のあらわれかもしれませんね。おかげで、絶好のブログネタが出来たのだから。

こんなブログ記事もあります。

神戸大空襲と三宮駅の戦争の痕-空襲から75年目に添えて

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