広島といえば、原爆ドームに…
平和記念資料館(原爆資料館)。
ここに来るには中学の卒業旅行以来、広島まで旅に来た目的のメインでした。
が!
G7以後の外国人観光客の殺到にお盆が重なり、中に入るだけでも3〜4時間かかりそうな人・ひと・ヒトの行列に私は戦意を喪失し、さっさと退散。外は朝でさえ30℃越え、最高36℃の予報の中で並んだら、中に入る前に熱中症で倒れるわ。
しかし、こんなことは想定済み。混んでて入れない時のために「プランB」を用意し、足は資料館の川向かいへ。
そこに、ひっそりとたたずむある建物が存在します。
たかが便所!されど便所!本川沿いにある「被爆トイレ」
一見、何気ない、ホントにどこにでもありそうな公衆トイレなのですが、これ実は…
被爆建物なのです!
つまり、昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、広島上空で原爆が炸裂した時にはここにあったトイレなのです。
外観は、タイルが貼り替えられたりリフォームされており、とても築70年以上とは思えません。が、写真には撮り忘れてしまったものの、ちゃんと広島市認定の「被爆建物」のプレートもついている正真正銘の被爆建造物。
そもそも、このトイレが被爆建造物だったことが判明したのは2015年。
終戦直後、米軍の調査団撮影の広島のカラー映像にしれっと映っていたのが、この「被爆トイレ」。
これを見たのだろう広島市民が、
これ、本川沿いのあのトイレじゃね?
と広島市に通報。市が調査し、偶然ながら原爆投下ジャスト70年にして晴れて認定されました。
私も歴史探偵として「今まで何十年も知られていなかったこと」を掘り出し、「そんなの常識やん」と誰も疑いもしない「歴史的事実」を180度覆すこともありますが(例えばこれとか)、これも
よく70年も知られなかったな…
というのが正直なところ。
私が「被爆トイレ」の存在を知ったのは4〜5年前のこと。ツイッターでバズってたのを見たからでしたが、それもあって、
こんなのみんな知ってるでしょ
というノリでツイッター(現X)に投稿しました。
すると!
たかがトイレの写真に、イイネ4.2万がつくという大花火大会となりました。ぶっちゃけ、3日経った今でもふぁぼの数は伸びてます。
コメントを見てみると、
し、知らなかった…
というコメントが山ほど。あら、案外知られてなかったのねん。これもまた意外でした。
すごく意外すぎて、写真2枚しか撮ってません…こんなにバズるならもっと撮っておけばよかった(笑
たかがトイレにマスコミの取材まで受けてしまい、記事にもなってしまいました。
本文に出てくる「投稿主」、何を隠そうこの私です(笑
このトイレ、本当にさりげなく、しれ〜〜っと存在しすぎて、広島市民でさえ70年気づかなかった筋金入りの建築物。
良くも悪くも「ただのトイレ」なので、ワクワクしながら来て、
なんや、ただのトイレやん
と思わないように。確かにただのトイレなのだけど(笑
このトイレは、原爆に耐え、70年以上の風雪に耐え、誰にも知られないまま時を過ごし、ようやく光が当てられた建物。見るのではありません、感じるのです。
平和記念資料館はかすりもできなかったけれども、その分、「プランB」がバズっただけでもせめてもの罪滅ぼしになるでしょう。
といったところで、今回のお話は読み終わり。
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