「あかつき」に使われた車両と展望車

「あかつき」を牽引した蒸気機関車です。
こちらも高速で走るために高速仕様にでもしたのでしょうか。


特徴的なのはその展望車。オープンデッキがない閉鎖型のものですが、これは大陸の寒さが厳しく黄砂などの土埃もすごいので、オープンデッキにすると不自由を伴うという理由から…とされていますが、では後述する「ひかり」「のぞみ」はオープンデッキなのは何故?という疑問にぶち当たります。
なお、1等には小さな図書館が併設されていたそうで、それは「ひかり」「のぞみ」も同じでした。
戦争に消えた「あかつき」の超特急
その後の「あかつき」は、戦争が始まった後も走り続けましたが、戦況の悪化と共に昭和18年(1943)11月に廃止となり、「あかつき」の戦前史はこれで終わりを告げました。

そして戦後、昭和33年(1958)に東京〜大阪間の不定期夜行急行として復活。のちに定期運行され東海道新幹線開業の昭和39年(1964)10月まで走り続けました。
現代に残る「あかつき」

韓国の義王市という場所に、韓国国鉄直営の鉄道博物館があります。
文字通り韓国の歴代の鉄道車両が展示されており、鉄としては車両を見ているだけで面白さを感じ、ここだけのために韓国へ行ってみるのも悪くない。
現在、筆者は通信制の大学で勉強中の身でもありますが、第二外国語が韓国語なので、韓国語単位取得記念に行ってやろうかという気になってきます。
そんな博物館に、ある車両が展示されています。

戦後に韓国に駐留している米軍の司令官専用列車(韓国語で貴賓客車)として使われた車両として展示されていますが、種車は「あかつき」の展望車と言われています。
「言われています」というのは、車長が展望車と違うなど異説もあるからです。
何にしろ、日本嫌いだ日帝打倒と言ってる割にはこんな車両を残している韓国のセンスがわかりませんが、こうして残してくれていることにはひとまず感謝ですね。
・『朝鮮鉄道四十年略史』
・『半島の近影』
・『満洲写真帖』
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