島の各地に残る廃線跡
その昔、この位置に「賀集駅」がありました。
賀集駅の写真です。
その51年後の姿です。駅の奥にあった玉ねぎの集積所(?)は跡形もなく、駅は奥の民家の場所にあったそうです。
赤い丸で囲んだ部分は、おそらく鉄道時代の盛り土の跡だと思います。ここだけ不自然に地面が盛られているので、まだ淡路交通が所有権を持っている土地なのかもしれません。
賀集から洲本方面に行くと川があるのですが、そこに
他のと明らかに違う形のものがあります。
地元の人に聞いてみると、鉄道の橋がかつてここに架かっていたそうです。
この部分を反対側の岸から見ると、
同じような跡が見えます。その向こうに盛り土がありますが、あそこに鉄道が通っていたとのこと。
加工すると、黄色で塗った部分に鉄道が走っていたことになります。
盛り土の上へ上がってみると、明らかに鉄道が通っていましたよと言わんばかりに、長方形の区画とコンクリートの境界が。
たまたまいた地元の人に聞いてみると、鉄道線がそのまま残っているそうで、話を聞いた人はここを、「道ではないんだけどね」という前置きで「電車道」と言っていました。黄色で線を引いた内側に、かつて電車が入っていました。
「電車道」。電車がかつて走っていた道を、地元の人は今でもこう言っているようですね。警察官も言っていたので、かなり根強く残っている言い方なのでしょう。
昭和40(1965)年の、福良付近の国道28号線の写真です。ここの51年後の姿は…
ほぼおなじアングルから撮ってみました。ハンコ屋さんがそのまま残っていたので、いい目印になりました。
国道28号線は後で鉄道の線路を撤去して拡張したようで、右の歩道あたりが鉄道が走っていた跡になるかなと思います。
鉄道遺産?謎の給水塔
ここから福良方面に進むと、右手にローソンがあるのですが、そのまま少し坂を下って右手に、鉄道の跡と言われるものポツンと残っています。
蒸気機関車時代の給水塔と伝えられている遺構です。
淡路島の鉄道の遺構は、今は橋台などがわずかに残っているだけですが、その中でもいちばんはっきり残っている名残りではないでしょうか。ネットで写真を見ただけだと老朽化でけっこうショボいというか、小さく見えるのですが、実際に目の前で見るとけっこう大きい。作りもコンクリートでしっかりしている感じです。
ただし、これは民家の中、良い子は中に入って撮影しないように(笑
それにしても、この給水塔らしきもの、ちょっとした謎が浮かびます。塔が建っているのは終点の福良駅の途中で、駅はもっと先にありました。こんな中途半端な場所に何故蒸気機関車の給水塔が?
淡路交通鉄道線を取り上げたサイトやブログは数多し。しかし、これに疑問を呈しているサイトは、私が調べた範囲ではほぼ皆無です。一つだけ、神戸新聞の新聞記事が軽く書いていたくらいでした。
実際に現地に行ってみたらわかるのですが、この塔が建っている所、
このとおり、長い坂の途中なのです。この道は鉄道の跡を道路にしたもので、終点の福良までほぼ一直線です。
ダラダラと上り坂が続くのですが、これくらいなら今の車どころか、原付バイクやロードバイク級の自転車でも大したことはありません。
しかし、坂は坂。当時のマッチ箱蒸気機関車では、この坂を上るのは相当キツいと思います。
郷土史家の話によると、昔の福良駅はここあたりにあったとのことですが、こんな坂の真ん中に駅作るかな?それも福良の市街地と離れてる場所に・・・こんなとこに駅を作っても金の無駄、建設の資金難に苦しんだ当時の淡路鉄道がそんな無駄しますかね?
更に、坂の途中で駅を作っても、仮にブレーキが効かなくなったら、洲本からやってきた列車が、下り坂でスピードを上げたまま駅に突っ込む羽目になります。そうなると大惨事。
坂の傾斜のレベルが違いますが、近鉄奈良線暴走事故のような大事故が起こっています。
手持ちの自転車(ロードバイク)で惰性で走っていても、この下り坂は35km/hくらい出る角度です。これは駅として立地条件があまりに悪すぎる。
洲本市立図書館から拝借してきた資料の中にあった年代不明の写真ですが、架線があるので電化後の昭和20年代以降だと思われます。赤で囲んだ所に給水塔が見えます。
この写真を見る限り、ここに「終着駅」があったとは思えません。
ここで、私なりの仮説を提唱します。当たってるかどうかは知りません(笑
1.福良駅を発車した列車は、給水塔から続く長い上り坂のために、一度ここで給水し、機関車の「英気」を養ってから坂を上るため出発した。
2.昔はここに駅があったが、終着駅ではなく途中駅(ガソリンカーになった後廃止)。1.と同じくここで給水してから坂を上った。
この仮説、自分で考えておいて大きな疑問にぶち当たりました。なんでこんなところに?給水するなら、塔作るなら福良駅でもいいじゃないか。
そこで、3つ目の仮説です。
3.これ、そもそもSLのための給水塔じゃない。
どうしても、ここにたどり着くんですよね。
現地を歩いたとは言え、あくまで自分の頭で考えただけのもの。決定的な資料を持っていないので、どなたかが補足してくれることを祈ります。
最後に、神戸新聞がYoutubeにアップしている、貴重な淡路交通鉄道線の動画です。
昭和40年(1965)2月28日のフィルムなので、廃止1年前のものですね。
これで知る範囲では掘り尽くしたので、淡路島の鉄道のことはこれで終わります。
最後に、淡路島の鉄道の歴史を年表にまとめておきます。
■明治29(1896)年7月4日 軽便鉄道敷設願を提出(ルートは、洲本を中心とした、福良・由良・志筑間)
同日 淡路鉄道株式会社創立■明治31(1898)年6月30日 鉄道敷設却下(当時の逓信大臣の末松謙澄による)
同年11月 淡路鉄道株式会社解散 株主に資本金返戻
■明治44(1911)年12月 賀集新九郎ら地元の名士が鉄道敷設願再提出
■大正元年(1912)年10月25日 洲本~福良間の敷設許可が出る
■大正3(1914)年4月 淡路鉄道株式会社「再」創立
■大正11(1922)年11月26日 宇山~市村間で営業開始
■大正12(1923)年11月22日 市村~賀集間開通
■大正14(1925)年5月1日 宇山~洲本間開通
同年6月1日 賀集~福良間開通(全線開通)
■昭和7(1932)年5月 ガソリンカー運転開始
■昭和18(1943)年6月 国策により全淡自動車と合併
同年7月 淡路交通と改称
同年11月 洲本駅増改築
■昭和21(1946)年1月 洲本~岩屋間鉄道建設申請書提出
■昭和23(1948)年1月 南海電鉄から電車5両購入
■同年2月11日 電車運転を開始
■昭和26(1951)年8月 国衙踏切で電車とバスが衝突。死者2名、重軽傷者7名
■昭和30(1955)年9月 自動信号機を全線に設置
■昭和31(1956)年3月 南海電鉄より電車2両購入
■昭和32(1957)年12月 洲本駅改築。洲本観光会館新設
■昭和35(1960)年7月 阪神電鉄より電車2両購入(木造電車置き換え)
■昭和40(1965)年9月 集中豪雨により路線が寸断
■昭和41(1966)年8月 鉄道線廃止を運輸省に提出(のち認可)
■同年9月30日 さよなら運転(全線無料で開放)
■同年10月1日 廃止
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コメント
最後の写真、駐車場がある埠頭から洲本城の方を撮影した写真ですね。
写真右上の遠くに見える建物はホテル海月?宿泊した時ずいぶん年季の入った建物だなと思いましたが、もしかして、この写真に写っている建物と同じ建物?なのかもしれません。そりゃ、年季が入っているはずですね。