現存する日本最古の私鉄、南海電鉄。
和歌山方面や関西空港へのアクセスラインでもある本線と、高野山へのアクセスをほぼ独占している高野線を二本柱とした大手私鉄です。
昭和の時代には野球チームを所有していたりもしていましたが、現在は大手私鉄の割には地味な存在と思います。
が、経営は手堅い。コロナで主要鉄道会社が軒並み経営赤字の中、なんとガリバーJRを含めた大手鉄道会社唯一の経営黒字を達成しています。
やるな南海電鉄。かっこいいぜ南海電鉄。
そんな南海ですが、本線の列車種別は現在、下記の通りになっています。
急行
空港急行
区間急行
準急
普通(南海の場合、各駅停車ではない)
かつて南海には、もう2つの列車種別が存在していました。
厳密にいえば、「急行」が二種類あり(今もそうですけどw)、「準急」も2種類あったと表現した方が正しい。
いや、更に厳密に分けると「特急」も二種類あったよな…まあそれはいい。
準急に関しては今回は省略するとして、今回の主役は「もう一つの急行」の方であります。
今から30年も昔、南海本線には「急行」の他に「-急行-」が存在していました。地元民や鉄道マニア以外は、頭の上に「?」が3つくらい浮かんでいるはずです。一体何がちゃうねんと。
この二つ、同じ急行でもちょっと違う急行だったのです。
ちなみに、今回の主役「白線急行」とはこの「-急行-」のこと。
1988年、関西空港が開港する前の南海本線の時刻表です。和歌山市行きと泉佐野行き急行が掲載されていますが、停車駅に注目。前者は春木を通過に対し、後者は停車しています。しかし、時刻表上の表記はどちらも「急行」。鉄道好きなお友達以外は、ぱっと見の分別が難しい。
「急行」と「-急行-」の違いは、大きく分けて二つ。
①「-急行-」は必ず泉佐野か羽倉崎行き(淡路号を除く)
②春木駅(岸和田市)に停車するか否か
それだけの違いなのですが、これ、地元民以外には非常にややこしい事態になるのです。
春木行くには何乗ったらええのん?
“急行”に乗って下さい
乗った”急行”が「急行」なら春木は通過。客の方は
いつまで経っても春木に着かへんのやけど…
と気持ちがそわそわしてきたころには、春木はとっくに通過…なんてケース、絶対にあったはず。岸和田あたりで気づいたくらいなら、まだかすり傷程度。
そんなの間違えるわけがないって?
地元民でも、普段鉄道に乗らない+鉄道に興味がない「非鉄」がどうなるか、ある実例を示します。
小学校4年の頃、兄と一緒に難波へ映画を見に行きました。
上映が終わり帰路につくことになりましたが、私は別の映画を見ることとなり、2つ上の兄が先に一人で帰宅することになりました。
兄の鉄道&方向音痴ぶりは合点承知の助なので、
高野線の電車に乗るんやで!1番線から4番線の電車に乗るんやで!銀色の電車に乗るんやで!堺東で降りるんやで!
2回3回は強調しました。兄もはいはいと返事をしていましたが…。
この歳で東は名古屋、西は姫路まで日帰り乗り鉄していた私にとって、難波から堺などチョー楽勝。その後、一人で映画をもう一本見た後、兄を追うように同じルートで鼻歌交じりで帰宅しました。
すると、親があたふたしている…どないしたん?と聞いたところ…。
なんと兄は、あれだけ「銀色の電車に乗れ!」と言ったのにもかかわらず、本線の急行に乗ってしまった様子。いつまでも「堺東」に着かない不安でついに駅員に泣きつき(そりゃ永遠に着かんわな)、泉大津あたりで保護されて父親が慌てて迎えに行ったそうな。
母親には
なんでお兄ちゃんに教えてあげへんかったんや!
と怒られましたが、いやいやいやいや散々言うたし。鉄道博士の弟のありがたいご忠告に耳を貸さなかったのは兄の方であります。だから岸和田へ行こうが高野山へ行こうが兄の問題であって、私の関知することではござません。
この記事を見てくれている読者さんは鉄道系に強いはずなので、
本線と高野線の電車間違えるかふつう!
とにわかには信じられない出来事ですが、普段鉄道と縁がなく、興味もない「非鉄」はこれくらいで普通。信じられないでしょうが、非鉄は大和路快速と関空快速も、湘南新宿ラインと上野東京ラインの区別もつかないものなのです。
敢えて兄をフォローすると、難波駅のような日本屈指の大ターミナル駅の広さと人の多さ、そして横一列に並んだ電車の数に圧倒されると、乗り馴れていないと頭が真っ白になっちゃうのでしょう。
ちなみに、兄はこれがトラウマとなり電車恐怖症を患い(まあ自業自得ですが)、高校生になり電車通学せざるを得なくなるまで一人で電車に乗れなくなってしまったとさ。
閑話休題。
そんなややこしい「ダブル急行」(急行淡路号を入れると「トリプル」…)状態が長年続いたわけですが、それに終止符が打たれる時期がやってきました。
関西空港の開港です。
関空の開通により泉佐野止まりの「白線急行」がすべて関空まで延長され、現在の「空港急行」に衣替え。
空港急行は「急行」と違い、春木には全列車が停車します。これ実は、前身が「白線急行」だった名残であります。まあ、そういう意味では「ダブル急行問題」は解決されていないのでありますが、片方の名称が変わった分、
春木へ行きたいんやけど
空港急行に乗って下さいね
で解決してめでたしめでたし。
ここで間違っても、「関空行の電車」と言ってはいけません。なぜって?
そんなこと言うと、彼らは「ラピート」に乗っちゃいますよ。
特急券?何それおいしいの。非鉄の無知をナメてはいけません。
空港急行として発展解消された「白線急行」は、南海の時刻表からいったん消滅しました。
ところが、なんの因果か2017年のダイヤ改正で復活します。それも、深夜に一本だけ。
死んだはずの電車が墓場から蘇り深夜に彷徨っている幽霊列車感がなきにしもあらずですが、泉佐野行き急行はすべからく「白線急行」たるべし…南海にはこんな社内法規があるのかもしれません。なぜなら…
白線急行大復活 pic.twitter.com/zM2zDv07hQ
— happybreeding (@happybreeding) September 5, 2018
関空線が諸事情で運行見送りになると、空港急行が泉佐野か羽倉崎行きに変更の上、すべて「白線急行」となるからです。
白線急行との数十年ぶりの対面
良い子はとうに寝床で眠りについている午前0時すぎ、私は入場券を片手に本線堺駅のホームへ。
時は11月。大阪もこの時期になると寒さも一段階強くなっています。この日は「今年一番の寒さ」とのこと。しかし、東北から来るとそれほどでもない。暑いとは言わないけれど、震えるほど寒くもない。というか涼しい。これは、この翌日に同じ格好で東北へ帰ってきて改めて感じることとなります。
土曜日とは言え深夜、それも大阪にコロナ第三波が巻き起こっていた頃、ホームの人の数はまばらで至って静かなものでした。
深夜の南海本線は、車庫がある羽倉崎行きの電車が目立って増えていきます。
電車も中の人も車庫に帰ってお眠りにならないと、明日のお仕事に差し支えが出るのです。
そして待つこと十数分、24:18定刻どおりに奴は堺駅のホームに滑り込んできました。
行き先表示は泉佐野、そして種別表示は、急行に横線が入ったガチの白線急行。目の当たりにしたのは、それこそ関空開港前以来です。
その間に車両は本線も「銀色の電車」になり(笑)、行先幕もフルカラーLEDに。27年という年月の進化の速さを感じます。
この時は週末ということもあり、いつもなら飲み会帰りの飲兵衛どもの簡易寝台電車と化しているこの急行も、コロナ禍のせいで客もまばら。空気輸送とはではいかないけれども、なんば発最終の優等列車にしてはうら寂しい乗車率に思えました。せっかく復活の白線急行、廃止されないか心配です。
そんな私の心配など知るよしもなく、泉佐野行き「-急行-」は定刻通り堺駅を出発。横に停まっていた白線急行待ちの羽倉崎行き普通もすぐに出発。これにて本日の堺駅の営業は終了なり。
白線急行と少なくとも27年以上ぶりのご対面を果たし、胸がいっぱいになったところで、一つあることに気づきました。
そもそも白線急行は、泉佐野までなら区間急行と停車駅は同じ。それなら区間急行でええやんと。同じことを思った鉄道マニアは多いはず。
実際、白線急行の14分前に羽倉崎行きの区間急行が存在します。なら白線急行も、車庫がある羽倉崎行き区間急行にしたらいい。常識的に考えたらこうなります。
南海は、なぜ区間急行にしなかったのか。
それはわかりません。ただ、南海には鉄道マニアの琴線に触れさせるようなロマンを持ち合わせているのかもしれない。
そんな想像力を膨らませながら、本日の営業終了のアナウンスが流れる堺駅ホームの上で、珍電車をいつまでも見守りました。
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コメント
白線急行の中で円盤バージョンの春木~難波があったような気がします
4両編成で春木駅3番線発着で競輪の開催日走っていました