
大阪府豊中市は、先の戦争で6〜7回空襲を受けました。
死者575名、負傷者898人、罹災家屋3,540戸とかなりの被害を受けています。

特に6月7日の空襲では、1トン爆弾が落ちたのだろう、大きなクレーターの絵が残されています。
そんな豊中市内の戦争遺被害を物語る遺構が、市内の神社に残されています。

庄内幸町に庄内神社という神社があります。
一見ふつうの神社なのですが。

台座の部分が何ヶ所か欠けており、これが米軍の機銃掃射で欠けたものというのです。

よく見ると、「庄内神社」の「内神」の一部が新しくなっています。つまり、過去には欠けていたと。
確かなエビデンスはありませんが、これももしかして機銃掃射で欠けてしまったものではないかと。

手水舎にもこのように機銃掃射による大きな穴が開いています。
こちらは木なので、かなり奥まで弾丸がめり込んだのでしょう。

こちらの穴は小さいですが、弾丸が炸裂して細かく分裂したものか、当時あったらの話ですが、何かに当たったら散弾銃のように炸裂して殺傷力を増すような弾だったのかもしれません。
機銃掃射の跡を見ると、こういう細かい傷もよく見るので。

本殿の柱にも同じような弾痕が残されていました。
この庄内神社の弾痕、豊中市の戦争関連の遺構からもスルーされている穴場。実際、ググってもほとんど情報が出てきません。こんなにくっきり残っているのにね。
私も何でこれを知ったのか忘れてしまいましたが、戦争遺構に興味がある方は、是非訪れてみてはいかがでしょうか。
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