旧予科・高商科を歩く

お次は旧予科・高商科のキャンパス。ここは「旧教養地区」とも言うそうで、その名の通りかつてどこの大学にもあった「教養部」があった場所なのでしょう。
大阪市大は、本気で端から端まで歩くとかなりの距離があるのですが、旧本科と旧予科の距離は徒歩でほんの5分ほど。
旧予科校舎(2号館)

旧制大阪商大キャンパスは、上にも書いたとおり「大学本科」と「高商科・予科」に分かれていましたが、予科の校舎が現代に残っています。
こちらは本科の校舎と違い、1年早い昭和8年(1933)に竣工しました1。
予科とは聞き慣れない言葉ですが、正式には「大学予科」と言います。「旧制高校」と似たようなものなのですが、大きな違いが一つあります。旧制高校は、卒業すると原則どこの大学でも好きなところへ行ける高校に対し、予科は必ず本科へ進学しないといけない、つまり進学の選択肢がないという大きな違いがありました。

真正面から見ると、これがとても戦前築の建物とは思えないほど、それは現代的です。
1号館と似ていると言えば似ていますが、良く言えば無駄を究極なまでにそぎ落としてさっぱりした感はあるものの、悪く言えば削ぎ落としすぎて味気がない。
と思って側面を見ると。

やはり昭和初期建築の象徴、丸窓がヒョイと顔を覗かせる。これがアクセントになっているようです。でもなんだか味気ない…そう感じるのは贅沢でしょうか。
しかしながら、当時としてはかなり斬新な建築だと話題になり、建築専門誌にも「建築は明快な近代調 を帯びた意匠で、細部にはフランス風なものを見ることが出来るが全体として学校建築として推賞 するに足るものである」と激賞されています2。
体育館
2号館の横に、コンクリートの三角屋根の建物があります。

市大にはいくつか体育館があり、ここは正式には「第一体育館」。ピカチュウが歩いていますが、そこは気にしないで下さい(笑
昭和8年に予科・高商科校舎が出来た当時からの生き残りで、昭和8年(1933)3月竣工。2013年に改修工事が施されていますが、当時の姿を残しています。
戦後の進駐軍による接収時の「キャンプ・サカイ」時代には、病院の病棟にも使われていました。

上は昭和9~10年(1934-1935)の写真ですが、手前が商大の学生サポートセンター(当時は図書館)、奥が旧予科・高商科の敷地です。小さいですが、体育館が今と同じ形で存在していることがわかります。

体育館と2号館をつなぐ屋根付きの廊下が、いい味を出しています。見る人が見たら、ただのコンクリートの柱ですけどね(笑

こうして見ると、昭和40年頃築のうちの母校の体育館と変わらないんじゃないかと。
実際は30年先輩の建物なのに。

現在の体育館の中はこんな感じになっています。
こちらも、ぱっと見ではもうすぐ築100年を迎えようという建物には見えません。

高等商業学校時代の体育館の写真を見ると、奥の窓が現在は埋められている以外は、基本的な構造に変化はないようです。
それだけに、竣工当時はめっちゃモダーンだっただろうなと、容易に想像できます。
実際、当時の建築雑誌にも「日本初の『ステージギムナジュウム』である」と紹介されています3。
「ステージギムナジュウム」とは何かというと、講堂を兼ねた体育館のこと。様々な施設が備え付けられた、現在でいう綜合スポーツジムの先駆けだったのでしょう。
現存はしませんが、東側には本格的な室内プールもあったようです。
高商部校舎(3号館)
このキャンパスには、かつて「3号館」も存在していました。

高商部、商科大学付属高等商業学校の学生ですが、マントに下駄は旧制高校生そのものですね。
その後ろに見えるのが体育館と、現存しない3号館です。

残念ながら建て替えの際に取り壊され、現在は大学の全学共通教育棟(8号館)となっています。
旧高商部の建物は教養部の主要校舎として長年使われてきましたが、2006年に壊され既になく、このように新しい建物(全学共通教育棟)に変わっています。
が!

校舎の1階には3号館にあったという木製の丸窓が移築され、大学の歴史を語るモニュメントとして展示されています。

12~3年くらい前には、大小合わせて旧商大をしのぶ建物がかなり残っていたそうです。
しかし、耐震リフォームするより建て直しのほうが安くするのか、どんどん壊されていきました。
地元だからいつでも行けると高をくくっていると、気づいたら何もなかった…ということは多々あります。
建物を残せというのはいろんな意味で無理があるので、せめて写真だけ撮り、デジタルの中では残しておくようにしましょう。
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