現在の乳守遊郭跡の姿
龍神・栄橋が戦後に何もなかったかのように復活したのに対し、乳守遊廓だけがきれいさっぱり消えるのはおかしい。どうも納得がいかん。
と胸に一物を残しつつ、まあ何も残ってへんやろ、と収穫ゼロ上等でフィールドワークに出発しました。
遊廓跡は、今の堺市堺区南旅籠町東2丁と南半町東2丁の区画にあり、チンチン電車こと阪堺線の「御陵前」駅の目の前にあります。
与太話ではありますが、
この阪堺線の「御陵前」の「御陵」ってどこやねん!?もしかして昔ここあたりに古墳でもあったんか?
小学生の時、ふと疑問に思って調べてみたことがありますが、どうも「御陵」は仁徳天皇陵のこと。
しかし、堺の地理に明るい人ならピンと来るように、「御陵前」と実際の「御陵」は「前」どころかまともに歩いたら30分くらいかかりそうな距離…。夏なら熱中症でぶっ倒れますな。
どこが『前』やねん(x_x)\(-_-;)
と小学生心にツッコミを入れた記憶があります(笑
閑話休題。
旧乳守遊廓あたりは現在、何の変哲もない市街地になっています。
「乳守」と書かれた電柱だけが、ここに遊里があったということをお知らせしてくれる目印となります。当然、「乳守」という地名も消えて久しい。
上述したとおり、ここあたりは空襲で焼けた上に戦後は赤線として復活もしなかったので、何にもないだろうと気楽な気持ちで散策していると…
昔にタイムスリップしたような長屋が目の前にあらわれました。
戦後に建てられたものにしてはやけに「情緒」がある感じ。もしかして戦前の生き残り!?と調べてみました。
遊郭跡の右側に残る長屋…ここ焼け残っていたのです。
焼失率9割以上の堺市街の中でこの区画だけ焼け残ったのは奇跡とも言っていい。事実、黄枠の範囲にあっただろう遊郭は、そこに建物があったことさえ感じさせないほど、根こそぎ焼き払われています。
この長屋は、隣あった遊廓を目の当たりに見ていた「生き証人」だったのかもしれません。
昭和31年の住宅地図(「目」と書いているが間違い)を見てみると、「乳守劇場」なるものが確認できます。調べてみると昭和29年(1954)に開館した映画館でした。ここの思い出を語る人もネットにチラホラおり、有名な映画館だったのでしょうか。
劇場の上(北)あたりに、地名の文字に隠れて見えづらいですが、「乳守温泉」という文字が赤枠に見えます。
(フォト蔵:ライムライト様のアルバムより。昭和53年撮影)
「乳守」という廓にまつわる地名を冠した銭湯が昔に存在していました。
その温泉の南に、「宮竹昆布店」という文字が見るのがわかるでしょうか。
(フォト蔵:ライムライト様のアルバム。昭和53年)
こちらも、偶然フォト蔵のアルバムに残っていました。
乳守にある臨江寺の中にある「乳守明神社」です。「お乳の守り神」を祀る神社ですが、神話時代から名前に残る由緒正しい遺物だったりします。
臨江寺自体も江戸時代初期に建てられた歴史が古いお寺で、千利休の茶の湯の師匠である「茶聖」武野紹鷗の墓や松尾芭蕉が立ち寄った時の句碑があったり、遊廓抜きでも堺の歴史が凝縮されたよーな所でもあります。
現存はしないのですが、かつてあった「乳守 小山」と書かれた建物です。料亭の跡かと思ったのですが、昭和31年の地図でもふつうの民家となっています。が、民家にしては「乳守」を冠していてなんだかおかしい…。
そんな引っかかりを覚えながら、別件で昭和9年(1934)の電話帳をほじくっていたところ、こんなものが目に入りました。
「小山楼」という乳守遊郭にあった貸座敷…小山に乳守…あれ?なんかにおうぞ…。
と戦後の住宅地図を見てみると、私の予感は的中しました。
「乳守 小山」があった家の主は奥野さんではないですか!
戦後の航空写真では「乳守 小山」があった場所は更地になっているので、建物自体は戦後のものに間違いありません。が、戦後は料亭か何かに転業して営業していたのかもしれません。
乳守遊郭だった頃の貸座敷の生き残りが乳守に、つい最近までいたという事実。私の直感は、ある意味当たりでした。
もののついでながら、昭和9年の電話帳に登録されていた乳守の貸座敷の軒数は18軒。あくまで電話帳記載の数なのでリアルの妓楼の数ではないですが、南旅籠町東1丁が9軒、南半町東1丁が9軒とバランス良く配分されています。この住所の範囲に妓楼が固まっていたことが覗えますが、実際に歩いてみるとすごく狭い。こんな狭い範囲に妓楼がぎゅうぎゅう詰めだと、あまり明るい感じはしないかもしれません。
残念ながら、乳守には遊里があった痕跡は全く残っていません。それ目当てであれば今回の散策は全くの空振りだったでしょう。
しかし、堺にはかつて全国に名を轟かせた遊里があった。それが灰燼に帰して復活することなく歴史のゴミに埋もれて75年。こうしてブログという形で世に出し、地元民にこんな歴史があったなんてと驚かれ、また喜ばれるだけでも、この遊里跡を掘った甲斐があったというものです。
大阪の他の遊廓の記事もどうぞ!
・『堺遊里史』(堺市立図書館所蔵)
・『堺市史』
・『和泉名所図会 4巻. [1]』(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
・『南海鉄道案内』
・『堺大観』
・『堺名勝案内』
・『上方』26号 続大阪明治文化号
・『上方色街通』
・『全国遊廓案内』
・昭和3年大阪市航空写真(大阪市所蔵)
・昭和17年大阪市航空写真(大阪市所蔵)
・『堺市全住宅案内図帳(北部)』(昭和31年)
他いろいろ