門司にあった赤線ー錦町
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かつて海運などの交通で栄えた北九州の門司には、当然のごとく遊郭が存在していました。

遊郭が空襲で壊滅した後は、新町(現在の錦町)へ赤線が移転し、特殊飲食店(カフェー)が並ぶ歓楽街となり、繁栄は売春防止法まで続きました。

ここを初めて訪問したのは2011年。
赤線跡の入口近くと思われる通りには、おそらく転業旅館だったのでしょう、「旅館」の看板をぶら下げた建物が見受けられました。
角に玄関が二つあるのも、また赤線らしい。
なお、「旅館」の看板こそ外したものの、建物自体は2024年時点で現存していることは、朗報としてお伝えしておきます。

一つ細い道に入ると、雰囲気はがらりと変わりました。

ここやな!
直感が、ここが赤線跡だよと告げるような、独特な雰囲気が最初の訪問時にはありました。
その空気が、この写真からも漂ってくるかのようです。
門司錦町の看板!カフェー建築
そんな門司には、誰もが一度見ると頭に焼き付くようなカフェー建築がありました。
まずは1軒目。


赤いタイル、そして明らかに何か計算された斜めの玄関。
一度見たら忘れられないようなインパクトを持ち、かつ典型的なカフェー建築です。
これは残念ながら、私が見たのは最初で最後。次回の2019年訪問時には消えて駐車場になっていました。
Googleマップのストリートビューで確認してみると、最古の2015年にはすでに消えていました。私が訪問した時はギリギリセーフだったのかもしれません。

「緑のタイルがインパクトの建物」です。
こちらも斜めに構えた玄関がインパクトになっています。

玄関の下はこのようにタイル張り。いかにも赤線っぽい。
そして最後を飾るのは、もちろんこれ!!

門司錦町カフェー街を代表する建物と言えば、これでした。


「くり抜き女体像」に見とれてしまいあまり見向きもされなかったですが、この建物の裏側はこうなっていました。

「くり抜き女体像」など、カフェー建築に見とれてしまいがちですが、この道筋にはこんなものも。

カフェー建築の向かいには、こんな「いかにも」という和風の建物もあったのです。
もしかして、「くり抜き女体像」でお腹がいっぱいになってしまって見逃したor写真に撮り忘れた人がいたかも(笑
ここを最初に訪れたのが、上述したとおり2011年の4月。
それから8年後の2019年に再訪問した際も、和風の建物と「赤いタイルの玄関の建物」は跡形もなかったものの、他は健在。
ここだけ時間が止まっているかのようにそのまま残っていました。
そして2024年…
それからまた5年後の2024年に再訪問してみると…。

ついになくなっていました。
「ある」という先入観での再訪問だったので、「ある」はずのものがないショックはなかなか大きい。
少しテンパりつつも冷静になりながら、どの建物がなくなったのか、少し引き下がって整理してみました。

「くり抜き女体像の家」もなくなっていました。
これは門司錦町赤線跡のベンチマークのような建築だったので、これを失ったのはかなり惜しい。

唯一残った、そして最後に残っているのが、「緑のタイルの建物」だけ。
こちらはまだ人が住んでいる気配があったので、まだ大丈夫っぽいけれども、それでも油断しているとすぐになくなってしまうのが赤線時代の建物。
赤線自体がなくなってもうすぐ70年が経つのだから、それは仕方ない。
それまでに、吾々がいかに写真に遺して歴史の一部として保存しておくか。性地巡礼者は時間との闘いなのです。

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