その後の横山やすし
その顔と名前を一度見聞きしたら忘れられない個性を持つやすしは、事実上のピン芸人になってもテレビ・ラジオから引っ張りだこでした。あんな強烈すぎる個性を芸能界がほっとくわけがない。
有名なところでは、『久米宏のTVスクランブル』という報道番組でしょう。久米宏とくれば『ニュースステーション』を思い浮かべる人が多いと思いますが、その原型がこの番組でした。
インテリアナウンサーと破天荒芸人がMCという、実にわけのわからない報道番組。
このコンビを思いついたのは久米宏氏の方でした。知り合いだったきよしに頼み込み、やめとけ、君にはコントロールできへんと渋るきよしを説得し、やすしを紹介してもらい直接スカウトしたのだそう。
果たしてどうなるかバクチでしたが、やすしの放送禁止用語も辞さない爆弾発言の連発と、久米宏のとっさの切り返しが視聴者には大ウケでした。日曜夜8時と言えば今でもNHK大河ドラマが圧倒的地位を築いていますが、昔の権威たるや今とは比べ物になりません。その金城湯池にヒビを入れた最初の番組がこれでした。
久米宏は、2018年正月に『TVスクランブル』時代を回想しています。
「ただ、(やすしさんは)やっぱり、居心地が悪かったんでしょうね、最終的に。自分が信じていることを言って、それが僕に「バカ」って言われたりなんかしたりして、でも、評判はいいという、妙な立場に置かれたのが嫌だったのかもしれないですね。
きよしさんと二人でやっている漫才師から逸脱することが嫌だったのかもしれないし、自分がちょっと上から目線で人を見るような立場に立つことが嫌だったのかもしれない。言ってみれば、漫才師が評論家みたいなポジションに行くのが嫌だったのかもしれないですね」けれど、その後にお笑いの人たちがキャスターをやる流れができていくなかで、やすしさんがやったことは大きいことでした。
『TVスクランブル』で新たな境地を開き、新しい居場所を見つけたかに思えたのですが、芸人という看板を外すことができなかった不器用な面があったことを、久米宏は見抜いていたのでしょう。
ある日、Twitterでお世話になっているフォロワーさんが、こんなツイートをしていました。
Youtuberやすし…これは私も見たかった、めちゃ見たかった。Youtubeなら酒のみながらでもできるので(実際やっている人もいる)、酒を片手に時事問題を斬りまくるやっさん…言うてることメチャクチャやけどおもろいおっさんやなと人気は太鼓判。AIやVRで復活させることはできないだろうか…私は今変な考えを抱いています。
やすしの終わりの始まり…
ところで、東京は知りませんが大阪には「芸人はトラブルから新しい芸が生まれる」「芸人はトラブル起こすくらいが元気でええ」と、芸人のトラブルやスキャンダルには寛容な風土がありました。やすしのトラブルも、当時の吉本興業のドン林正之助がやんちゃぶりをずっと大目に見、終始かばっていました。
しかし、非常識でなんぼの芸人にも社会人としての常識を求め、その枠にはめる時代になっていました。残念ながら、やすしはその時代の変化を読めなかったのです。
何度もトラブルによる謹慎処分を受けたやすしは、吉本から
次なんかやったら問答無用でクビや!
という警告を受け、その時は反省します。が、やはりダメでした。
謹慎処分が明けてすぐに飲酒運転を起こし、相手に怪我を負わせてしまいます。相手のケガは大したことなかったこともあり、やすし本人も事態を重く見ておらず、テレビカメラの前で笑顔すら見せていました。
しかし、吉本の堪忍袋の緒は、これでプッツンと切れてしまったのです。
この事故で吉本は緊急会見を開き、即日契約打ち切りとなりました。一般企業でいう懲戒解雇です。吉本も、
「これ以上庇うと会社としてのモラルを問われる」
と公に述べたように、やすしと縁を切る非情の決断をしたのです。終始彼をかばってきた林正之助も、「もうええわ」と覚悟を決めました。
芸能界の懲戒解雇はほぼ芸能界追放と同じこと。やすしは漫才もできない、仕事もないとますます酒に溺れることとなりました。「やすきよ」もこの時点で自然消滅となり、二人が生きて顔を合わせることは二度とありませんでした。
やすしは、テレビカメラの前では、
「漫才なんか誰でもできるわい!」
と強がっていたものの、親しい人には、
「俺はキー坊(きよしのこと)としか漫才ができん、キー坊とやりたいんや…」
とうなだれていたと言います。
数年の時が経ちフリーとして活動を再開したやすしは、Vシネマなどの映画に活動の場を移しました。漫才をそのまま演技に応用した独特の存在感は、やすし健在をアピールさせました。が…
やすし謎の暴行事件、そしてあっけない死
1992年8月、酒を飲んで自宅に帰ろうとしていたやすしは、自宅前で待ち伏せしていた何者かに襲われ、危篤状態になったことも幾度かあったほどの大けがを負いました1。
頭を強く打った彼は一時言葉が話せなくなりますが、リハビリで驚異的な回復力を見せます。
しかし、それを第三者として見ていた「やすきよ」の元マネージャーは、
「このケガで漫才師復活への道は完全に途絶えた」
と冷静に分析しています。いくら強がっても失語症の後遺症の影響は残り、身体のキレも全くない。芸人横山やすしはこの時点で「死亡」したと。
吉本所属の芸人との共演NG、他の事務所も敬遠する中、その後も細々と活動を続けるのですが、ただでさえ極端に痩せ目も虚ろな姿に「やすきよ」時代の輝きはありませんでした。やすしをリアルタイムで知らないある人は、晩年の彼の写真を見て70代に見えたと言っていました。実際はアラフィフなのに。
そして1996年1月、昭和最後の芸人と呼ばれた男は、上述のとおり家族が外出している間に体調が急変し、死去しました。享年51歳。
破天荒なことしなければ、芸人としてもっと活躍できたのに…いや、あの破天荒さがなければやすしではない。相反する矛盾を抱えた天才芸人でしたが、彼は晩年、こんな言葉を漏らしたと言います。
「もう、横山やすしを演じるのは疲れたんや」
破天荒で強気な横山やすしに対し、しかし、素顔の木村雄二は小心者で極度の寂しがり屋。彼にとっての酒は、木村雄二から横山やすしへと変身する秘薬。やすしと酒は切っても切れないものでしたが、酒がないと芸人横山やすしになれなかったのかもしれません。