横山やすし-昭和最後の芸人の幼少期を訪ねる

堺の歴史
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 横山やすしの故郷を訪ねる

やっさんの故郷は大阪府堺市ということは、すでに述べました。

さて、彼が少年時代を過ごした地域は、今どうなっているのか。

 

『驚きももの木20世紀』では、彼の故郷としてこんな映像が流れていました。

横山やすしの故郷堺市西区神石市之町

上の映像の後、右方向へアングルがゆっくりと変わっていき、

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木村家、やっさんが生まれ育った家が映っていました。

この光景に、私は自然にニヤリとしてしまいました。ここ、めちゃ知ってるわと。

堺出身とは前々から知っていたものの、ここだったのかとこちらが驚きでした。まるでやっさんがあの世から、「お前も堺出身か、ほんだら俺をブログネタにせい」と言ってくれているかのようでした。

映像ではこのシーンと共に、「今もやすしさんの育った家が残っています」とナレーションされていたのですが、何せ20年以上前の番組です。20年も経てばさすがに残っていないだろう。でもとりあえずこのシーンの場所へ向かってみよう。

私の足は大阪へ、堺へ向かっていました。

 

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やっさんの家があった場所の現在の地図です。タキヨさんが亡くなったという「大きな池」は、現在形を残したまま公園となっています。

赤で囲んだところに、「八角堂」という堺名物くるみ餅の有名なお店があります。その昔、母方の祖母の家と自宅の中間あたりにあったこの店で、車の運転の休憩がてら家族でここのくるみ餅を何度か食べた記憶があります。

 

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この「八角堂」は、横山やすしと大いに関係があります。実はここ、今は知りませんが、やっさんの親戚がオープンさせた店で、売れっ子だった時代のやっさんもお忍びでよく訪れていたそうです。

堺市立中央図書館の書庫の郷土資料をあさっていたら出てきた事実ですが、やっさんはよく、

「『八角堂』は俺が金出して作らせたったんや!」

と豪語していたそうです。

しかし、これは彼のとんだ出まかせ。「八角堂」の女将(=親戚)が否定しています。それどころか、逆に金の無心に現れていたほどでした。まあ、そんな大見栄を張ってウソついても恨まれないのが、やっさんのキャラならでは。

 

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『おどろ木ももの木20世紀』の映像が頭に残ってたので、記念に同じ(と思う)角度で写真を撮ってみました。

上:平成29年(2017)

下:平成8年(1996)

ちょっと的が外れてたか…まあいいや。

21年の月日は経っているけれども、ガードレールが新しくなった以外はほとんど変わっていないことがわかります。そういう意味では、21年しか経っていないか。

 

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少年時代のやっさんも、この石津川をの川の流れを見ながら日々遊び、土手の道路を汗をぬぐいながら走っていたのでしょう。

やっさんの自伝には、中学生の頃よく「阪和線のガードレールまで走っていた」と書かれています。

 

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「阪和線のガードレール」とは、彼の家のすぐとなりを通る、通称「13号線」を南下したところにある、13号線と阪和線が交わる地点のこと。交差点名で言えば「鳳北町」です。津久野駅の裏側にあるのですが、彼が走っていた当時に津久野駅はありません。

 

あったでしかし!

やっさんが育った家は現在でも残っているのだろうか。テレビから20年もの月日が経っており、周りの景色はあまり変わらなくても家という物体はどうだろうか。一抹の不安を抱えて現地へと向かいました。

私がそこで見たものは。

 

横山やすしの生まれ育った家

昔のまま残る彼の家でした。

現地をフィールドワークする歴史家は、昔のブツが残っているかどうか一か八かの賭けをすることがあります。残っておれば勝ち、なくなっていれば負け。今回も賭けに出ましたが、今回は私の勝ちだったようです。横山やすしがそこに暮らしていた跡は、確かに残っておりました。

家は『八角堂』の裏手にあり、そこでやすし少年や親戚が身を寄せ合って暮らしていたことが、現地を訪ねると容易に想像することができます。家は道から低い位置にあり、家から階段を使って道へ上る彼の昔の姿はもちろん、息遣いまで聞こえてきそうなほど、変わっていませんでした。周囲の家々は新しく建て替えられているのに、この一角だけそのまま残っていたのは、ちょっとした奇跡かもしれません。

 

やっさんが亡くなって今年で24年。彼が死んだ平成も終わり令和へ。昭和はますます遠くなりにけりという感が否めなくなりました。それとともに、昭和の復興と共に育ち、昭和の急成長と共に成長し、昭和の終わりと共に死んだこの芸人は、名実共に「昭和の申し子」だったのでしょう。

草葉の陰から、やっさんはこう叫んでいるに違いありません。

「自分ら、ワシのこと忘れたらしばくでしかし!」

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