大東亜戦争

スポンサーリンク
戦争遺構をゆく

【名古屋の戦争遺構】港区錦町に残る機銃掃射跡

名古屋市のベイエリア、港区の錦町。この町の真ん中が「申」の形になっていますが、ここにはかつて稲永遊郭という遊里がありました。名古屋市の遊里の絶対的存在だった中村遊郭には絶対勝てない、永遠の二番手を宿命付けられた遊郭でしたが、最盛期には何百も...
戦争遺構をゆく

【大阪の戦争遺跡】豊中市 庄内神社に残る機銃掃射の弾痕

空襲で焼けた豊中市の桜塚国民学校(現小学校)大阪府豊中市は、先の戦争で6〜7回空襲を受けました。死者575名、負傷者898人、罹災家屋3,540戸とかなりの被害を受けています。玉井町2丁目 第2公園の掲示より特に6月7日の空襲では、1トン爆...
遊郭・赤線跡をゆく

竹林寺ー松島遊郭の遊女を弔う無縁仏の塔|遊郭・赤線跡をゆく|

戦前の「大大阪」には、遊女数・客数・戦前最大の遊郭「松島遊郭」が、大阪市西区に君臨していました。人呼んで、「近代遊郭三冠王」。遊郭の代名詞こそ東京の吉原でしたが、数字的にはその上の、事実上の日本一の巨大遊郭が大阪にあったのです。そんなスーパ...
歴史探偵千夜一夜

広島の「被爆トイレ」ー本川公衆便所

広島といえば、原爆ドームに…平和記念資料館(原爆資料館)。ここに来るには中学の卒業旅行以来、広島まで旅に来た目的のメインでした。そんな中、ひっそりとたたずむある建物が存在します。たかが便所!されど便所!本川沿いにある「被爆トイレ」一見、何気...
ブログエッセイ

みんなで学ぼう!神戸の空襲

昭和の時代に行われた対米戦争で、日本の主要都市のほとんどが空襲を受けたことは、もはや解説する必要もありません。爆弾一つ落ちなかった都市の方が数えるほどしかないほど、日本中が爆弾で焼け野原になりましたが、その中でも最初に空襲を受けた都市の一つ...
ブログエッセイ

神戸駅近くで発見された昭和の遺物-『貯蓄報国』と戦争

2021年、日付が10月に入る頃、Twitterであることがホットな話題になっていました。JR神戸駅付近、JRの高架下にあった壁が解体されると高架を支える柱が剥き出しになったのですが、そこにはある言葉が書かれていました。21世紀の時代には全...
ブログエッセイ

長谷川清-いぶし銀の海軍名提督

旧帝国海軍軍人数多しといえども、歴史に名を残し誰でも知っている人となると、ほんの一握りとなります。誰でも知っているといえば、東郷平八郎や山本五十六といったところでしょうか。もちろん、海軍の軍人のほとんどは、地味ながら職務に忠実に励み、人知れ...
ブログエッセイ

終戦記念日の聖地巡礼-『時刻表昭和史』を訪ねて

紀行作家宮脇俊三の名著『時刻表昭和史』に書かれた終戦の日のあの情景を訪ねる、鉄道マニアの聖地巡礼。
戦争遺構をゆく

名古屋駅に残る戦争遺産-畜光タイル

JR東海の拠点である名古屋駅。この駅に、不思議なものがあるのをご存じでしょうか。7~8番線へ向かう階段。一見するとどこにでもある階段です。これは本当に名古屋駅の写真なのかと、痛くもない腹をまさぐられそうです。この階段の左右の端に、「あるもの...
歴史探偵千夜一夜

【後編】『火垂るの墓』を血も涙もなく時代考証してみる

映画『火垂るの墓』はもちろんフィクションだが、史実と較べてみると面白いことがわかってくる考察。もう一つの『火垂るの墓』が見えてくる…
歴史探偵千夜一夜

【前編】『火垂るの墓』を冷酷に時代考証してみる

映画『火垂るの墓』のストーリーや兄妹の父にまつわるネットの俗説を、史実と一次資料を用いて考察する。
戦争遺構をゆく

【神戸の戦争遺構】神戸市立博物館に残る機銃掃射の弾痕

神戸市立博物館に残る戦争の跡神戸の中心地、三宮の旧居留地の中心にある市立博物館の建物は、もともと横浜正金銀行神戸支店として昭和10年(1935)に竣工しました。戦後も銀行として使われた後、神戸市が使用することになり、現在に至っています。銀行...
タイトルとURLをコピーしました