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ブログエッセイ

浜口雄幸首相遭難事件と東京駅|昭和史その日その時|

昭和5年11月14日、当時の首相浜口雄幸が東京駅で右翼青年に襲撃された。浜口の人生とその後。
遊郭・赤線跡をゆく

俳優松田優作と赤線の足跡| おいらんだ国酔夢譚 番外編|

東西南北の人が集まり通っていた下関には、その数だけ人間ドラマがあると言っても過言ではありません。遊郭に通う人たちも、何も現地の人だけとは限りません。下関を通過(トランジット)するだけながら、次の移動待ちの間にフラリと赤いランプに導かれて女の...
ブログエッセイ

みんなで学ぼう!神戸の空襲

昭和の時代に行われた対米戦争で、日本の主要都市のほとんどが空襲を受けたことは、もはや解説する必要もありません。爆弾一つ落ちなかった都市の方が数えるほどしかないほど、日本中が爆弾で焼け野原になりましたが、その中でも最初に空襲を受けた都市の一つ...
遊郭・赤線跡をゆく

豊前田遊郭(山口県下関市)の歴史|遊郭・赤線跡をゆく|

下関新地遊郭、稲荷町遊郭に続く「遊郭跡シリーズin下関」の第三弾は、今の豊前田町にあった豊前田(ぶぜんだ)遊郭です。突然ですが、ここでちょっとひらめいた小咄を。熊さん豊前田の遊郭に行っても勃たなかったんだよ…八っつあんそりゃおめぇー、勃起ぶ...
歴史探偵千夜一夜

近代建築これくしょんー小原写真館・平船精肉店など(岩手県盛岡市)

盛岡市の近代建築、小原写真館、平船精肉店、鎌田薬店を取り上げる。
ブログエッセイ

南海の新聞電車と女給電車【南海電鉄歴史紀行】

「女給」という響きには、どこか昭和を感じます。この言葉が生まれたのは、昭和ではなく大正時代のようで、宇野浩二の『苦の世界』(1918‐21)には「いっそのことカフエエの女給にならうかしら」という文章があります。それが全国区になったのは大正の...
遊郭・赤線跡をゆく

福島一本杉遊郭(福島県福島市)|おいらんだ国酔夢譚|

福島の遊郭史そもそも福島という町は、城下町と同時に奥州街道沿いの宿場町として栄えました。街道沿いにある北町(北裡)は旅籠が集まる通りとして賑わいをみせましたが、その中には飯盛女を抱えた遊女屋兼業もあり、大人の盛り場としての面もあったのは、他...
ブログエッセイ

神戸駅近くで発見された昭和の遺物-『貯蓄報国』と戦争

2021年、日付が10月に入る頃、Twitterであることがホットな話題になっていました。JR神戸駅付近、JRの高架下にあった壁が解体されると高架を支える柱が剥き出しになったのですが、そこにはある言葉が書かれていました。21世紀の時代には全...
遊郭・赤線跡をゆく

酒田遊郭(山形県酒田市)|遊郭・赤線跡をゆく|

酒田遊郭ー東北一の商業の町にあった色街山形県庄内地方は東北屈指の米どころとして有名ですが、その中心酒田は北前船の寄港地、そして最上川の河口にあり川沿いの名産が集まる集積地として、江戸から明治にかけ大いに栄えました。戦後の農地改革まで日本一の...
遊郭・赤線跡をゆく

下関稲荷町・裏町遊郭(山口県下関市)|遊郭・赤線跡をゆく|

下関と言えば、今から千年前に源氏と平氏が戦った「源平の戦い」のハイライト、「壇ノ浦の戦い」の地でもあります。学校で習った通り、この戦いで一時の栄華を誇った平氏は正式に滅び、源氏の天下が確定したんやけど、平氏が連れてきた数多くの女官が戦いの後...
遊郭・赤線跡をゆく

下関新地遊郭(山口県下関市)|遊郭・赤線跡をゆく|

ぱくたそ様提供下関は、平安時代末期~鎌倉時代初期の源平合戦のエンディング、「壇ノ浦の戦い」の舞台でもあり、古くから陸の・海の交通の交差点として栄えました。江戸時代には日本海沿いの街を回って大阪へ至る「北前船」が通る船のターミナル、下関を通ら...
ブログエッセイ

長谷川清-いぶし銀の海軍名提督

旧帝国海軍軍人数多しといえども、歴史に名を残し誰でも知っている人となると、ほんの一握りとなります。誰でも知っているといえば、東郷平八郎や山本五十六といったところでしょうか。もちろん、海軍の軍人のほとんどは、地味ながら職務に忠実に励み、人知れ...
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