大阪の中のロストワールド
ではなぜ、ここが秘境駅と呼ばれているのか。それは改札口を出るとわかります。

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」
川端康成の『雪国』の有名なオープニングですが、木津川駅の場合は
「改札を抜けるとそこは砂利道だった」
と表現すれば良いのであろうか…。未舗装の砂利道なんて久しぶりに見た。
改札口を抜けるとこの通りの風景。駅に降り立った旅人は、あまりの何もなさに途方に暮れ、ある種の絶望感に襲われることとなるでしょう…といっても、何の目的もなしに非地元民がここに降り立つことはないと思いますが。
何もないことはないだろうと思うけれども、先日の雨でぬかるんだ、しかしどこか懐かしい感がする砂利道を歩いてみました。が、奥へ進めば進むほど、あるのは工場の廃材置き場だけで人の気配はほとんどしません。これが秘境と呼ばれるゆえんか。

ただ、「人が住んでいる痕跡」は発見できました。路上に住んでいるようですが…。

「ゴミを捨てるな!」
というところに敢えてゴミを捨てているこの光景、なんとも大阪らしいといえばそうです。ここは大阪です、紛れもない大阪の「秘境」の現実なのです。
ここで素朴な疑問が浮かびます。何故こんなところに駅ができたのか、そしてあるのか。
実は、上の「秘境」は駅の西側、踏切を渡った反対側の東側は、ふつうの住宅街だったりします。が、それなら東側に駅舎を作れば良いものを、何故「何もない側」に建てたのでしょうか。
これには、木津川駅の歴史的経緯を知らなければなりません。

木偶坊伯西
「都会の秘境駅」にもあったのです!
誰もがうらやむ黄金の日々が…次はそんな駅の歴史を!
コメント
はじめまして。国鉄停車場配線略図から貴サイトに入っていきました。
阪和電鉄の一連のコンテンツは楽しみながら読まさせていただきました。阪和線自体は行楽の時以外は乗車したことがありませんでしたが、残り少ない戦前の遺構にこの電鉄の野心的な歴史を垣間見ました。さて、木津川駅の秘境ぶりには驚かされました。貨物は紡績工場関係かと勘繰っていましたが、水運との繋がりによる木材がメインだったのですね。私は千葉市に在住なので、汐見橋線には気軽に乗車できませんが、近々大阪へ行く予定があるので沿線をしっかり観察したいと思っています。ある日突然「廃止」の告知が出ないうちに。それから、貴サイトのトップページの写真は、地上時代の枚方市駅ではありませんか。天満橋方の旧貨物ホームあたりからのアングルかもしれません。私は子供の頃に京阪沿線に住んでいたので、この駅は頻繁に利用しました。これからもコアな記事を期待しています。