「俺(おれ)」は現在、男性の一人称として使われていますが、 もともとは「おのれ(己)」に由来し、二人称として使われていた時代もありました。
この記事では、「俺」の語源と意味の変化をわかりやすく解説します。
なお、本記事は『人称詞オレの歴史的変化』(米田達郎 大阪工業大学論文)を骨格にし、わかりやすいように肉付けしました。
これから、1000年以上の「オレ」の歴史をたどっていきましょう。
奈良時代ー古代の「俺」は二人称(=お前)だった!
さて、「俺」はいつから使われているのでしょうか?
その歴史は、『古事記』『日本書紀』に記載例があるほど古かったりします。
文字として残っているのが上記なので、日本語としてはおそらく老舗中の老舗と言っても過言ではありません。
上代での用例は以下の通り。
大きに怒りて誥び嘖ひて曰はく、「虜、爾(おれ)が造れる屋に、爾自ら居よ」といふ。
『日本書紀』
(声を荒げて叱責して、「敵のやつめ、うぬが造った建物には、まずうぬ自ら入ってみろ」と言った)
汝が庶兄弟をば坂の御尾に追ひ伏せ、亦、河の瀬に追ひ撥ひて、おれ大国主神と為り…
『古事記』
(お前の腹違いの兄弟を坂の御尾に追い詰め、また川の瀬に追い払いて、お前は大国主神となって)
大昔の「俺」、使い方が現代とは真逆です。今の「俺」は一人称なのに対し、奈良時代の「オレ」は対称、つまり二人称。現代日本語で言えば「お前」という感じでしょう。
さらにこの「俺」、相手を詰問したり罵ったりするときの、見下した感じを醸し出します。「てめー」「この野郎」に近いかも。
もう一つの特徴は、呼びかけにも使われていること。明らかな目上が目下に「おいお前!」と呼びかける使い方もしています。
平安・鎌倉時代ーだんだんと一人称へ
奈良時代では、「俺」は相手に対する他称として使われてきました。
結論から言ってしまうと、平安時代も奈良時代と使い方は変わっていません。
が、平安末期の源平が台頭する頃になると、「俺」に現代と同じ自称で使われる場面が出てきます。だた、他称ほど出てこないようなので、用法としてはまだまだ赤ちゃんだと思われます。
ただほれてゐたるに、御前のおはしまして、「いざ、いざ。黒戸の道をおれが知らぬに、教えよ」とおほせられて、引き立たせたまふ。
(ただぼうっとしていたところに、鳥羽天皇がお見えになって、「さあさあ、黒戸への道を私は知らないので、教えておくれ」と仰って、私たちをお引き立たせなさるので)
日本古典全書『讃岐典侍日記』「萩の戸の花」458 頁
この例では、6歳の鳥羽天皇が発していますが、他にも農民が領主に向かって使っていることから、今のようにぶっきらぼうな表現ではなかったのではないか。アカデミックな考察ではそうなっています。
江戸時代前期ー男女関係なく使われていた「俺」
室町時代になると、「俺」に大きな変化が訪れます。
この時代に二人称としての「俺」は消え、自称一本となります。
ここで注目すべきは、「俺」は男女ともに用いられてきたこと。
東北地方では年配者、場所によっては10代の若い女の子の間でも使われるそうですが、やはり昔は男女関係なく使われてきたという、私の仮説が当たったことになります。
論文の筆者の仮説ですが、「俺」は平安時代から男女ともに使われてきたのではないかとしています。
さらにこの時代あたりから、「俺」はぶっきらぼうな表現のにおいを発してきます。
戦国・安土桃山時代はすっ飛ばして、江戸時代初期。元禄の文化が花開くと「俺」は高度成長期を迎え、近松門左衛門の『曽根崎心中』や井原西鶴『好色一代男』など、有名な作品にも出てきます。
この時期の「俺」については、身分の貴賤なく男女ともに使われています。
ただし、日常会話で気ままに連発する男性に対し、女性は親密な仲の内輪での用法のみとなっており、使用範囲が男性に比べ狭くなっています。
ひとつひとつ覚え侍る太夫殿の声として、「おれはくるみあへの餅をあく程」とあれば…
『好色一代男』
上は女性の「俺」の例ですが、遊郭の太夫(高級遊女)どうしの会話であり、また武家の姫君と乳母との会話でも「俺」が使われています。 そして時は下って江戸後期になると!

