「オレ」の奇妙な冒険ーとある一人称の壮大な日本史

歴史エッセイ

4.江戸後期

ここでいう「江戸後期」は、19世紀はじめ~明治10年前後とお考えください。
この時代は文献が非常に豊富なため、「オレ」もそれに漏れず様々な本に出てきます。江戸落語の演目にも「オレ」が出現します。 大きな変化もあります。
江戸時代前期では男女、身分の上下を問わず使用されてきた「オレ」ですが、この頃には「町人(庶民)」「男」に限定されます。 そして目上→目下の関係から、お互いを「オレ」と言い合う「対等な関係」どうしの表現が加わるなど、現代と用法がほぼ変わらなくなります。
対して女性の使用は非常に少なくなり、上方では廃れたものの、江戸ではそこそこ使われていたようです。

(ながしの男)サアお撥さん背中を出しなせへ

(女)コレ、此人はや。おれが先へ来たものを


『浮世風呂』二編巻之上86 頁

『浮世風呂』は、19世紀初めの江戸の銭湯での会話をそのまま文字に起こした読みもの。当時の話し言葉や口調が文字として残る第一級資料として非常に面白いので、機会があれば読んでみて下さい。江戸っ子だけではなく上方女の会話、つまり200年前の関西弁もあります。

で、『浮世風呂』の中に女性の「オレ」がいくつか収録されているということは、まだ使う人はいたということです。ただし、江戸前期でもそうであったように、あくまで身内や気心がしれた仲だけの言葉。「ながしの男」は風呂屋勤務歴45年という解説がついているので、客の女性とも長い馴染みだったのでしょう。

当時の庶民目線の洒落本の一人称がどうなってるのかを、ある研究者が調べたところ、

オレ:22(聞き手が目下)
オレ:19(聞き手が話し手と同輩・対等な関係)
オイラ:8
ワシ:6
ワタシ:1(女性)

まだ一例だけなものの、現在の女性の一人称「ワタシ」がこの頃から出現します。

ちなみに、「ワシ」は数百年前上方で出現した表現で、おそらく「ワタシ」の派生語。
じいちゃん婆ちゃんの表現に思われますが、関西の端っこ(大阪南部や和歌山、淡路島など)では今でもふつうに使われます。

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5.明治時代以降

明治時代に突入しても、男性の使う「オレ」にほぼ変化はありません。しかし女性は「ワタ(ク)シ」一本となり、「オレ」は消えます。

■慈母さんア口惜しくって\/ならないよ

二葉亭四迷『浮雲』 第二編第十二回 お勢→お政 390 頁

■此処は私しが遊び処、お前がたに指でもさゝしはせぬ、ゑゝ憎くらしい長吉め

樋口一葉『たけくらべ』 美登里→長五郎 142 頁

江戸時代には郭(遊郭)で頻繁に使われていた「オレ」も、「私」に入れ替わっています。「オレ」がゼロになったわけではなく、使用例がなきにしもあらずですが、もはや例外の部類。女性表現の「オレ」はここで終了です。
ただし、上にも書いたように、現代でも東北では女性の使用者もおり、愛知県東部から静岡県西部での使用例もあるそうな。

二人称としての「オレ」も、まったく消えたわけではないよう。
「何言うとんじゃオラ!」
「オラ!どけよ!」
というように、「オラ」という罵声がありますが、これは古代日本語の用法の生き残りだと言われています。試しに、オラを「お前」など二人称や、「おい」のような目下に対する呼びかけ表現に変換してください。しっくりくるでしょ?

そして『ジョジョの奇妙な冒険』の名シーン、

ジョジョオラオラオラオラ
荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』より

これも掛け声ではなく、二人称&罵倒語の奈良時代的用法の残滓…という仮説を考えることもできます。試しに「オラ」ひとつを、

「この野郎!」

に脳内変換してみて下さい。さほど違和感ないでしょ?
これは論文に書かれていない私の仮説ですが、仮に元論文の筆者も気づいても、論文にジョジョを出すわけにはいかないでしょうしね。そこは野良犬の私の方が気楽です。

人称の変化は他にもある

「オレ」は二人称から一人称への変化を遂げましたが、これは別に特殊な例ではありません。
たとえば「自分」。一人称の他に、関西では「お前」と同じ二人称でも使っています。
他にも、河内の農民言葉からヤクザ用語に華麗な転身(?)を遂げた「ワレ」も同様。もともと「我(ワレ)」という一人称のはずですし。詳細はわかりませんが、もともと一人称だったのが、時代の流れで二人称としての意味合いも持つようになったのだろうと思います。

また、江戸っ子の代名詞といえる「オイラ」は、「オレラ」という二人称複数形、つまり「わたしたち」が時代と共に一人称になった例です。英語ですが、「あなた」のyouも元をたどれば二人称複数(わたしたち)です。

こうして「オレ」をめぐる奇妙な日本史を並べてみましたが、日本語という名の森を少し冒険するだけで、普段何気なく使っている言葉にこんな経緯があったのかと。
これも実はれっきとした歴史。仮説でもいいのです、ちょっとした気づきやひらめきをとことん追求してみると、面白い発見が見つかるものです。
今回は、それに書き手の方が改めて気付かされた記事でした。 

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